瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[873] [872] [871] [870] [869] [868] [867] [866] [865] [864] [863]
 明日は、七夕(しちせき)の節句である。予報によればどうやら一日中雨という。

72efb841.JPG 織女と牽牛の伝説は『文選』の中の漢の時代に編纂された「古詩十九首」が文献として初出とされているが、まだ7月7日との関わりは明らかではないようだ。
織女や牽牛という星の名称は 春秋戦国時代の『詩経』が初出とされているが、どの星を指すかは定かではない。前漢の『史記』天官書を見るとかつての牽牛は牛宿のことであり、現在の牽牛すなわちアルタイルは河鼓(天の川の太鼓)と呼ばれる星座の一星である。七夕伝説の発展により、より説話に相応しい位置に遷されたものと思われる。

詩経 小雅 谷風之什
有饛簋飧、有捄棘匕。周道如砥、其直如矢。君子所履、小人所視。睠言顧之、潸焉出涕。
 饛(み)ちたる簋(き)飧(そん)有れば、捄(まが)れる棘匕(きょくひ)有り。周の道砥の如くなれば、其の直きこと矢の如し。君子の履(ゆ)く所、小人の視る所。睠(かえり)み言(ここ)に之を顧みる、潸(さん)焉として涕を出だす。
〈訳〉簋(き)に盛(も)りし飯(いい)につけたる/棘木(いばらぎ)の匕(かい)は曲(ま)がれど/周道(おおみち)は砥石(といし)にも似て/直きこと矢にかも似たる/世の上(かみ)の人の踏む道/庶民(もろびと)の仰ぐ所も/かくてこそありにしものと/思い忍び涙ながるる
小東大東、杼柚其空。糾糾葛屨、可以履霜。佻佻公子、行彼周行。旣往旣來、使我心疚。
 小東大東、杼(じょ)柚(じく)其れ空(つ)く。糾糾たる葛の屨(くつ)、以て霜を履む可し。佻佻(ちょうちょう)たる公子、彼の周行(おおじ)を行く。旣に往き旣に來りて、我が心を疚ましむ。
〈訳〉東(ひんがし)の遠近(おちこち)の国/織る機(はた)も今は空(つ)きたり/あざなえるこの葛(くず)の履(くつ)/置く霜の道踏むべしや/身も軽き若子(わくご)は/周道(おおみち)を/い行き通へど/見つつわが心は疚(や)みぬ
有洌氿泉、無浸穫薪。契契寤歎、哀我憚人。薪是穫薪、尙可載也。哀我憚人、亦可息也。
 洌たる氿(き)泉有り、穫(か)れる薪を浸すこと無かれ。契契として寤めて歎く、哀しき我が憚(たん)人。是の穫れる薪を薪とせば、尙わくは載す可し。哀しき我が憚人、亦息う可し。
〈訳〉涌き出ずる冷たき泉に/な浸(ひた)しそ獲(か)りし薪(たきぎ)を/物思い夜半(よわ)に嘆かゆ/哀しきは我が憚人(つかれびと)/浸したるこれの薪は/願わくは載せて帰らむ/哀しきはわが憚人/またしばし息(いこい)あらなむ
東人之子、職勞不來。西人之子、粲粲衣服。舟人之子、熊羆是裘。私人之子、百僚是試。
 東人の子は、職(もっぱ)ら勞しめども來(ねぎら)わず。西人の子は、粲粲(さんさん)たる衣服せり。舟人の子も、熊羆(ゆうひ)是れ裘とす。私人の子も、百僚に是れ試(もち)いらる。
〈訳〉東人(あずまびと)はただにくるしみ/ねぎらわるることもあらで/西の方(かた)都のひとは/うるわしき衣(きぬ)よそおいぬ/周ひとの族(やから)といえば/熊・羆(ひぐま) 裘(かわごろも)/家の子も百の僚(つかさ)に/ことごとく試(もち)いらるるを
或以其酒、不以其漿。鞙鞙佩璲、不以其長。維天有漢、監亦有光。跂彼織女、終日七襄。
 或は其の酒を以てすれども、其の漿を以てせず。鞙鞙(けんけん)たる佩璲(はいすい)も、其の長きを以てせず。維れ天に漢(あまのがわ)有り、監(かんが)<音鑒>みて亦光有り。跂(き)たる彼の織女、終日七襄(ななやどり)す。
〈訳〉或(ある)はその酒に飽きおり/或はその飲料〈のみしろ〉も得ず/或は玉の佩(お)びもの垂らし/或はその長きを佩びず/天の河空にかかりて/うち監(み)れば光わたれり/三隅(みすみ)なす織女星(たなばたつめ)は/ひねもす七襄(ななやどり)する
雖則七襄、不成報章。睆彼牽牛、不以服箱。東有啓明、西有長庚。有捄天畢、載施之行。
 則ち七襄すと雖も、報うる章を成さず。睆(かん)たる彼の牽牛、以て箱を服(か)けず。東に啓明有り、西に長 庚有り。捄れる天畢有り、載ち之を行(つら)に施す。
〈訳〉七襄ひにはすれども/織り返し章(あや)をもなさず/晥(かがや)けるかの牽牛(ひこぼし)も/いたずらに車をひかず/東(ひんがし)に暁(あけ)の明星/西に宵(よい)の明星/まがりたる兎網(うさぎあみ)なす/天畢(あげくぼし) 行(つら)に施(ほどこ)す
維南有箕、不可以簸揚。維北有斗、不可以挹酒漿。維南有箕、載翕其舌。維北有斗、西柄之揭。
 維れ南に箕有れども、以て簸(は)揚す可からず。維れ北に斗有れども、以て酒漿を挹(く)む可からず。維れ南に箕有れば、載(すなわ)ち其の舌を翕(ひ)けり。維れ北に斗有れば、西に柄を揭げたり。
〈訳〉南(みんなみ)に箕星(みほし)はあれど/はた糠(ぬか)を簸揚(ひあ)げもならず/北の方斗星(いつき)はあれど/酒挹(く)まむこともならず/南に箕星かかりて/舌を引き呑(の)むにも似たり/北の方斗星かかりて/その柄をば西にかかげぬ

8f42afa4.JPG*この詩の序に「大東は乱を刺(そし)る。東国は賦役に苦しみ、生活のよるべを失った。譚の大夫がこの詩を作って東国の病(つか)れを告げた」とある。譚国とは『左伝』魯の荘公十年、斉の軍隊が譚を滅ぼしたというから、その譚国であろう。ともかく西人の搾取に喘ぐ東国の民の怨苦を詠ったものに違いない。後半星を詠った所は美しい。これらの星の名は、みな農村の生活用具になぞらえてつけられている。舌を引き口を広げて物を飲もうとする箕星、西のほうに柄を掲げて、東から汲みとろうとする北斗七星などみな飽くなき西人の搾取を暗示している。

 文撰 古詩十九首 其十
迢迢牽牛星  迢迢たる牽牛星
  皎皎河漢女  皎皎たる河漢の女
  纖纖擢素手  纖纖として素手を擢(あ)げ
  劄劄弄機杼  劄劄として機杼を弄す
  終日不成章  終日 章を成さず
  泣涕零如雨  泣涕 零ちて雨の如し
  河漢清且淺  河漢 清く且つ淺し
  相去複幾許  相去ること複た幾許ぞ
  盈盈一水間  盈盈たる一水の間
  脈脈不得語  脈脈として語るを得ず
〈意訳〉天の川を隔てて遥かな彦星よ、また白く明るい織姫星よ、か細く白い手をぬきんでて、サツサツとして機を織る、一日中織っても布が出来上がらない、織姫の目からは涙が雨のように流れ落ちる
(迢迢は、はるかなさま、皎皎は、白く明るいさま、河漢は天の川、劄劄は機をおるサツサツという音、)
天の川は清くてしかも浅い、互いに隔たる距離はそう遠くはないのに、水の流れる川を挟んで、見詰め合ったまま語ることもできないのだ(盈盈は、水が満ちているさま、脈脈は、じっと見つめ合うこと)

 牽牛織女の伝説は、すでに詩経の中でも歌われているから(前述)、中国の歴史にあって古い起源を有している。伝説の原型は、鷲座(牽牛星・アルタイル)と琴座(織女・ベガ)という二つの星が、向かい合ったままいつまでも結ばれぬ悲しみを詩的なイメージに高めたものであった。魏晋のころになると、二人の間に流れる天の川にカササギが年に一度橋をかけ、そこを二人がわたって結ばれるという話に転化した。それが七夕の節句と結びついて、今日のような七夕伝説へと発展していったのであろう。この詩では、牽牛織女は天の川を挟んだまま結ばれることがない。おそらく、古代の伝説の形がまだ残っていた時代に歌われただろうことを伺わせる。迢迢、皎皎、纖纖、劄劄、盈盈、脈脈と重音を駆使することで、詩にリズムをもたらしているが、これも詩経以来の古代の詩の伝統を踏まえたものといえる。この詩は、古詩十九首のなかで最も人工に膾炙(かいしゃ)したものであり、後世に及ぼした影響にも大なるものがあるという。
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 3 4 5 6
7 8 10 11 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 26 27
28 29 30
最新コメント
[m1WIN2024Saulp 04/22]
[DavidApazy 02/05]
[シン@蒲田 02/05]
[нужен разнорабочий на день москва 01/09]
[JamesZoolo 12/28]
[松村育将 11/10]
[爺の姪 11/10]
[爺の姪 11/10]
[松村育将 11/09]
[松村育将 11/09]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/