瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 江戸通りを南へ、何時ものように、榊神社から柳橋を渡り、両国橋に出る。両国橋東からテラスを北上、吾妻橋からは遊歩道を通って桜橋を渡って帰宅した。本日は11299歩、7.3㎞を徘徊した。
3cbba8a0.jpg 榊神社の狛犬の横に「大祓(おおはらえ)」の予告貼札が出ている。大祓(おおはらえ)とは、6月と12月の晦日(みそか、新暦では6月30日と12月31日)に行われる除災行事で、犯した罪や穢れを除き去るための「祓え」の行事と信じられ、6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)、12月の大祓を年越の祓(としこしのはらえ)といわれている。701年、大宝律令によって正式な宮中の年中行事に定められ、この日には、朱雀門前の広場に親王、大臣(おおおみ)ほか京(みやこ)にいる官僚が集って大祓詞(おおはらえのことば)を読み上げ、国民の罪や穢れを祓った。衣服を毎日洗濯する習慣や水などのない時代、半年に一度、雑菌の繁殖し易い夏を前に新しい物に替える事で疫病を予防する意味があった。その後、百年ほどは盛大に行われたが、次第に衰え応仁の乱の頃から行われなくなったという。江戸時代(1691年)に再開され、次第に広まったらしい。1871年の太政官布告にて明治新政府により「夏越神事」「六月祓」の称の禁止と「大宝律令」の「大祓」の旧儀の再興が命じられ、全国の神社で行われるようになった。戦後には「夏越神事」「六月祓」の称も一部では復活し、現在に至っているという。
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6b6ef081.jpg 柳橋に出る。ここ神田川の沿岸には現在においても舟宿(ふなやど)が立ち並んでいる。舟宿とは屋形船や釣舟を業とする商業施設のことで、宿と称しているが宿屋ではなく船の貸し出しを生業(なりわい)とするが、遊里に程近い舟宿の場合は二階に休息所などを設ける場合もあった。このような休息所は社交場として人気が高く、遊里に通う客などに愛された。江戸や大阪などには川が多く、遊び客にとって舟宿は欠かせない存在であったのであろう。特に江戸は縦横に河川や運河がめぐらされており水運都市だったため、随所に船宿が存在したのである。
895761ea.jpg 桜橋を渡っているとテラスに向日葵の大輪が咲いているのが目に付いた。向日葵という和名の由来は、太陽の動きにつれてその方向を追うように花が回るといわれたことからつけられたというが、この動きは生長に伴うものであるため、実際に太陽を追って動くのは生長が盛んな若い時期だけであるという。原産地は北アメリカで日本への渡来は17世紀といわれる。
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