瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
どんよりとした曇り空。山谷堀の水門傍の遊歩道から対岸を見ると、東京スカイツリーの建設現場に立つクレーンが見える。今朝は霞んではいたが、よく見るとクレーンの下の骨組みが見えるようになってきた。6月8日に、本体鉄骨組み上げ工事の最初の山場である塔本体を支える3本の脚を地上50mで組み合わせる工事が行われたばかりだという。
桜橋を渡り、墨堤通りを防災住宅沿いに東白鬚公園の北ゲートまで北上する。昨日公園内の神社前を通ったときは気がつかなかったが、寺島門の入口辺りに祭礼の提灯が下がっている。どうやら6月13・14日の土・日は隅田川神社の祭礼であるらしい。隅田川神社の創建については不詳であるが、言い伝えによれば源頼朝が創建したものと伝えられる。もとの名を浮島神社といい、古くは水神社、水神宮、浮島宮などとも呼ばれ、「水神さん」として親しまれてきた。1872年に現在の「隅田川神社」と社名を改名したという。 地域の鎮守神であるとともに隅田川一帯の守り神でもあり、水運業者や船宿など、川で働く人たちの信仰を集めたほか、「水神」の名から水商売の人々にも信仰されたという。かつてはもっと南に位置していたが、1975年に現在地に移転したということである。
北ゲートから、梅若橋の下を通って、東京リハビリテーション病院の前に出ると、水神大橋に出る階段を上り、汐入公園・瑞光橋公園の親水テラスをとおり、瑞光橋南に出ると、石濱神社の前を通り、橋場・今戸の街中を通って、帰宅した。本日の徘徊記録は11360歩、7.3㎞となっている。
桜橋を渡り、墨堤通りを防災住宅沿いに東白鬚公園の北ゲートまで北上する。昨日公園内の神社前を通ったときは気がつかなかったが、寺島門の入口辺りに祭礼の提灯が下がっている。どうやら6月13・14日の土・日は隅田川神社の祭礼であるらしい。隅田川神社の創建については不詳であるが、言い伝えによれば源頼朝が創建したものと伝えられる。もとの名を浮島神社といい、古くは水神社、水神宮、浮島宮などとも呼ばれ、「水神さん」として親しまれてきた。1872年に現在の「隅田川神社」と社名を改名したという。 地域の鎮守神であるとともに隅田川一帯の守り神でもあり、水運業者や船宿など、川で働く人たちの信仰を集めたほか、「水神」の名から水商売の人々にも信仰されたという。かつてはもっと南に位置していたが、1975年に現在地に移転したということである。
北ゲートから、梅若橋の下を通って、東京リハビリテーション病院の前に出ると、水神大橋に出る階段を上り、汐入公園・瑞光橋公園の親水テラスをとおり、瑞光橋南に出ると、石濱神社の前を通り、橋場・今戸の街中を通って、帰宅した。本日の徘徊記録は11360歩、7.3㎞となっている。
この記事にコメントする
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
sechin@nethome.ne.jp です。
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
最新記事
(10/07)
(10/01)
(09/07)
(09/05)
(08/29)
最新コメント
[m.m 10/12]
[爺の姪 10/01]
[あは♡ 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[爺 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター