瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
檜(ひ)を詠んだ歌3
巻10-1813: 巻向の桧原に立てる春霞おほにし思はばなづみ来めやも
巻10-2314: 巻向の桧原もいまだ雲居ねば小松が末ゆ沫雪流る
巻13-3232: 斧取りて丹生の桧山の木伐り来て.......(長歌)
◎古代、「瀧(たき)」という言葉は「激流」を意味していたそうです。その由来は、「水が激しく流れるさま」すなわち「たぎつ(激つ)」が「たぎ」に短縮され、さらに清音の「たき」になったものといわれております。
723年、元正天皇が吉野に行幸されました。この歌は、轟音を響かせて逆巻く流れを眼の前にしてお供の人が声高らかに詠ったものだといいます。吉野川を海に見立てて、白波の躍動するさま、吉野の景観の見事さを褒め称えています。
巻16-3824: さし鍋に湯沸かせ子ども櫟津の桧橋より来む狐に浴むさむ
※長奥麻呂(ながのおきまろ、生没年未詳)
伝未詳。姓は忌寸(いみき)。名は意吉麻呂(意寸麻呂とも書く)。人麻呂・高市黒人などと同じ頃、宮廷に仕えた下級官吏であったようです。行幸の際の応詔歌、羇旅歌、宴席で物名を詠み込んだ即興歌などを残しています。万葉集に14首を残します(すべて短歌)。
◎さし鍋に火鉢(ひばち)と火箸(ひはし)、さらに桧橋(ひばし)。櫟津(いちひつ)と櫃(ひつ)、「コム」と鳴く狐と来(こ)む、浴(あ)むと遭(あ)ふ。の言葉遊びを楽しんでください。また、場合によっては、この宴会に「湯和可世子等」の用字から「世子」に相当する貴族の子弟で長男の人物がいたかもしれません。当然、同じ音ですが召使いの「勢子」と貴族の子弟である「世子」では雲泥の差があります。
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目高 拙痴无
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