藤(ふじ)を詠んだ歌2
巻12-2971: 大君の塩焼く海人の藤衣なれはすれどもいやめづらしも
巻12-3075: かくしてぞ人は死ぬといふ藤波のただ一目のみ見し人ゆゑに
巻13-3248: 敷島の大和の国に人さはに満ちてあれども.......(長歌)
巻14-3504: 春へ咲く藤の末葉のうら安にさ寝る夜ぞなき子ろをし思へば
巻17-3952: 妹が家に伊久里の杜の藤の花今来む春も常かくし見む
※大原高安(おおはらの-たかやす、?~743年)
奈良時代の官吏です。天武天皇の曾孫(そうそん)。川内王の子。はじめ高安王と称しました。和銅6年従五位下にすすみ、養老3年伊予守(いよのかみ)のとき按察使(あぜち)を兼任します。のち衛門督(かみ)。天平11年弟の桜井王らとともに大原真人(まひと)の氏姓をあたえられました。「万葉集」に歌3首がおさめられています。天平14年12月19日死去。
巻17-3993: 藤波は咲きて散りにき卯の花は今ぞ盛りと.......(長歌)
標題:敬和遊覧布勢水海賦一首并一絶
標訓:布勢(ふせ)の水海(みづうみ)に遊覧せる賦(ふ)に敬(つつし)み和(こた)へたる一首并せて一絶
原文:布治奈美波 佐岐弖知理尓伎 宇能波奈波 伊麻曽佐可理等 安之比奇能 夜麻尓毛野尓毛 保登等藝須 奈伎之等与米婆 宇知奈妣久 許己呂毛之努尓 曽己乎之母 宇良胡非之美等 於毛布度知 宇麻宇知牟礼弖 多豆佐波理 伊泥多知美礼婆 伊美豆河泊 美奈刀能須登利 安佐奈藝尓 可多尓安佐里之 思保美弖婆 都麻欲比可波須 等母之伎尓 美都追須疑由伎 之夫多尓能 安利蘇乃佐伎尓 於枳追奈美 余勢久流多麻母 可多与理尓 可都良尓都久理 伊毛我多米 氏尓麻吉母知弖 宇良具波之 布施能美豆宇弥尓 阿麻夫祢尓 麻可治加伊奴吉 之路多倍能 蘇泥布里可邊之 阿登毛比弖 和賀己藝由氣婆 乎布能佐伎 婆奈知利麻我比 奈伎佐尓波 阿之賀毛佐和伎 佐射礼奈美 多知弖毛為弖母 己藝米具利 美礼登母安可受 安伎佐良婆 毛美知能等伎尓 波流佐良婆 波奈能佐可利尓 可毛加久母 伎美我麻尓麻等 可久之許曽 美母安吉良米々 多由流比安良米也
万葉集 巻17-3993
作者:大伴池主
よみ:藤波は 咲きて散りにき 卯の花は 今ぞ盛りと あしひきの 山にも野にも ほととぎす 鳴きし響(とよ)めば うち靡く 心もしのに そこをしも うら恋しみと 思ふどち 馬打ち群れて 携(たづさ)はり 出で立ち見れば 射水川(いづみかは) 湊の渚鳥(すとり) 朝なぎに 潟にあさりし 潮満てば 妻呼び交す 羨(とも)しきに 見つつ過ぎ行き 渋谿(しふたに)の 荒礒(ありそ)の崎に 沖つ波 寄せ来る玉藻 片縒(かたよ)りに かづらに作り 妹がため 手に巻き持ちて うらぐはし 布勢の水海(みづうみ)に 海人(あま)舟に ま楫(かぢ)掻(か)い貫(ぬ)き 白栲の 袖振り返し 率(あども)ひて 我が漕ぎ行けば 乎布(をふ)の崎 花散りまがひ 渚(なぎさ)には 葦鴨(あしかも)騒き さざれ波 立ちても居ても 漕ぎ廻(めぐ)り 見れども飽かず 秋さらば 黄葉の時に 春さらば 花の盛りに かもかくも 君がまにまと かくしこそ 見も明らめめ 絶ゆる日あらめや
意味:藤の花房は咲いてもう散ってしまった、卯の花は今がまっ盛りだとばかりに、あなたの山にも野にも時鳥がしきりに鳴き立てているので、思い靡く心もしおれればかりに時鳥の声が恋しくなって、心打ち解けた者同士馬に鞭打ち相連れ立って出かけて来て目にやると、射水川の河口の洲鳥、洲に遊ぶその鳥は、朝凪に干潟で餌をあさり、夕潮が満ちて来ると妻を求めて呼び交わしている。心引かれはするものの横目に見て通り過ぎ、渋谷の荒磯の崎に沖の波が寄せてくる玉藻を、一筋縒りに縒って縵に仕立て、いとしい人に見せるつとにもと手に巻きつけて、霊験あらたかなる布勢の水海で、海人の小舟に楫を揃えて貫き出し、白栲の袖を翻しながら声かけ合って一同漕ぎ進んで行くと、乎布の崎には花が散り乱れ、波打際には葦鴨が群れ騒ぎ、さざ波立つというではないが、立って見ても坐って見ても、あちこち漕ぎ廻って見ても、見飽きることがない。ああ、秋になったら黄葉の映える時に、また春がめぐってきたら花の盛りの時に、どんな時にでもあなたのお伴をして、今見るように思う存分眺めて楽しみたいものです。われらがこの地を顧みることが絶える日など、どうしてありましょう。
左注:右掾大伴宿禰池主作 [四月廿六日追和]
注訓:右は掾(じょう)大伴宿禰池主作れり [四月二十六日追和]
巻18-4042: 藤波の咲き行く見れば霍公鳥鳴くべき時に近づきにけり
※田邊福麻呂(たなべの-さきまろ、生没年不詳)
奈良時代の万葉歌人。下級官吏として世を終えたようです。『万葉集』によると、天平20(748)年造酒司(みきのつかさ)令史で、左大臣橘諸兄(もろえ)の使いとして越中国におもむき、国守大伴家持らと遊宴し作歌しています。そのほか同12年頃から同16年頃にかけて、恭仁京、難波京に往来して作歌し、また東国での作もあります。『万葉集』に「田辺福麻呂之歌集所出歌」を含めて長歌 10首、短歌 34首を残します。長歌の多いこと、主題、素材、表現に先行歌人の影響の著しいことが特色で、柿本人麻呂、山部赤人の流れをくむ宮廷歌人とみる説もあります。
巻18-4043: 明日の日の布勢の浦廻の藤波にけだし来鳴かず散らしてむかも
ウェブニュース
藤井聡太七段が師匠に連勝…初の竜王戦4組連続優勝 ―― 将棋の最年少タイトル挑戦者、藤井聡太七段(17)が20日、大阪市の関西将棋会館で指された第33期竜王戦3組ランキング戦決勝で師匠の杉本昌隆八段(51)を破り、史上初の「4期連続優勝」の新記録を達成した。
弟子入りから7年、前回に続き2度目の師弟対決を制し、成長ぶりを示す「恩返し」を果たした。
終局後、藤井は師弟戦に「こういう決勝の大舞台で対局できるのを非常に楽しみにしていた。一手一手をしっかり指すことができた」と振り返った。
関西将棋会館で最もグレードの高い「御上段(おんじょうだん)の間」。午前10時、師弟戦がスタート。先手の藤井がいつものようにお茶を一口飲み、初手を指した。一方の杉本は棋士が重要な対局の時に身を包む和装姿で臨んだ。杉本は時折、口をへの字に曲げ、気合の入った表情を見せた。
2人とも決勝進出した時点で2組への昇級を決めているが、決勝トーナメントに進出できるのは勝者のみ。1枚の切符をめぐる、まさに大一番。杉本が選んだ戦型は得意の四間(しけん)飛車。全力で負かしに来た師匠を相手に藤井は、時間を使い、丹念に手を読んだ。「盤上では対等であり、ライバル」。勝負師としての教えを忠実に守った。中盤まで一進一退の攻防が続く。終盤に入ると、際どい攻め合いになり、藤井が厳しい手を連発し、投了に追い込んだ。
https://www.youtube.com/watch?v=iwn6nXJ_j0E
和装の勝負服で臨んだ杉本は「最高の舞台で藤井七段といい将棋を指したかった。私にとっては実質、タイトル戦に近い対局だった」と話した。
藤井はこれで竜王戦ランキング戦は負けなしの20連勝。デビュー1年目の17年に最下級の6組を制すると、18年に5組、19年に4組で優勝して昇級。師匠を破り、史上初の「4組連続優勝」の新記録を達成し、挑戦者を決める決勝トーナメントに進んだ。
藤井は棋聖戦で最年少タイトル挑戦者となり、第1局で勝利。棋聖戦とのダブルタイトル挑戦をかけて23日には、永瀬拓矢2冠(27)と王位戦挑戦者決定戦を戦う。
◆竜王戦 将棋の8大タイトル戦の1つ(ほかは名人・叡王・王位・王座・棋王・王将・棋聖)。今期は全ての現役棋士のほか、女流棋士4人、奨励会三段1人、アマチュア6人が出場。予選はランクに応じて1~6組まで分けられる。豊島竜王への挑戦権をかけた決勝トーナメントに出場できるのは1組5人、2組2人、3、4、5、6組は各組優勝者の計11人。トーナメントの組み合わせもランク上位棋士ほど優遇される。優勝賞金は将棋界最高の4400万円。 [日刊スポーツ 2020年6月20日22時20分]
sechin@nethome.ne.jp です。
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