瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 朝のメールで、Y・Aさんから、2日に我が家で撮った写真がヤフーフォトで届いていた。今年は1日には筑紫野市のR・N兄から楽天グリーティングの音楽入りの年賀状が入ったり、ヤフーフォトなる見慣れないメールが届く。その度にこの阿呆爺戸惑うのであるが、何とか処理することが出来た。
むさい姿の爺婆
b384ed82.JPGY・Aさんと一緒に                     
db1287c1.JPGI・K君がシャッターを押してくれた
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 気候の変り目の祝祭日のことを節日(せちび・せつび)といい、お供え物をしたり行事をおこなって祝ってきたという歴史がある。この節日の供物、「節供(せちく)」という言葉が、節日そのものを指すようになって「節句」ということばになったといわれている。五節句というように、現在にも五つの節句が伝えられている。
1月7日、七草粥で新年を祝う「人日(じんじつ)の節句」
3月3日、ひなまつりとして有名な「上巳(じょうみ・じょうし)の節句」
5月5日、男の子の成長を祝う、こどもの日「端午(たんご)の節句」
7月7日、おり姫、ひこ星の物語で有名な「七夕(たなばた)の節句」
9月9日、菊花の香りの酒で月をめでる「重陽(ちょうよう)の節句」
今日は、1年の節句の初め人日の節句である。
古来中国では、正月の1日を鶏の日、2日を狗(犬)の日、3意日猪(豚)の日、4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日とし、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていた。そして、7日目を人の日(人日=じんじつ)とし、犯罪者に対する刑罰は行わないことにしていたという。また、この日には7種類の野菜(七種=ななくさ)を入れた羹(あつもの)を食べる習慣があり、これが日本に伝わって七種粥になったという。百人一首に「君がため  春の野に出でて  若菜(春の七草)つむ  我が衣手に  雪は降りつつ 」 光孝天皇(こうこうてんのう、830~887年、第58代天皇)  古今集
春の七草
44670cca.JPG四辻善成と河海抄
1ab83614.JPG 日本では平安時代から始められ、江戸時代より一般に定着した。江戸幕府の公式行事となり、将軍以下全ての武士が七種粥を食べて人日(ジンジツ)の節句を祝った。
14世紀の南北朝時代に、四辻の左大臣(よつつじのさだいじん、本名は四辻善成《よしなり》)が源氏物語の注釈書「河海抄(かかいしょう)」の第13巻「若菜」の注釈の中で七草のことを記載している。それが後年、よく知られるところの『せりなずな  御形はこべら  仏の座 すずなすずしろ  これぞ七草』 となって伝えられたということじゃ。ちなみに、この日は新年になって初めて爪を切る日ともされ、七種を浸した水に爪をつけて、柔かくしてから切ると、その年は風邪を引かないといわれているそうじゃ。
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目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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