瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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檜扇を詠める歌5
巻4-0619: おしてる難波の菅のねもころに君が聞こして.......(長歌)
標題:大伴坂上郎女怨恨謌一首并短謌
標訓:大伴坂上郎女の怨恨(うらみ)の謌一首并せて短謌
原文:押照 難波乃菅之 根毛許呂尓 君之聞四乎 年深 長四云者 真十鏡 磨師情乎 縦手師 其日之極 浪之共 靡珠藻乃 云々 意者不持 大船乃 憑有時丹 千磐破 神哉将離 空蝉乃 人歟禁良武 通為 君毛不来座 玉梓之 使母不所見 成奴礼婆 痛毛為便無三 夜干玉乃 夜者須我良尓 赤羅引 日母至闇 雖嘆 知師乎無三 雖念 田付乎白二 幼婦常 言雲知久 手小童之 哭耳泣管 俳徊 君之使乎 待八兼手六
          万葉集 巻4-0619
        作者:大伴坂上郎女
よみ:押し照る 難波の菅の ねもころに 君が聞(きこ)しを 年深く 長くし云()へば 真澄鏡(ますかがみ) ()ぎし情(こころ)を 許してし その日の極(きは)み 波の共(むた) 靡く玉藻の かにかくに 心は持たず 大船の 憑(たの)める時に ちはやぶる 神か離()くらむ 現世(うつせみ)の 人か禁()ふらむ 通(かよ)はしし 君も来まさず 玉梓の 使(うかひ)も見えず なりぬれば 痛(いた)もすべ無み ぬばたまの 夜はすがらに 赤らひく 日も暮るるまで 嘆けども 験(しるし)を無み 思へども たづきを知らに 手弱女(たわやめ)と 言はくも著(しる)く 手童(たわらは)の 哭()のみ泣きつつ た廻(もとは)り 君が使(つかひ)を 待ちやかねてむ

意訳:天と地との両方から照らされる難波に生える菅の根のように、密に心を込めて貴方がおっしゃて「年永く末長い仲であれば」と云うと、願うと見たいものを見せると云う真澄鏡を磨ぐような澄み切った私の思いを貴方に許して、その日を境として波と共に靡く玉藻のように、あれこれと揺れ動く気持ちは持たず、大船のように貴方を信頼している時に、神の岩戸を押分けて現れた神が二人の仲を割くのでしょうか、この世の人が止めるのでしょうか、私の許を通っていた貴方もやって来ず、美しい梓の杖を持つ立派な使いも来て姿を見せないようになったので、心を痛めてもどうしようもなく、漆黒の夜は夜通し、明るい昼間は日が暮れるまで、身の不幸を嘆くのですが、その甲斐もなく、貴方を恋い慕っても便りを行う手段も知らないので、手弱女と言われる通りに幼子のように、さめざめと泣いて床に身をよじる。そんな私に貴方からの使いを待つことが出来るでしょうか。
◎怨恨歌とは、恋における女の「怨恨」を主題にした歌で、中国の怨詩などに学んだものでしょうか。作者が関係した男性、藤原麻呂(不比等の四男)や大伴宿奈麻呂(壬申の乱で活躍した大伴安麻呂の第3子、旅人の弟)などへの怨みの歌と見る説もあります。

巻4-0639: 我が背子がかく恋ふれこそぬばたまの夢に見えつつ寐ねらえずけれ

巻4-0702: ぬばたまのその夜の月夜今日までに我れは忘れず間なくし思へば

※河内百枝娘子(かふちのももえをとめ、生没年不明)
 奈良時代の女性。女官とも遊女ともいわれる。大伴家持(おおともの-やかもち)におくった和歌2首が「万葉集」におさめられている。
 この河内百枝娘子は歴史では不明な人物です。ただ、名の河内百枝に注目しますと物部守屋の妻の一人に、中国の梁国を本国とし百済を経由して渡来した河内氏一族の百枝姫がいます。従いまして、場合によっては、河内百枝娘子は物部守屋と百枝姫との間の御子に由来する一族の娘子であったかもしれません。なお、姓(かばね)を持っていませんから、部民ではないでしょうが、非常に格の低い一族の出であることが想像されます。

ウェブニュースより
 妥協せずドラマに新風 橋田寿賀子さん死去 ―― 「私は二流」という言葉を、橋田寿賀子さんの口から何度聞いたろうか。「私が書けるのはセリフだけ。皆さんに褒めてもらえるような文学作品じゃないもの」と続いた。
 それが謙遜ではなく本心だとしても、橋田さんの脚本が、日本のドラマの世界に骨格も鮮やかな独自の風景を持ち込んだことは間違いない。

 その一つが問題提起を含む「辛口ホームドラマ」だ。スタートラインである「となりの芝生」で崩壊する家庭と嫁しゅうとめの確執を容赦なく描いたが、当時としては勇気が必要だったろうし、確信がなければできないことだったに違いない。
 代表作「おしん」は一部で「辛抱ドラマ」と思われた。しかし改めて見ると、その時々の時代背景を踏まえた綿密で壮大な社会派ドラマでもあることがわかる。

 橋田さんは執筆する際、テレビ局と著作権などにかかわる契約を結ばない主義を貫いてきた。「だって契約すれば、途中で降りられないでしょ? いやいや書くなんてまっぴらよ」。その言葉通りいくつかの人気番組を途中降板している。生き方として妥協できない人だった。
 「結婚のおかげです。夫の給料袋という後ろ盾があったから、けんかしてもへっちゃら。原稿料のために無理な仕事を受けなくてもよかったし」と振り返った。
 熱海の山中にある自宅2階に置いたダイニングテーブルで仕事をしてきた。その部屋の仏壇の上に、愛猫を抱いてほほ笑む夫、岩崎嘉一さんの遺影があった。遺影を見上げながら「この笑顔が一番好きだったの」と言う橋田さんの目に、還暦を迎えたばかりで逝った夫への深い愛情と感謝が宿っていた。    【日本經濟新聞 202145 19:00 (202146 5:13更新)


 

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目高 拙痴无
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1932/02/04
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