瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 江戸通りを南下して、何時ものように蔵前警察署の横から柳橋までくると、なにやら冷たいものがポツリと来た。新大橋まで足を伸ばそうと思ったが、靖国通りを横断した所で、本降りになってはと両国橋を渡り、引き返すことにした。
4fc9131b.jpg 写真の「もゝんじや」とは、両国で9代続くという「しし鍋」を食わせてくれる店である。ももんじ屋(ももんじや)またはももんじい屋とは、江戸近郊の農村において、農民が鉄砲などで捕獲した農害獣の猪・熊や鹿を利根川を利用して江戸へ運び、肉食させたり、売ったりしていた店のことである。この外牛肉や馬肉は勿論、犬や猿の肉まで肉食させたり、売っていたらしい。表向きは肉食忌避があったから、これらを「薬喰い」と呼んで、猪を山鯨あるいは牡丹、鹿を紅葉などと称したという。江戸では両国広小路、あるいは麹町にあった店が有名であった。獣肉を鍋物にしたり、鉄板で焼いたりし食べていたようで、近代のすき焼きや桜鍋の源流と言えそうだ。幕末には豚肉(猪肉)食が流行し、これを好んだ最後の将軍、徳川慶喜は豚将軍とか豚一殿とあだ名された。これら肉食文化は明治初期の牛鍋の人気に繋がっていったという。
8f8f25ec.JPG 「もゝんじや」の名前の由来については、関東地方で妖怪を意味する児童語のモモンジイ(百々爺=江戸時代の瘋癲爺)に由来しており、江戸時代には尾のある獣や毛深い獣が嫌われてモモンジイと呼ばれたことから、それらの肉を扱う店も「ももんじい屋」と呼ばれるようになったという説があるそうだ。

ff372451.jpg 京葉道路を横切ると、両国橋のほうへ引き返し、テラスに降りる。何時ものように吾妻橋まで川沿いに北上。墨田区役所裏から枕橋を渡り、さらに桜橋を渡って帰宅した。雨のほうはちょっとパラ付いただけで、薄日さえさしだした。Made in chinaのomron万歩計によれば、本日は11574歩にして7.5kmの徘徊だと。

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目高 拙痴无
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1932/02/04
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