瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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元塾生であった渡辺裕氏から、懐かしいメールが入りました。曰く、
 
日高先生
 
初めてメールをさせていただきます、覚えていらっしゃらないとは存じますが、かつて兼愛塾に通っておりました渡辺裕(ワタナベユタカ)と申します。大変ご無沙汰しております。
 
当時の記憶が少し曖昧なのですが、私が塾に通っておりましたのは、1970年から1972年頃で小学4年〜6年生だったと思います。「モミアゲ」の記憶が強いので、多分授業中に騒いでご迷惑をお掛けしていたのではないかと存じます。
 
勉強の事はさておき、70年(4年生)、71年(5年生)と2年続けて仁科へ臨海合宿に行き、4年時はあまり泳げなかったけれど、5年時には遠泳まで参加できるようになったこと、氷砂糖の味、砂浜に戻った時に感じた立てないほど体の重さ…などがずっとずっと心の中に残っておりました。もうかれこれ50年も前の話になります。
 
実は、つい最近になって、ずっと想い出の中にだけあった「兼愛塾、仁科」をネットで検索してみたところ、なんと先生のブログを発見いたしました。
 
その中で当時宿泊していたお寺は『長松寺』であり、大浜海岸で泳いでいたこともわかりました。
 
私の記憶では71年には合宿の途中、雲見へ遠足へ行ったこと、高い防波堤から底まで見える海へ飛び込んだこと、全員が飛び込むまで立ち泳ぎで待っていたことなども思い出としてあり、地図で確認しているうちに居ても立っても居られず、この8月にさっそく西伊豆へ出掛けた次第です。
 
実際の『長松寺』に立つと皆でフォークダンスをした境内、境内からバディを組んで海へ出掛けたこと、お風呂は…そうそう外の建物だったと思い出され、とても感傷的になってしまいました。
 
遠い記憶に実際に触れられたことがとても嬉しくなり、ブログにも「メールも頼むね」とありましたので、甘えさせていただき、日高先生からいただいた素晴らしい経験のお礼を、50年後になって今更ではございますが、感謝の気持ちをお伝えしたくメールを書かせていただきました。
 
2019年になるまでお礼ができなかったことお許しくださいませ。
 
そして私の人生においてとても大切な思い出をいただきましたこと、本当にありがとうございました。
 
不躾ではございますが、822日に参りました長松寺と雲見港の写真も添付させていただきます。

 
それでは突然のメール失礼いたしました。
 
今後もブログを拝見させていただきます、ぜひご自愛ください。
    
渡辺 裕(ワタナベ ユタカ)
    
台東区在住です。

 
早速、返信メールを送りました。曰く、
 
懐かしいメールありがとうございます。
 
余りにも懐かしいので、貴方の了解も得ずに、早速ブログに掲載させていただきました。どうかお許しください。
 
私も87歳、最近は物忘れも多くなり、惚けが進んでいるのではないかと思います。でも、昔のことは不思議と覚えていて、貴方のお名前も朧気ながら覚えています。ただお顔はしっかりとは思い出せません。折があったら写真など送ってくだされば嬉しいです。さらに、同期の方々の消息などお知らせくだされば喜びも倍増です。
 
取り敢えず、御礼まで
                      
日高節夫


 

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プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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