瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 韓非子 説難篇第十二 より
 昔者鄭武公欲伐胡,故先以其女妻胡君以娛其意。因問於群臣:“吾欲用兵,誰可伐者?”大夫關其思對曰:“胡可伐。”武公怒而戮之,曰:“胡,兄弟之國也,子言伐之何也?”胡君聞之,以鄭為親己,遂不備鄭,鄭人襲胡,取之。宋有富人,天雨牆壞,其子曰:“不築,必將有盜。”其鄰人之父亦云。暮而果大亡其財,其家甚智其子,而疑鄰人之父。此二人說者皆當矣,厚者為戮,薄者見疑,則非知之難也,處知則難也。故繞朝之言當矣,其為聖人於晉,而為戮於秦也。此不可不察。
 昔者彌子瑕有寵於衛君。衛國之法,竊駕君車者罪刖。彌子瑕母病,人閒往夜告彌子,彌子矯駕君車以出,君聞而賢之曰:“孝哉,為母之故,忘其刖罪。”異日,與君遊於果園,食桃而甘,不盡,以其半啗君,君曰:“愛我哉,忘其口味,以啗寡人。”及彌子色衰愛弛,得罪於君,君曰:“是固嘗矯駕吾車,又嘗啗我以餘桃。”故彌子之行未變於初也,而以前之所以見賢,而後獲罪者,愛憎之變也。故有愛於主則智當而加親,有憎於主則智不當見罪而加疏。故諫說談論之士,不可不察愛憎之主而後說焉。夫龍之為蟲也,柔可狎而騎也,然其喉下有逆鱗徑尺,若人有嬰之者則必殺人。人主亦有逆鱗,說者能無嬰人主之逆鱗,則幾矣。

 昔、鄭武公は胡 (こ) を伐 (う) たんと欲す。 /故に先 (ま) ずその女 (むすめ) を以て胡君に妻 (め) あわし、以てその意を娯 (たの) しましめ、因りて群臣に問わく "吾 (われ) 兵を用いんと欲す、誰をか伐つべき者ぞ?" と。/ 大夫―関其思、対 (こた) えて曰く "胡、伐つべし!" と。/ 武公、怒りてこれを戮 (りく) して曰く "胡は兄弟 (けいてい) の国なり。/ 子、これを伐てと言うは何ぞや!" と。/ 胡君これを聞き、鄭を以て己に親しむとなし、遂に鄭に備えず。 /鄭人 (ていひと) 胡を襲いこれを取る。
宋に富人 (ふじん) あり。 /天 (てん) 雨 (あめ) ふり、墻 (かき) 壊る。 /その子曰く "築かざれば必将 (かなら) ず盗あらん" と。 /その隣人の父 (ほ) も亦 (ま) た云 (い) う。/ 暮れて果たして大いにその財を亡 (うしな) う。/その家、甚だその子を智として隣人の父を疑う。
 此の二人(関其思、隣家の父)の説はみな当たれるも、厚き者は戮となり、薄き者も疑わる。/則ち知ることの難きに非ず。 知ることに処すること、則ち難し。/ 故に繞朝の言は当たれるも、それ晋に聖人とせられて、秦に戮せらる。 此れ、察せざるべからず。
昔、弥子瑕は衛君に寵あり。/ 衛国の法は、窃 (ひそ) かに君車を駕 (が) する者は、罪 (つみ) 刖 (げつ)なり。 /弥子瑕の母 (はは) 病 (や) み、人 (ひと) 間 (ひそ) かに夜に往き、弥子 (びし) (弥子瑕) に告 (つ) ぐ。 /弥子、矯 (いつ) わり君車を駕して以て出づ。/ 君 (くん) 聞きて、これを賢として曰く "孝なるかな! 母の故 (こと) の為に、その刖罪 (げつざい) を忘る" と。/ 異日、君と果園に遊ぶ。 桃を食 (く) らいて甘 (うま) しと尽くさず、その半 (なか) ばを以て君に啗 (く) らわしむ。 君曰く "我を愛するかな! その口味を忘れ、以て 寡人 (かじん) に啗(く)らわしむ" と。/ 弥子、色の衰えて愛の弛 (ゆる) むに及び、罪を君に得 (う)。/ 君曰く "是れ、固 (もと) 嘗 (かつ) て矯わり吾 (わ) が車を駕し、また嘗て我に啗(く)らわすに余桃 (よとう) を以てす" と。
 故に、弥子の行い未だ初めに変わらざるも、前の賢とせらるる所以を以て、後に罪を獲 (う) るは、愛憎の変わればなり。 /故 (すなわ) ち、主に愛あらば則ち智は当たりて親を加え、主に憎あらば則ち智は当たらず、罪 (つみ) せられて疏 (そ) を加う。/ 故に諫説 (かんぜい) 談論の士は、愛憎の主を察して、而る後に説かざるべからず。
 夫れ竜の虫(動物)たるや、柔狎 (じゅうこう)して騎 (の) るべきなり。/ 然れどもその喉下 (こうか) に逆鱗 (げきりん) の 径 (けい)尺 (しゃく) なるあり、若 (も) し人のこれに嬰 (ふ) るる者あらば、則ち必ず人を殺す。 /人主にも亦た逆鱗あり、説者 (ぜいしゃ) 能 (よ) く人主の逆鱗に嬰るることなくんば、則ち 幾 (ちか)し。

〈訳〉昔、鄭の武公が虎を伐とうと思った。/祖の公女を胡君に嫁入りさせ、先方の歓心を買ってから、群臣に向かって、「私は戦いをしようと思うが、どの国を伐ったらよいだろうか」と、訊ねると、大夫の関其思(かんしき)が云った。/「胡を伐ちましょう」/すると武公は怒って彼を殺し、「胡は自分の兄弟の国だ。それを伐てというのはなにごとだ」/胡の君主はこのことを聞いて、鄭は自分の国に親しみを持っていると考え、とうとう鄭に対して船尾を整えなかった。/鄭の方では、(その油断をみすまし)胡を攻め取った。
 宋に金持ちがいた。ある日雨が降って土塀が崩れた。其の子は言った。「修繕しておかないと、盗難がおこるかもしれませんよ」/隣家の親父も同じことを言った。夜になるとはたして盗賊が忍び込み、貨財をごっそりと盗んだ。その家人は息子を賢い奴だと褒めたが、隣家の親父は(毀れたのに気付くぐらいだから)怪しいといって疑った。この関其思と隣家の親父の二人のり言説はともに正当であった。(しかしながら二人ともその言で禍をまねき)重いほうは死刑に処せられ、軽いほうは疑われた。/これから考えると、事を知るというのが難しいのではなくて、知ったことの扱い方が難しいのである。/だから繞朝(ぎょうちょう)の言は正当であった。そして晋ではこれを聖人と言ったけれど、秦では、自国にふりであるから、死刑に処した。こういうことはよく考えておかなければならない。
 昔、弥子瑕(びしか)という美少年が衛君に寵愛されていた。/元々この衛国の法律に拠ると、許可を得ず、秘かに君主の車に乗る者は刖罪(あしきりの刑)だということになっていた。さて弥子瑕の母親の病気がひどくなったので、ある人が夜こっそり彼に知らせた。すると弥子瑕は、君の許可があったと偽って君の車に乗って宮を出た。後で君はこのことを聞くと、彼を褒めてこう言った。「まことに孝行者だ。母のためには足を斬られる罪をも忘れたではないか」/又、ある日弥子瑕は、君に随って果樹園を散歩したことがあったが、彼は桃を取って食べた所、余りに美味かったので食べてしまわないで、その半分を君に勧めた。君は喜んで、「なんと俺を大事にしてくれることよ。彼は美味い味も忘れて、わたしにたべさせた」と言った。/その後弥子瑕は容色衰え、寵愛も緩んでから、何かのことで君の咎めを受けることになると君はこういった。「こやつは、昔俺の命令だと偽って、俺の車に乗ったし、また、俺に食い残りの桃を食わせた」
9ec9df63.JPG 考えてみると、弥子瑕の行いは今も初めと変っていないのに、以前、霊公(衛君)から褒められたことがのちに罰せられる元となったのは、君主の愛情の情がかわったからである。だから、臣下が君主に愛せられている時はその知恵は君主の心に適い、いよいよ親しまれるが、君主に憎まれている時は、同じ知恵でも君主の心に適わず、罰せられ、いよいよ疎(うと)んじられる。だから、君主を諌め君主を説得しようとする人は、君主が私を愛しているか憎んでいるかを見抜いて説かなければならない。/いったい龍と言う動物は、馴らして乗ることができる。だが、その喉の下には径一尺ばかりの逆鱗がある。もしこれに触れるものがあったら必ずころされる。君主を説得しようとする人が、注意して君主の逆鱗に触って怒らせることをしないなら、まず成功に近い。

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