瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
昨日は、T:家の法要で、雨の中を家内と連れ立って大井町の光福寺まで出かけました。家内の叔母の納骨と、その連れ合いの17回忌の法要であった。叔母上は献体していた遺体が大学から戻ってきたというので、納骨がおくれてしまったということでした。大井山光福寺は由緒ある寺で、江戸名所図会にも載せられているさいいます。
浄土真宗 系単立の光福寺は、大井山と号し、延暦 元年(782)11月、顕教房栄順律師が天台宗 神宮寺として開創したと伝えられています。1200年以降に関東六老僧の一人了海上人が父の俗名光福の名をとり、浄土真宗光福寺として再興し、現在に至っているとのことです。
挿絵(江戸名所図会 )には寺の全景のほかに「大井」という井戸が描かれています。これは本堂裏の墓域のなかに「大井」と刻銘された横穴式の井戸があり、かたわらの石碑には「開基了海上人産湯井(かいきりょうかいしょうにんうぶゆのい)」と書かれています。昔、この寺に身を寄せていた了海上人の父が子授けを祈願したところ男の子を授かりました。そのとき寺の境内から忽然と泉が湧き出したので、この水で産湯をつかわせたと伝えています。
また、光福寺の境内は大井の台地を背にして位置し、本堂の前に実に堂々とした銀杏の巨木が立っています。その太さは品川区内最大なのですが、高さも都内の立木としては最大級の40mもあり(むろん銀杏の中ではずば抜けた高さでしょう)江戸時代には海を行き来する船の目印にもなっていたそうです。樹齢は約800年と推定されていますが樹勢は旺盛で、多数の乳根を垂らした樹観から麻布善福寺の銀杏の兄弟木ともいわれています。この記事にコメントする
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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