瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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  昨12月8日は、「太平洋戦争開戦の日」からちょうど70周年の日であった。
 1941(昭和16)年12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃、3年9ヶ月に及ぶ大東亜戦争対米英戦(太平洋戦争)が勃発した。
2d7c98fc.JPG 「12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」という意味の暗号電文「ニイタカヤマノボレ1208」が船橋海軍無線電信所から送信され、戦艦アリゾナ等戦艦11隻を撃沈、400機近くの航空機を破壊して、攻撃の成功を告げる「トラトラトラ」という暗号文が打電されたという。
 この作戦はあくまでも奇襲作戦であったというが、駐米大使らの怠慢から歴史に汚点を残す“だまし討ち”となった。ワシントンで交渉していた野村・来栖両大使がアメリカ側に、最後通牒を手渡してから攻撃を開始することになっていたというが、最後通牒の文書の作成が大幅に遅れたため、事実上、宣戦布告なき開戦となったのだという。アメリカは「リメンバー・パールハーバー」を戦争遂行の合言葉として、厭戦気分の米国民を鼓舞する結果となったのである。
d4709ca5.JPG また、真珠湾攻撃の1時間5分前、日本陸軍第25軍第18師団は、宣戦布告なしで、不意討ち的にマレー半島のコタバルに上陸し、英軍と戦闘を開始。これは米の対日石油禁輸に対抗して「重要国防資源の獲得」を東南アジアに求め、更には援蒋(蒋介石・国民党政府への支援)ルート遮断を狙ったものであったという。
 当時の日本では、「大詔奉戴日」と呼ばれた日となり、朝早くから流れる軍艦マーチの合間に、米国と戦闘状態に入ったニュースを胸躍らせながら聞いた多くの日本国民は期せずして一転、塗炭の苦しみを味わうことになったのである。
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