足立は、その昔湿地帯で、そこそこに葦が生い茂っていましたので、葦が立ち並ぶ地、つまり、葦立ちがなまって、アダチになったのだろうとされています。
いつのころかは、はっきりわかりませんが、今の堀切から牛田あたりにかけて、大きな堀がありました。
その堀は、葦の密生する中に青々とした豊かな水をたたえていました。
緑なす葦の葉陰と、豊かな水とは、魚類の絶好の棲みかで、この堀ではたくさんの魚がとれました。
この魚がたくさんとれるという噂は、人の口から口へとしだいに広まって、この堀にも多くの釣り人が集まり、釣り糸を垂れるようになりました。
ところが、そのうちにこの堀に不思議なことがおこるようになりました。それは、魚がたくさん釣れたので、竿を納め喜んで家へ帰ろうと、葦の中の道を歩きだしますと、どこからともなく気味の悪い声が聞こえてくるのです。
「おいてけ! おいてけ!」と、まるで地の底から湧いてくるような低い声なのです。そこで、声の気味悪るさに驚いて、釣った魚をもとの堀にもどせばよいのですが、“せっかく時間をかけて釣ったものだ。誰が置いていくものか。”と、その声には耳を傾けずに、我が家への道をサッサと歩きだしますと、どうでしょう生い茂った葦の道は迷路となつてしまうのです。
そして、同じ所を徃ったり来たりして、葦の茂みから脱け出すことができなくなってしまうのです。万一家に帰ることができたとしても、バケツに入れた魚が、夜中にパシャ、パシャと音をたてていなくなってしまうのです。
朝起きてバケツの周囲を見てみますと、床や土間に、魚の歩いたと思われる胸ビレや尾ビレの跡がはっきりと残っていて、バケツの中には、一匹の魚もいなくなっているのです。
こうしたことから、誰言うともなく、この堀のことを“置いてけ掘”というようになったということです。
今では、この堀の跡形もありませんが、堀切の近くの“置いてけ掘”。共に“掘”の字がついていて、何か深い因縁を秘めているような気がします。
置いてけ掘 の話は、本所の七不思議の中にもあります。また、越谷の見田方にもあります。
川魚は、千住の名産で、特に、スズメ焼き(小ブナを竹串にさして焼いたもの)は、有名でした。
戦前まで、橋戸から河原にかけて、川魚問屋がありました。
足立は、川や池沼の多い湿地帯で、川魚が豊富でした。この川魚を目あてにして鳥類も多く集まり、代々の将軍様の良い“鷹狩り場”になっていました。
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