瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[1007] [1006] [1005] [1004] [1003] [1002] [1001] [1000] [999] [998] [997]
 荀子 大略篇第二十七 より
42 《易》曰:「復自道、何其咎?」春秋賢穆公、以為能變也。
e0d393d0.JPG〔訳〕『易』〔小畜の卦九初の爻辞(こうじ)〕に「たといあやまちがあっても、元に反(かえ)り正道に従えば、どうしてとがめにあろうか」といっている。『春秋公羊伝』(文公十二年)で、「秦の穆公を賢人だと言っているのは、彼が自分のあやまちを悔いてよく改めることができたからである」と言っている。
 
 周易(第9卦)より
 小畜、亨。密雲不雨、自我西郊。
 彖曰、小畜柔得位、而上下應之、曰小畜。健而巽、剛中而志行、乃亨。密雲不雨、尚往也。自我西郊、施未行也。
 象曰、風行天上、小畜;君子以懿文德。

〔読み〕
 小畜は、享る。密雲あれどあめふらず、わが西郊よりす。
 彖に曰く、小畜は柔、位を得て上下これに応ずるを、小畜と曰う。健にして巽(したが)い、剛中にして志行なわる。すなわち享るなり。密雲あれど雨ふらずとは、往くを尚(たっと)ぶなり。わが西郊よりすとは、施しいまだ行われざるなり。
 象に曰く、風天上を行くは小畜なり。君子もって文徳を懿(よ)くす。
d4f01400.JPG〔解読〕
 小畜の小は陰、畜は畜(とど)むの意。一陰が五陽を引き畜(とど)める卦象に取る。また一陰が五陽を引き畜めるのであるから、その拘束力は弱く、したがって小(すこし)く畜める=小畜という意味にもなる。陽剛・君子の道はたとえ小しく畜められても、やがては享る。密雲は陰気の凝集、いまだ陽気と相和して雨ふらすに至らず、陰の方向たる西郊より湧きつつある。やがては雨ふって享る機会も来るであろう。
adfbb6aa.JPG※なお易の卦辞は周の文王の作と言われる。してみれば密雲雨ふらずと云々とは、文王が羑里(ゆうり)に捕えられて易を書いたとき、わが志は天下経綸にあれど、今は君主たる殷の紂王と志相和せず、雨沢人民に及ばず、小しく畜められたる時なるかなという嘆息の意を寓したものとも見られる。
《彖伝》小畜は柔爻〔六四〕が正位を得て上下の陽爻がこれに応ずる象だから、小畜というのである。その徳が健(すこ)やか〔乾〕で巽(したが)い〔巽〕、二・五の剛爻が中位を占めて志が行われる。だから享るのである。密雲あれど雨ふらずというのは、陰気がさらに上進し陽気とわして雨となることを尚(たっと)ぶのである。わが西郊よりすというのは、雨沢の施しがまだ行われぬことをいうのである。
《象伝》風〔巽〕が天〔乾〕の上行くのが小畜である。風の恩沢がまだ人には及ばぬこの卦象にのっとって、君子はおのれの文章道徳を蓄積涵養し、やがてその施しのあまねからんことを期すべきである。
 
初九:復自道、何其咎、吉。
象曰、復自道、其義吉也。
九二:牽復、吉。
象曰、牽復在中、亦不自失也。
 九三:輿說輻、夫妻反目。
象曰、夫妻反目、不能正室也。
 六四:有孚、血去惕出、无咎。
象曰、有孚惕出、上合志也。
 九五:有孚攣如、富以其鄰。
象曰、有孚攣如、不獨富也。
 上九:既雨既處、尚德載、婦貞厲。月幾望、君子征凶。
象曰、既雨既處、德積載也。君子征凶、有所疑也

〔読み〕
 初九。復(かえ)ること道による。何ぞそれ咎あらん。吉なり。
 象に曰く、復ること道によるとは、その義吉なるなり。
 九二。牽(ひ)きて復(かえ)る。吉なり。
 象に曰く、牽きて復りて中に在り、またみずから失わざるなり。
 九三。輿(くるま)幅(とこしばり)を説く。夫妻反目す。
 象に曰く、夫妻反目すとは、室を正すこと能わざるなり。
 六四。孚(まこと)あり。血(いたみ)去り惕(おそ)れ出づ。咎なし。
 象に曰く、孚あり、惕れ出づとは、上、志を合わせばなり。
 九五。孚ありて、攣如(れんにょ)たり。富その隣と以(とも)にす。
 象に曰く、孚ありて、攣如たりとは、独り富めりとせざるなり。
 上九。既に雨ふり既に処(お)る。徳を尚(たっと)びて載(み)つ。婦は貞なれども厲(あやう)し。月望に幾(ちか)し。君子も征けば凶なり。
 象に曰く、既に雨ふり既に処るとは、徳積みて載てるなり。君子も征けば凶なりとは、疑わしきところあればなり。
〔解読〕
 初九は剛陽居下、上卦に進もうとする志が強いが、正応たる六四の陰爻にひきとどめられ、引き返して正道を守るを得た。どうして咎のあるはずがあろう。吉である。
 《象伝》復ること道によるというのは、その行いの正しさが吉なのである。
 九二は剛陽居中、初九と牽きあって進みまた牽きあって引き返す。吉である。
《象伝》牽きあって引き返し中位に安んずるのであるから、みずからの守るべき道を失わないのである。
九三は過剛不中、上に進もうとしても六四に引きとどめられ進むことを得ない。たとえて言えば、車の幅〔よこしばり、輹に通ずる、車軸の上にあり車軸と車体を結ぶ革〕がほどけて車体と車輪が離ればなれになり、動かすことが出来ないようになったようなもの。しかも陽剛の身で陰柔に引きとどめられるのであるから心中おだやかならず、たとえて言えば夫妻の仲がしっかりゆかず反目しあうようなものである。
《象伝》夫妻反目すというのは、家庭を正しくおさめることができぬことである。
六四は卦中ただ一つの陰爻ながら正位に居り、しかも上の九五の助けがあるから、誠信をつくしてその人を頼れば、やがては受けた傷の痛みも去り、憂懼不安もなくなり、咎なきを得る。
《象伝》孚あり惕れ出づというのは、上の人が心をあわせてくれるからである。
九五は陽剛中正、誠信をつくし攣如(れんにょ)すなわちひとと手を執りあって事にあたる。富も独占しようとはせずその隣人(六四)と分け合うほどの心意気である。「富みてその隣を以(ひき)ゆ」とも読む。
《象伝》孚ありて攣如たりというのは、自分だけ富もうなどとは考えぬことである。
上九は卦極、小畜すなわち小〔陰〕が衆陽をひきとどめることも極点に達し、陰陽和合して今までの密雲雨ふらざる状態が終り、すでに雨ふり陰陽ともに安らかに処(お)ることを得る象。これは陽が陰を尊び、陰の徳が積もり積もって満ちたからに外ならぬ。しかし陰の徳が積もり満ちて陽をしのぐほどになるのは順当なことではない。たとえば妻たる者はいかに徳あればとて夫を制するような振舞いをしてはならぬであろう。だから妻としてこのような立場に在るものは、いかに貞正であっても危ういと言わねばならぬ。またたとえれば月が満月に近づき、その光が太陽とまぎらわしい状態とも言える。このような時期においては、君子も強引に進もうとすることは凶である。
《象伝》すでに雨ふりすでに処るというのは、陰の徳が積み重ねられて満ちたからである。君子も征(ゆ)けば凶というのは、陰〔小人〕の力が強くて陽〔君子〕とまぎらわしい状態だからである。
 
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新コメント
[EugenePum 04/29]
[m1WIN2024Saulp 04/22]
[DavidApazy 02/05]
[シン@蒲田 02/05]
[нужен разнорабочий на день москва 01/09]
[JamesZoolo 12/28]
[松村育将 11/10]
[爺の姪 11/10]
[爺の姪 11/10]
[松村育将 11/09]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/