瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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東海寺は、寛永十五年(1638)に江戸幕府三代将軍徳川家光がたてたお寺で、沢庵和尚が最初の住職となりました。このお坊さんは将軍や多くの大名から尊敬されるほど立派な人だったことから、お寺もあつく保護されていました。そんな東海寺には、次のような七不思議が伝わっています。
 
一.片身のスズキ
 
東海寺には大きな池がありました。ある日、沢庵和尚がお寺に帰ると、台所ではお坊さんたちがまな板にのった大きなスズキに包丁を入れているところでした。和尚が片身のスズキに「喝!」と叫んで池に投げ込むと、スズキはたちまち元気に泳いで池の奥深くへと身をひそめ、いつしか池の主になり東海寺を守ったということです。
 
二.鳴かないカエル
 
お寺の大池にはカエルがたくさんいましたが、一度も鳴いたことがないそうです。これはあるとき、沢庵和尚があまりにもうるさいカエルに喝を入れたためと伝えられています。
 
三.片なりのイチョウ
 
東海寺のイチョウは、なぜか片方にばかり実がなったそうです。
 
四.潮見の石
 
東海寺に古くからある大きな石の水鉢は、潮が満ちるときには水がいっぱいになり、潮がひくときには少なくなってしまうそうです。これは、「潮見の水鉢」と呼ばれました。
 
五.血のでる松
 
山門のそばには一本の大きな松がありました。将軍がお参りするときにはじゃまになるので「じゃまの松」と呼ばれており、とうとう切られることになりました。のこぎりを引き出すと、切り口から赤い血がにじみだし、木こりの手はしびれてしまいました。そこで、お寺ではこの松を特別な木として大切に残すことにしましたが、切り口はずっと赤いままでした。
 
六.火消しのビャクシン
 
裏庭には、唐(中国)から持ち帰って植えられたというビャクシンの木がありました。ある真夜中のこと、沢庵和尚が「唐の金山寺が火事だ、起きろ!」と寺のお坊さんたちを呼び起こし、そのビャクシンの木に水をかけさせました。お坊さんたちは大変驚きましたが、しばらくして金山寺から「おかげで火が消えました」とお礼の品物が贈られたということです。
 
七.千畳づりの蚊帳
 
金山寺からのお礼は、桐の箱におさめられた蚊帳(蚊などを防ぐため、四隅をつって寝床をおおう道具)でした。「千畳づり」という大きさは見当もつきませんが、当時としては日本一だったことでしょう。


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目高 拙痴无
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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