瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[207] [206] [205] [204] [203] [202] [201] [200] [199] [198] [197]
 早、2月。2日続けての雨で家に閉じ込められていた。本日は日曜日。雨は上がったものの外は強い風が吹いている。午前11時婆様に誘われて、湯島天神まで梅を見にいった。言問通りから、国際通を南下して、浅草通りを西進、さらに春日通りまで、ジグザグに南下したが、途中、本法寺という寺があった。
247d93c9.JPG
0f2ad96e.JPG
683d121a.jpg





 長瀧山 本法寺は、天正十九年(1591)太田道灌の居城のあった江戸城紅葉山に初代日先上人が開山したのが創建であるという。その後、北条氏が滅亡し徳川家康が新たに江戸城を築城した際に紅葉山から外壕にあたる八丁堀に移った。さらに明暦3(1657年)江戸の振袖火事の大火で焼失し、幕府が茶碗用達人、高原平兵衛に賜与した浅草の拝領町屋敷のあった現在の地に移った。住居表示で現在は寿二丁目となっているが、その前の旧高原町という町名はその由来からとったものであるという。江戸中期の享保年間の頃、雷門の浅草寺境内にあった熊谷稲荷を熊谷安左衛門の菩提寺である本法寺に勧請した。この熊谷稲荷は江戸時代から霊験あらたかな稲荷社として信者も多く、江戸誌にも参詣頗(すこぶ)る多しと書かれているように名高い稲荷である。稲荷を祀った狐にも様々な種類があるが、なかでも福徳を授ける福狐(ふっこ)として白狐(びゃっこ)だけが稲荷大明神に選ばれる資格があるといわれている。熊谷稲荷は白狐を祀った稲荷でここ本法寺と弘前津軽藩公が祀った二個所しかない、極めて珍しい稲荷であるという。境内にははなし塚もあった。
68df8915.jpg
0c72ecf8.jpg 春日通をさらに西進して、松坂屋前まで出る。吉野屋で牛肉丼を食って、湯島天神に出る。隅田公園の梅はかなり開いているのに、ここの梅はまだまだ。受験期と在って境内のあちこちに絵馬の山が立ち並んでいた。
不忍通に出て、途中ヨドバシカメラに建ちより、デシカメのバッテリーを購入。上野公園入口から東メグリンで浅草に出て、帰宅した。
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
無題
今日は晴れ上がりましたが、風の強い寒い日でした。
夫婦仲良く湯島へ梅見物に出かけられ、良かったですね。
我家の庭の梅も開き始めております。それを見るにつけ、菅原道真公の句が思い出されます。
途中立ち寄られた「本法寺」のいわれを伺い、行って見たい気がしました。お狐さまも珍しい物とか。
私は北小金の町でスーパー巡りの毎日です。
ブランカ 2009/02/01(Sun) 編集
Re:無題
今度は亀戸天神の梅でも見に行きましょうかね。
 【2009/02/02】
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新コメント
[m.m 10/12]
[爺の姪 10/01]
[あは♡ 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[爺 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/