瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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孔子(こうし)曰(いわ)く、君子(くんし)に三畏(さんい)あり。天命(てんめい)を畏(おそ)れ、大人(たいじん)を畏(おそ)れ、聖人(せいじん)の言(げん)を畏(おそ)る。小人(しょうじん)は天命(てんめい)を知(し)らずして畏(おそ)れざるなり。大人(たいじん)に狎(な)れ、聖人(せいじん)の言(げん)を侮(あなど)る。 論語 季子第三六 より

 

 孔先生のお言葉。「君子に畏敬することが三つある。天命を畏敬し、〔天命を受けて天下国家を治める〕大人(たいじん)を畏敬し、〔伝承された〕聖人のお言葉を畏敬する。〔これに反して〕小人は天命などには無頓着で平気であり、大人の権威を小馬鹿にし、聖人の言葉を侮るのである」

 

※天命とは

「論語」に天命として出てくるのは、「為政第二」の『子(し)曰(いわ)く、吾(われ)十有五(じゅうゆうご)にして学(がく)に志(こころざ)す。三十(さんじゅう)にして立(た)つ。四十(しじゅう)にして惑(まど)わず。五十(ごじゅう)にして天命(てんめい)を知(し)る。六十(ろくじゅう)にして耳(みみ)順(したが)う。七十(しちじゅう)にして心(こころ)の欲(ほっ)する所(ところ)に従(したが)いて、矩(のり)を踰(こ)えず。〔先師が言われた。「私は、十五の年に聖賢の学に志し、三十になって一つの信念を以って世に立った。しかし、世の中は意のままに動かず、迷いに迷ったが、四十になって物の道理が分かるにつれ迷わなくなった。五十になるに及び、自分が天の働きのよって生まれ、又何者にもかえられない尊い使命を授(さず)けられていることを悟った。六十になって、人の言葉や天の声が素直に聞けるようになった。そうして七十を過ぎる頃から自分の思いのままに行動しても、決して道理を踏み外すことがなくなった〕→「志学」「而立」「不惑」「知命」「耳順」「従心」」として知られています。』と、上の「季子第三六」の『三畏』の部分だけであります。

 また、孟子には天命について、万章上に、次のように述べています。

之を為すこと莫(な)くして為る者は、天なり。之を致すこと莫(な)くして至る者は、命なり。

 こうしようと思わないのに、そうなっていくのは、天の働きである。招き寄せようと思わないのに、やってくるのは、命の働きである。つまり、「天命」は、人知人為を超えた存在の作用であり、絶対的な存在とも言えるし、俗に運命と言う事もできるのです。
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