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松(まつ)を詠める歌1
マツ科の常緑高木です。代表的なものに、海岸付近に見られるクロマツと山に見られるアカマツがあります。花は4月頃に咲き、松ボックリと呼ばれる実が(翌年の)秋になりますね。
松は昔から、神の憑(よ)り代(しろ)、つまり神様が天から降りてこられる木として考えられてきました。今でも、お正月の門松として残っていますね。
万葉集には萩や梅についで多く登場します。「松」を「待つ」に掛けた歌も数多くありますね。
巻1-0011:我が背子は仮廬作らす草なくは小松が下の草を刈らさね
※中皇命(なかつすめらみこと、生没年不詳)
飛鳥時代の歌人です。「万葉集」に長歌1首と短歌4首がおさめられています。中皇命は皇女の身分をあらわす呼称とも、「中立ち」を意味するともいわれ、斉明(さいめい)天皇(594-661)説と間人皇女(はしひとのひめみこ)(?-665)説とが有力です。
巻1-0034:白波の浜松が枝の手向けぐさ幾代までにか年の経ぬらむ
◎「白波の浜松が枝」とありますが、これは有間皇子(有馬皇子)が謀反の疑いで捕えられ紀伊国に移送されるときに松の枝を結んで旅の無事を祈った磐代の浜松と同じ場所でしょう。川島皇子たちが通ったときにも旅の者たちが無事を祈った手向けの幣などが結ばれていたのでしょうが、おそらくはそれを見て有間皇子事件を思い出し皇子の魂を慰める鎮魂歌としてこの歌を詠んだものと思われます。有間皇子の無念の魂を鎮める呪文としての鎮魂歌であるので別段、実作者は誰でもよく、魂を鎮めるためにその場の皆が口ずさんで唱えることが出来ればよかったわけですね。このように、有間皇子の無念の想いは、後の世の人々の心に深く刻まれてこの地を訪れたときにはその無念の魂を慰める歌を詠んで通ったようです。
※川島皇子(かわしまのおうじ、657‐691〈斉明3‐持統5〉)
天智天皇の第2皇子です。母は忍海小竜(おしぬみのおたつ)の女で宮人の色夫古娘(しこぶこのいらつめ)です。681年(天武10)《帝紀及び上古諸事》の編纂に参与し,685年浄大参を授けられました。はじめ天武天皇の子大津皇子と親しかったのですが、686年(朱鳥1)大津が謀反を計画していると密告し、持統天皇らから忠誠をたたえられましたが、友人は情誼のうすいことを非難したといいます。《懐風藻》にその伝と詩1首が収められています。
巻1-0063:いざ子ども早く日本へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ
◎「御津」は難波の港のことで、遣唐使船はここから出向しました。「大伴」とあるのは、御津の港のある地域一帯が大伴氏の領地であったことから。
億良が遣唐使として唐に渡ったのは粟田真人が派遣された702年の時のことで、三野連岡麿(みののむらじおかまろ)も一緒でした。
この時代の唐は遠く中央アジア、ベトナムまでその勢力を広げ、唐の都「長安」はインドや東ヨーロッパの文化が集まる最先端の国際都市のひとつでした。
遣唐使はそんな唐の最先端の技術や文化を学ぶために送られた使節団(形式は日本から絹や水晶などを献上する朝貢)で、この時の遣唐使は二年間を唐で過ごし多くの技術や文化を学んで帰国します。
この歌ではそんな二年の唐での暮らしを経て懐かしき故郷に帰国できることになった喜びが素直な形で表現されていますね。
同時に、「御津の浜松」も待ってくれているだろうと、御津の土地の精霊の加護のあるだろうことも詠い帰国の航海の不安を打ち消す内容にもなっているように思います。そんなご加護もあってか、無事に日本に帰国した一行。
山上憶良はもともとはそれほど高い身分の出ではなかったようですが、帰国後は唐で学んだ知識を活かして官人として活躍し最後は筑前の守などの国主の地位まで出世しました。
巻1-0065:霰打つ安良礼松原住吉の弟日娘女と見れど飽かぬかも
◎「あられ松原」は現在の大阪府住吉区安立町との説が有力です。
おそらくは文武天皇が難波宮に行幸された時に従駕したときのものなのでしょう。「弟日娘(おとひをとめ)」は住吉にいた遊女でしょうか。この時代の遊女は地方を訪れた官人などをもてなすために歌などの教養にも優れた女性が多かったようです。そんな弟日娘とともに見る「あられの降るあられ松原はいつまで見ていても飽きないものだなあ」との、この歌も土地の神の呪いを避けご加護を得ようとした土地讃めの一首ですね。(ちなみに「あられ降る」は「あられ松原」という地名を引き出すための修飾の序詞で、実際に目の前にあられが降っているわけではありません。)
このように、万葉集の時代の人々は旅先でその土地や道々の神々が住むとされる場所を通ったときには、必ず幣をささげたり土地賞めの鎮魂歌を詠ったりして神々に祈りを捧げて通りました。
※長皇子(ながのおうじ、?-715年)
飛鳥(あすか)-奈良時代,天武天皇の第4皇子です。母は天智(てんじ)天皇の娘大江皇女です。弓削(ゆげの)皇子の同母兄となります。栗栖(くりす)王、長田(ながた)王、智努(ちぬ)王、大市(おおいち)王、広瀬女王らの父であります。和歌をよくし「万葉集」巻1・2に5首のせられている。和銅8年6月4日死去しました。長親王、那我親王ともいいます。
巻1-0066:大伴の高師の浜の松が根を枕き寝れど家し偲はゆ
◎「大伴(おほとも)の高師(たかし)の浜」は、現在の大阪府泉北郡高石町一帯にあった浜。
巻1-0073:我妹子を早見浜風大和なる我を松椿吹かざるなゆめ
ウェブニュースより
欧州でコロナ猛威、伊・ギリシャ感染者過去最多 仏は連日20万人超 ―― 欧州で新型コロナウイルスの猛威が続いている。多くの国で新規感染者数が過去最多を更新するなど、感染拡大は収まる様子を見せていない。
イタリアでは30日、新型コロナ新規感染者が12万6888人と、これまでの最多を記録。死者は156人だった。
イタリアではパンデミック(世界的大流行)開始後、新型コロナ感染症による死者は累計13万7247人と、欧州では英国いに次いで2番目、世界では9番目に多い。
フランスは、過去24時間に確認された新規感染者が20万6243人と、連日で20万人を超えた。29日は過去最多の20万8099人だった。今月初めには1日当たりの感染者は5万人を下回っていた。
英保健当局のデータによると、新型コロナ感染症による入院者は1万1452人と、前日から約10%(990人)増加した。
ギリシャでは1日当たりの感染者が3万5580人と、3日連続で過去最多を更新。感染者数は週初から3倍以上増加している。
ガガ保健相は「オミクロン変異株の感染は非常に激しいようだ」とし、オミクロン株が新規感染の60%超を占めると述べた。
ギリシャでは30日夜から、レストランやバー、ナイトクラブなどの営業時間が午前0時までに制限される。大晦日の31日は特例で午前2時まで許可されるという。
またトルコでは、30日の新規感染者が3万9681人と、4月28日以来の高水準となった。 (朝日新聞DIGITAL 2021年12月31日05時45分)
sechin@nethome.ne.jp です。
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