古代中国の少年少女教育は少年少女に対しての集中的な識字教育に始まり、倫理道徳、三綱五常、典章礼節、勤勉勤労、質素倹約知足(質素倹約して足を知る)を中心とした封建思想教育を施すと同時に詩文や一般知識などをも包括した一連の初等教育であったのですが、それは封建社会の安定的な統治を目的とする政治的な色彩の極めて強いものでした。階級に対する意識は極めて強烈で、過度な忠孝や男尊女卑を生み、更には厳格な長幼之序や門閥による貴賤の違いや区別を厳しく強いられることになりました。
“女温柔典雅、四徳三従、孝順父母、惟令是行” 閨訓千字文より
女子は温和で柔順、その立ち居振る舞いは端正優雅でなければならない。女子は四徳三従を心に銘記して常に遵守しなければならない。女子は父母に考を尽くし、その命には唯々諾々として従わなければならない。
※四徳:女子は婦徳(節義を守り品徳を保つこと)、婦言(言葉遣いに気を配り、言い訳や悪口を言わない)、婦容(身を清潔にして常に容姿や挙止を端正に保つこと)、婦功(裁縫、料理、接客などの家事を司り、音楽、礼儀などの女性の美徳にも精通すること)の四つの徳を指す。
※三従:嫁ぐ前には父兄に従い、嫁いでは夫に従い、夫が死して後は子に従うこと。〔出典は礼記(らいき)郊特牲(こうとくせい)第一一〕
【婦人三従の道】
婦人には、三従の道あり。凡そ婦人は、柔和にして、人に従ふを道とす。わが心にまかせて行ふべからず。
父の家にありては父に従ひ、夫の家にゆきては夫に従ひ、夫死しては子に従ふを三従といふ。身を終はるまで、わがままに事を行ふべからず。必ず人に従ひてなすべし。
【婦人七去の法】
婦人に七去とて、悪しき事七あり。女子に教え聞かすべし。一には父母に従はざるは去る。二に子なければ去る。三に淫なれば去る。四に妬めば去る。五に悪しき病あれば去る。六に多言なればさる。七に盗みすればさる。此の七の内、子なきは生まれ付きなり。悪しき病はやまひなり。此の二は天命にて、力に及ばざる事なれば、婦のとがにあらず。 〔いずれも、貝原益軒の『和俗童子訓』巻5【女子を教ゆる法】より〕
※『和俗童子訓』は、寺子屋の教科書として重用されましたが、特に巻5【女子を教ゆる法】は、後に編集され、「女大学」として、戦前まで女子教育の規範とされました。
マヌの法典第5章の婦人の義務のところには「幼いときは父の、若いときは夫の、夫が死んだときは息子の支配下に入るべし。女は独立を享受してはならない。」(妻の貞節・5-148))とある。
※マヌの法典は紀元前2世紀から紀元後2世紀にかけて成立したと考えられている法典(ダルマ・シャーストラ)。世界の創造主ブラフマーの息子にして世界の父、人類の始祖たるマヌが述べたものとされている。バラモンの特権的身分を強調しており、バラモン中心の四種姓(カースト制度)の維持に貢献したとされます。
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