瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 今日は旧暦12月25日、大寒。暦便覧によれば、「冷ゆることの至りて甚(はなは)だしきときなれば也」と記す。冬来たりなば、春遠からじ。爺の仕事部屋から窓越しに見る隅田公園の梅園はぼんやりと紅く色づいている。洟風邪(はなかぜ)はまだ癒りきらないが、隅田公園を20分ほど散策する。梅の開花が始まり、白水仙と寒椿がお互いに清楚な装いを競っている。この身は老いさらばえて、風邪の快復もすっかり長引いている。
隅田公園の梅林
71ea3f67.jpg紅梅(大盃)
85621294.jpg白水仙
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 寒椿
984891ab.JPG 天地の気は巡り流れ、昇り降って循環を繰り返す。太陽は大空を雲の上をはるかに疾走し、四季は虚空をまわって忽ち変転する。ああ人の命の短さよ。誰が永遠の命を保ち得ようぞ。時は疾風(はやて)の如く過ぎ行きて帰らず、老いはいつしかわが身に忍び寄る。
 悲しいかな。川は水を集め流れをなして、水は滔々(とうとう)と終日(ひねもす)過ぎてゆく。この世は人を集めて社会とし、人は段々に老いの坂を下(くだ)り行く。いつの世に新たなる人がなかろうや、そして何人が世に久しく永らえようぞ。野原には春が訪れるたびに新しい花が咲き、草の葉におく露は晨(あした)ごとに消えてゆく。これぞ永遠(とわ)にかわらぬ原理、万物に普遍の法則なのである。梅の花も、水仙も、寒椿も、つかの間に尽きる命に気が付かないのであろうか。
 傷ついた胸にはいや増しに愁(うれ)い多く、悩み深き顔(かんばせ)は衰えて喜びは少ない。ひそやかな思いは糸口となってあらわれ、晴れやらぬ心は騒いで堰(せき)を切る。楽しみの無いこの世を嘆き、在りし日を思い出しては語り草とする。しかしながら寿命は幾ばくも無く燃え尽きて、生あるものはなべて死滅を免れぬ。手足を見ては深く悲嘆し、吾が肉体の消え行く怖れを噛みしめる。やんぬるかな、心を慰める術(すべ)とてもなく、眼に映る死者の顔のさても多いこの虚(むな)しさ。
 冬の野を彷徨(さまよ)えば心切なく、春の花々を手にすれば、思いは募(つの)る。万象はおしなべて悲愁を生む、季節は巡っても時は還らぬ嘆きよ。かくて胸中を鎮(しず)め、自然の摂理に思いを潜(ひそ)める。精神(こころ)はかつ浮かび、かつ沈んで、忽然と世界を超越する。死とは眠りの安らぎと大悟すれば、その到来の早晩を挙げつろうまでもない。過ぎ行く日月の流れにもわが心は泰然として乱されぬ。
 天地の授けた生命を涵養(かんよう)し、聖人の定めた栄誉を忘れ去ろう。苦患から余生を解放し、さてゆったりと老いを楽しもう。
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目高 拙痴无
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92
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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