瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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百合を詠める歌2
18-4086:油火の光りに見ゆる吾がかづらさ百合の花の笑まはしきかも

※秦伊美吉石竹(はたのいみきいはたけ、生没年不詳)
 系譜などは未詳。秦氏は山背国葛野郡を本拠とし、絹・綿・糸などの生産に従事する秦部・秦人部を配下に、強大な経済力を築きました。なおイミキには「伊美吉」の字も当てられ、混用が見られますが、姓氏録には天平20年忌寸を悉く伊美吉に改めさせたとあります。また759(天平宝字3)10.8には伊美吉を忌寸と改めた旨続紀に見えます(恵美押勝の美を忌字としたため)
18-4087:灯火の光りに見ゆるさ百合花ゆりも逢はむと思ひそめてき

※介内蔵伊美吉縄麻呂(すけくらのいみきなはまろ〈つなまろ/ただまろ〉、生没年未詳)
 系譜未詳です。内蔵氏は東漢(やまとのあや)氏の同族で、坂上氏などと同族といいます。もとは皇室の財物を扱った内蔵の職に携わった氏族です。
18-4088:さ百合花ゆりも逢はむと思へこそ今のまさかもうるはしみすれ

4086番~4088番の標題にある「同月」とは、天平感寶元年(西暦749年)五月です。
18-4113:大君の遠の朝廷と任きたまふ官のまに.......(長歌)
標題:庭中花作謌一首并短謌
標訓:庭の中(うち)の花に作れる謌一首并せて短謌
原文:於保支見能 等保能美可等々 末支太末不 官乃末尓末 美由支布流 古之尓久多利来 安良多末能 等之能五年 之吉多倍乃 手枕末可受 比毛等可須 末呂宿乎須礼波 移夫勢美等 情奈具左尓 奈泥之故乎 屋戸尓末於保之 夏能〃之 佐由利比伎宇恵天 開花乎 移弖見流其等尓 那泥之古我 曽乃波奈豆末尓 左由理花 由利母安波無等 奈具佐無流 許己呂之奈久波 安末射可流 比奈尓一日毛 安流部久母安礼也
          万葉集 巻18-4113
        作者:大伴家持
よみ:大王(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と 任()き給(たま)ふ 官(つかさ)のまにま み雪降る 越に下り来 あらたまの 年の五年(いつとせ) 敷栲の 手枕(たまくら)まかず 紐解かず 丸寝(まろね)をすれば いぶせみと 情(こころ)(なぐ)に なでしこを 屋戸(やと)にまをほし 夏の野し さ百合引き植ゑて 咲く花を 出で見るごとに なでしこが その花妻(はなつま)に さ百合花(ゆりはな) (ゆり)も逢はむと 慰むる 心し無くは 天離る 鄙に一日(ひとひ)も あるべくもあれや

意訳:大王の遠い役所として任命なされて、役職の務めのままに、清らかな雪が降る、越に下り来て、年の気が改まる、そのような年を五年、栲を敷く床で貴女との手枕を巻かず、夜着の紐を解かずに衣を着たままで丸寝をすると、気持ちは落ち込み、心を慰めようと、なでしこを屋敷にお呼びし、夏の野の美しい百合を移植して、その咲く花を、庭に出で立ち眺める度に、なでしこの、その花妻に、美しい百合花に、また、あとで眺めましょうと、慰める気持ちを失くして、都から離れた鄙に一日も、暮らして居られるでしょうか。
左注:同閏五月廿六日、大伴宿祢家持作
注訓:同閏五月廿六日に、大伴宿祢家持の作る
18-4115:さ百合花ゆりも逢はむと下延ふる心しなくは今日も経めやも

18-4116:大君の任きのまにまに取り持ちて.......(長歌)
標題:國掾久米朝臣廣縄、以天平廿年、附朝集使入京、其事畢而、天平感寶元年閏五月廿七日還到本任。仍長官之舘設詩酒宴樂飲。於時主人守大伴宿祢家持作謌一首并短謌
標訓:國の掾(じょう)久米朝臣廣縄、天平廿年を以ちて、朝集使(てうしふし)に附()きて京(みやこ)に入り、其の事畢(をは)りて、天平感寶元年閏五月廿七日に本任(ほんにん)に還(かへ)り到る。仍()りて長官の舘に詩酒の宴(うたげ)を設けて樂飲す。その時に主人(あるじ)守大伴宿祢家持の作れる謌一首并せて短謌
原文:於保支見能 末支能末尓々々 等里毛知氏 都可布流久尓能 年内能 許登可多祢母知 多末保許能 美知尓伊天多知 伊波祢布美 也末古衣野由支 弥夜故敝尓 末為之和我世乎 安良多末乃 等之由吉我弊理 月可佐祢 美奴日佐末祢美 故敷流曽良 夜須久之安良祢波 保止々支須 支奈久五月能 安夜女具佐 余母疑可豆良伎 左加美都伎 安蘇比奈具礼止 射水河 雪消溢而 逝水能 伊夜末思尓乃未 多豆我奈久 奈呉江能須氣能 根毛己呂尓 於母比牟須保礼 奈介伎都々 安我末河君我 許登乎波里 可敝利末可利天 夏野能 佐由里能波奈能 花咲尓 々布夫尓恵美天 阿波之多流 今日乎波自米氏 鏡奈須 可久之都祢見牟 於毛我波利世須
           万葉集 巻18-4116
         作者:大伴家持
よみ:大王(おほきみ)の 任()きのまにまに 執り持ちて 仕(つか)ふる国の 年の内の 事かたね持ち 玉桙の 道に出で立ち 岩根踏み 山越え野行き 京辺(みやこへ)に 参()ゐし吾()が背を あらたまの 年往()き還(かえ)り 月重ね 見ぬ日さまねみ 恋ふるそら 安くしあらねば 霍公鳥(ほととぎす) 来鳴く五月(さつき)の 菖蒲草(あやめくさ) (よもぎ)(かつら)き 酒宴(さかみづき) 遊び慰()ぐれど 射水川(いづみかは) 雪消(ゆきげ)(はふ)りて 逝()く水の いや増しにのみ 鶴(たづ)が鳴く 奈呉江の菅の ねもころに 思ひ結ぼれ 嘆きつつ 我が待つ君が 事終り 帰り罷(まか)りて 夏の野の さ百合の花の 花咲(はなゑみ)に にふぶに笑()みて 会はしたる 今日を始めて 鏡なす かくし常見む 面(おも)変りせず

意訳:大王の任命のままに職務を執り持って仕える国の、一年間の事務を総括して、立派な鉾を立てる官道に出で立ち、岩根を踏み、山を越え、野を行き、都に参上した私の大切な貴方を、年の気が改まる、一年が行き還り、月を重ね、貴方に会えない日が多くなり、恋しいと思う身は気が休まらないので、ホトトギスが飛び来て鳴く五月の、菖蒲草や蓬を蘰として、酒宴に遊び、気持ちを慰めるのだが、射水川の雪解の水が溢れて、流れ逝く水が、一層に増していくだけで、鶴が鳴く奈呉江の菅の、その言葉のように、ねもころに、思いを結んで、嘆きながら、私が待つ貴方は、都での事が終わって、こちらに帰るために都を罷り、夏の野の美しい百合の花が花咲くように、にこやかにほほ笑んで、姿を私に会わせます、その今日を始めとして、鏡を眺めるように、このようにいつも会いましょう。面変わりをすることなく。
※久米広縄(くめの-ひろなわ、生没年不詳)
 奈良時代の官吏です。天平(てんぴょう)20(748)から3年あまり越中掾(じょう)でした。越中守大伴家持(おおともの-やかもち)らと布勢水海(ふせのみずうみ)(富山県氷見(ひみ))をたずね、内蔵縄麻呂(くらの-なわまろ)宅の宴に参加するなどして歌を詠んでいます。「万葉集」巻1819に、長歌1首、短歌8首があります。名は「ひろただ」「ひろつな」ともよみます。
20-4369:筑波嶺のさ百合の花の夜床にも愛しけ妹ぞ昼も愛しけ


 

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