瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 今年は本日2月3日が節分。節分というのは立春・立夏・立秋・立冬の前日のことをいうのであるが、特に立春が1年の初めと考えられることから春の節分が最も重視されており、一般には単に「節分」といえば春の節分を指すものとなっている。これは立春を新年と考えれば大晦日に相当する訳で、そのため前年の邪気を全て祓ってしまうための追儺(ついな)の行事が行われる。その代表が「豆まき」なのである。
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e75c4155.JPG テレビのニュースなどで賑やかな節分会の風景は、今も昔も変わりないが、日本での行われるようになったのは室町時代以降だといわれている。浅草寺は先進的なお寺だったらしく、大がかりな節分会(せつぶんえ)を行ったのは、関東で最初だったと伝えられているそうじゃ。浅草寺に倣って豆まきの風習がだんだん江戸庶民に広まったのは、江戸の中期以降のことだという。
 浅草寺では『鬼は外』とは言わない。観音様の前には、もともと鬼などはいないから言う必要がないとの考えからである。『福は内』で十分というわけなのである。『江戸名所図会』では、「お札まき」の様子を紹介している。「豆」も「お札」もまいたが、現在は豆だけだ。
 節分には柊の針で鬼の眼を刺し、イワシを焼く激しい煙と臭いで邪気を追い払うのである。“イワシの頭も信心から”(意味:イワシの頭のようなつまらないものでも信仰の対象にしている人には、尊い神仏と同じように霊験あらたかに思われるということ。)ということわざもこの風習からきている。
節分の夜にその年の恵方(歳徳神の在する方位、今年は東北東)に向かって目を閉じて一言も喋らず、願い事を思い浮かべながら太巻きをまるかじり(近畿方言ではでは「まるかぶり」)するのが習わしとされている。
元々、節分とは“節変わり”といって、立春・立夏・立秋・立冬の前夜をいいましたが、室町時代の頃より寒い冬から暖かい春になる立春の前日が重要視され、現在に至っているようじゃ。
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JAICAのHP拝見
甥っ子の娘さんを拝見。才媛である事は私の姪っ子から聞いていましたが、その活躍ぶりは大したものですね。彼女、おばあさんの面影があるよ。私もJICAとは何かをあらためて勉強しました。今日は節分、関西には「鬼は内」「福は外」と言う寺があります。これは鬼も寺に入れ、福を授け外に出すという考え方から来たものです。
鳴尾のゆうさん 2009/02/03(Tue) 編集
Re:JAICAのHP拝見
コメントありがとう。
才媛かどうかは知らないが、本人の努力もあったとは思うが、親が金を掛けた賜物ですなあ。いまは出発点。まあ、全てはこれからでしょうな。まあ、この爺は幸せを願ってやるだけです。
 【2009/02/04】
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1932/02/04
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