千住2丁目63に、金蔵寺があります。ここのご本尊は、えんま様です。よく、嘘をつくと、えんま様に舌を抜かれる。といいますが、えんま様は昔から心のこわい神様として印象づけられています。
その顔形からもうなずけることですが、地獄に住み、18人の将官と8万もの獄卒を従えており、死後地獄へ落ちる人間の、生前の善悪を審判懲罰して、不善を防止する大王だとされています。ですから、えんま大王ともいいます。
もと、金蔵寺は、千住宿の飯盛女のお寺とされていました。つまり、身寄りもなく、病に倒れてやり場のなくなった飯盛女を埋葬する“投げ込み寺”の役割をしていたようです。今でも、南無阿弥陀仏と刻まれた供養塔が残っています。
この飯盛女達が、“苦しいこの世界から足を洗えますように”とか、“早く悪い病気が治りますように”と、身の上いっさいのことをお願いしたのが、このえんま様です。
そして、その願いごとがかなえられると、きまって“おそば”をお礼にお供えしたので、いつしか、“そばえんま”の名がつきました。
そのことにつきましては、次のような心温まる話が伝わっています。金蔵寺は、千住宿の東側にある裏街道に面していました。お寺の裏側は、見渡すかぎりの田畑で、牛田、関屋へと続いた静かな所でした。
ところが、いくらも離れていない日光街道沿いには、旅籠(ハタゴ) や旅客相手のお店などが建ち並んで、かなりの賑わいをみせていました。
特に夕方のご飯どきには、食べ物商売の店が繁盛していました。食べ物商売といえば、その中に一軒のそば屋がありました。この店のそばは手打ちで、タレが特別おいしく、多くのお客を集めていました。
ダシのよくきいた、おいしそうなタレの香りは、風向きによっては、それほど遠くはない金蔵寺のあたりにまでとどきました。
ある日のこと、このおそばのタレのおいしそうな香りをかいだおえんま様は、一度でよいからこのよい香りのするものを食べてみたいと思いました。
そこで、えんま様は、生地のままでは恐れられるので、美しい女の人に化けおいしそうな香りを頼りにそば屋を捜しあてました。
さっそく、店に入り念願のおそばを買い求め食べてみました。たった一度でいいからと思ったおえんま様は、翌晩になると昨夜食べたおそばの味が忘れられず、子供のようにまた買いに行きました。
とうとうそうしたことが何日も続いてしまいました。そば屋では、毎晩のように店へ来るあの美しい娘は、“どこの人だろう”と好奇心をもちだしました。
ある晩のことです。「今晩は、おそばをください。」と、いつものように娘がそばを買いにきましたので、店の主人がそっと後をつけてみました。
それとは知らない娘は、急ぎ足で数軒先の路地に入り裏街道に出ました。その裏街道を距離にして数十歩の所で足を止めました。それは、金蔵寺の門前でした。
門前に立った娘は、前後左右を見回したかと思うと、えんま堂の中に吸い込まれるように消えていきました。
それ以後、金蔵寺のえんま様は、おそばが大好物だということになり、祈願してご利益をいただいた人は、そのお礼としておそばを供えるようになったということです。
こうしたならわしは、昭和15年ごろまで続き、えんま様の斎日(サイジツ) の16日になると、近所のそば屋からかなりのおそばが届けられました。
おかげでお寺は、いっときそば屋の観をていしていたということです。現在もなおカゼに効験があるということで、香華の絶えることがありません。
練馬には、“そば食い地蔵”という伝説があり、話の内容が似ています。
※斎日(サイジツ) ものいみの日、精進の日
sechin@nethome.ne.jp です。
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