瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 入谷鬼子母神(真源寺)が朝顔市で有名になったのは明治時代に入ってからで、江戸後期頃から当地で盛んだった朝顔栽培を人々に見せるために、当寺院の敷地内で栽培農家が披露したことがその起源である。明治時代を中心に、入谷界隈で朝顔作りが盛んになり数十件が軒を連ねたという。当地の朝顔は全国でも指折りの出来であったといい、朝顔のシーズンになると、入谷界隈には朝顔を見物しに、多くの人でごったがえしたという(無論植物園などと違い、商品として栽培しているのでそのまま商売となった)。その後、宅地化の流れにより入谷界隈での栽培が難しくなり、大正2年になって最後の栽培農家が廃業して、朝顔市は廃れてしまったが、戦後1948年に、地元の有志と台東区の援助の元、再び入谷で朝顔市が復活することになり、現在では例年、七夕の前後3日間(7月6日、7日、8日)に当寺院と付近の商店街で開催され、下町の夏の風物詩としてすっかり定着している。
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1f0c7275.jpg 今朝ほどは真源寺足を伸ばしてみたが、本年度は震災の自粛ムードもあって、中止になったらしい。真源辞の境内はひっそりとして、柘榴が実り始めていた。
 帰路は昭和通から、かっぱ橋本通りにはいると、こちらのほうは例年よりは縮小したとはいえ、通り一杯に七夕の飾り付けがしてあり、正面に見えるスカイツリーが花を添えていた。

0cb7b39e.JPG 韓非子の思想は、皮肉なことに韓非子の出身国である韓ではなく、敵対する秦の始皇帝によって高く評価された。これは秦の孝公の時代に商鞅が法家思想による君主独裁権の確立を済ませていた事が大きく作用しているのだろう。全五十五篇、十余万言からなるうち、始皇帝を感激させた篇は「孤憤篇」「五蠹篇」の二篇であるという。孤憤篇第十一は治術を心得、法律に通じている士は、君主に近づくことも出来ず、姦臣・重人からは圧迫され、孤立することを述べ、その孤立を嘆く篇であり、五蠹篇第四十九は国を乱す害虫あるいは寄生虫のごとき者が五種類あるので、君主はこれを警戒し、その言行を認めてはならぬことを説く。

 韓非子 五蠹篇第四十九より
 楚之有直躬、其父竊羊而謁之吏、令尹曰、“殺之、”以為直於君而曲於父、報而罪之。以是觀之、夫君之直臣、父之暴子也。魯人從君戰、三戰三北、仲尼問其故、對曰、“吾有老父、身死莫之養也。”仲尼以為孝、舉而上之。以是觀之、夫父之孝子、君之背臣也。故令尹誅而楚姦不上聞、仲尼賞而魯民易降北。上下之利若是其異也、而人主兼舉匹夫之行、而求致社稷之福、必不幾矣。古者蒼頡之作書也、自環者謂之私、背私謂之公、公私之相背也、乃蒼頡固以知之矣。今以為同利者、不察之患也。
 楚人に直躬(ちょくきゅう)といふもの有り。其の父羊を窃(ぬす)み、而して之を吏に謁ぐ。/令尹曰はく、「之を殺せ。」と。/以為へらく、「君に直なれども、父に曲なり。」と。/執へて之を罪せり。/是を以て是を観るに、夫の君の直臣は、父の暴子なり。/魯人君に従ひて戦ひ、三たび戦ひて三たび北ぐ。/仲尼其の故を問ふ。/対へて曰はく、「吾に老父有り、身死せば之を養うもの莫きなり。」と。/仲尼以て孝と為し、挙げて之を上せり。
是を以て之を観るに、夫の父の孝子は、君の背臣なり。/故に令尹誅して楚の姦上聞せられず、仲尼賞して魯の民降北を易んず。/上下の利、是くのごとく其れ異なるなり。/而るに人主兼ねて匹夫の行ひを挙げて、
而も社稷の福を致さんことを求むるも、必ず幾せられざらん。/昔者蒼頡の書を作るや、自ら環らす者之を私と謂ひ、私に背く之を公と謂ふ。/公私の相ひ背くや、乃ち蒼頡固より以に之を知る。/今以て利を同じくすと為すは、察せざるの患ひなり。
〈訳〉楚人に直窮という者がいた。その父が羊を盗んだので、直窮はことことを役人に告げた。/令尹(楚国の上卿)は、「その子を死刑にせよ」と言った。/これは、「この者は君主に対しては正直であるが、父に対しては非道である」と考えたからである。/そこで(役人)は捕えてこれを罰した。/これから考えると、君にとって忠臣であるものは、父にとって善からぬ子となる。/魯国の人で、その君に随って戦った者がある。三度の戦いで三度とも逃げた。/仲尼がその理由を訊ねたところ、こう答えた。「私には老父がございます。この私が死にますと、父を養うものがございません」/ これをきいて、仲尼は孝子といって抜擢して地位を上げるように計らった。
50c0e3a4.JPG これからみると、かの父にとって孝子となるものは君にとっては叛臣となる。すなわち令尹が子を罰したため、楚の悪事は上申されなくなり、仲尼が子を賞したため、魯の民はすぐ降伏し、逃走する様になった。上下の利益はかようにちがっている。したがって君主が私人として行為をたたえるとともに、国家の福を招き寄せようとおもっても、上下の利益はかようにちがっている。したがって君主が、私人としての行為を称えるとともに、国家の福を招きよせようと思っても、それは絶対に見込みの無いことである。昔、蒼頡が文字を作るにあたり、自らいとなむのを厶(私の古字)とし、厶にそむくものを公(八は背の意)とした。公私が互いに相反することは、蒼頡もすでに知っていたことである。ところが今となっては公私の利が同じだとするのは、ものを見極めないことから起こる患(わざわ)いである。

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