瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 昨日の孔子閒居の続きです。

 

子夏曰:「五至既得而聞之矣、敢問何謂三無?」孔子曰:「無聲之樂、無體之禮、無服之喪、此之謂三無。--『夙夜其命宥密』、無聲之樂也。『威儀逮逮、不可選也』、無體之禮也。『凡民有喪、匍匐救之』、無服之喪也。」

子夏曰:「三王之德、參於天地、敢問:何如斯可謂參於天地矣?」孔子曰:「奉三無私以勞天下。」

 子夏曰:「敢問何謂三無私?」孔子曰:「天無私覆、地無私載、日月無私照。奉斯三者以勞天下、此之謂三無私。」

 

 そこで、子夏がまた問うた。

「五至ということはこれで知ることができました。ではお尋ねいたしますが、三無とはなんでございましょう」

「声のない楽(がく)、体の無い礼、服のない喪、これを三無という。――詩に、夙夜(しゅく)、命(めい)を其(はじ)めて宥密(ゆうみつ)、とあるのは無声の樂である。威儀逮逮(ていてい)選ぶべからず、とあるのは無体の礼である。凡そ民の喪あるは、匍匐(ほふく)これを救う、とあるのは無服の喪である」

 子夏が問うた。

「三王の徳は、それによって天地の(生成の)事業に参与できるほどであった、と伝えられます。――お尋ねしたいのですが、どのような徳を備えたら天地に参与できるのでしょう」

 孔子は答えた。

「三つの無私の姿を仰いで、みずから天下万民のために苦労することができれば、その王者は天地に参与する者だ」

子夏が尋ねた。「三つの無私とは、何のことでしょう」

 孔子が答えた。

「天には私覆(しふく)が無く、地には私戴が無く、月日には私照がない。この三つの私(わたくし)の無い姿を仰ぎ、〔これを模範として〕天下万民のために苦労するのである」

 

※善政の要件として三無の実行と言う事があり、これは詩経に基いています。

 夙夜、命を其めて宥密す: 周頌 昊天有成命篇

 威儀逮逮、選ぶべからず: 邶風 柏舟篇

 凡そ民の喪あるは、匍匐してこれを救う: 邶風 谷風編 にあります。
  これらについては明日から取り上げようと思っています。

※三王:ここでは三代の王、夏禹、殷湯、周文の三王のことで、周の文王には武王も含まれています。――聖人は天地の化育(万物生成)の事業に参与し、人間でありながら神に等しい能力を有するものという思想が、戦国時代の儒家の間に形成されていたといわれています。

※三つの無私: 天は何のえり好みもせず万物を覆い、地は全てを載せ、日月はえこひいきなく照りわたる、これが三つの無私だというのです。
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感謝申し上げます
大変勉強になりました。
感謝申し上げます。
小山政史 2017/02/05(Sun) 編集
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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