瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
今日は、1月29日義父の34回目の命日である。婆様は雨の中、田端の大久寺まで墓参りに行った。あの世なんて信じていない爺はズボラをこいて、お家でお留守番。あの世があろうがなかろうが、故人との佳き思い出は深く胸に刻まれているのだから、墓参りをしなくても、忘れることは無い。爺も婆様もとうに義父が逝った時の年齢を超えている。まあ、何時お迎えが来てもおかしくは無い。出来うることならば、逝くときは独り静かに眠りたい。
人間はおっ死んだらおしまいなのか、あるいは死後の世界があるのかは、全く科学では計り知れない。釈迦はこの事について「有る」とか「無い」とかというような答えは明瞭になさっておられない。したがって、死後の世界はあるともいえないし、ないとも言えないようだ。仏教で説く仏性とはちがい、釈迦は、他の思想家からの「死後に地獄、極楽があるのか、あの世はあるのかないのか」といった観念的な質問に対しては答えずに、ただ沈黙したといい、これを仏教語では「無記答」というのだそうだ。無記とは答えない、無回答ということであるが、悪事を為しながら知らん振りすることとは全く違う。また、仏教以外の思想家が「釈尊は回答できないのだ」と非難すると、釈尊は「もっと大切なことを問うがよい」と正したということである。ここの教示にポイントを置いておけば死後の世界の有無など心配無用なのである。なぜならば、死後の世界があるとするならば今の生き方である「業」によって定まるからだという。
このような問題を、形而上学として退け、とりあえずわれわれの学問の対象とする世界を、現世のこと、この世の問題に限ろうとしたのが、一般にカントの哲学であるとされている。カントの功績によって、神とか死後の世界の問題は、近代の学問の直接のテーマではなくなったといわれている。そしてカントは宗教やあの世の存在を直接否定したのではないにせよ、結果的に宗教を否定する作用を世界に与えたとも評されいる。
今日は1日中雨。何処にも出かけず寝そべっていた。
人間はおっ死んだらおしまいなのか、あるいは死後の世界があるのかは、全く科学では計り知れない。釈迦はこの事について「有る」とか「無い」とかというような答えは明瞭になさっておられない。したがって、死後の世界はあるともいえないし、ないとも言えないようだ。仏教で説く仏性とはちがい、釈迦は、他の思想家からの「死後に地獄、極楽があるのか、あの世はあるのかないのか」といった観念的な質問に対しては答えずに、ただ沈黙したといい、これを仏教語では「無記答」というのだそうだ。無記とは答えない、無回答ということであるが、悪事を為しながら知らん振りすることとは全く違う。また、仏教以外の思想家が「釈尊は回答できないのだ」と非難すると、釈尊は「もっと大切なことを問うがよい」と正したということである。ここの教示にポイントを置いておけば死後の世界の有無など心配無用なのである。なぜならば、死後の世界があるとするならば今の生き方である「業」によって定まるからだという。
このような問題を、形而上学として退け、とりあえずわれわれの学問の対象とする世界を、現世のこと、この世の問題に限ろうとしたのが、一般にカントの哲学であるとされている。カントの功績によって、神とか死後の世界の問題は、近代の学問の直接のテーマではなくなったといわれている。そしてカントは宗教やあの世の存在を直接否定したのではないにせよ、結果的に宗教を否定する作用を世界に与えたとも評されいる。
今日は1日中雨。何処にも出かけず寝そべっていた。
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無題
このところ毎日雨が降りますね。今我家では屋根と外壁の塗装をしているのでこんな天候ですと工事が長引いて困ってしまいます。
私以上に困るのは塗装工の方々でしょう。「土方殺すにゃ刃物は要らぬ、雨の3日も降ればいい。」なんて昔から云われてましたから。
さて、お義父の命日は1月30日でしたね。もう34年になるのですね。命日頃になると故人を思い出すのですから不思議なものです。子供達の誕生祝いに詠んで下さった俳句,流山の畑栽培、佳審を可愛がってくださった事等々。
お義母様はいつも1日と15日には墓参りしてましたね。日高のお義姉様もお義母様に似て信仰心が篤いのですね。
私は出不精で家の仏壇で手を合わせるくらいです。
あの世について
子供の頃のように「死」に対しての恐怖や「死後の世界」への神秘的な好奇心も60を過ぎた今では失せ、ただ現実を受け入れるだけの姿勢でおります。
お義兄様が博識だから、墓参りから釈迦やカントまで思考が飛躍するのですね。学生時代ならともかく今の私には釈迦もカントも難しすぎますね。
私以上に困るのは塗装工の方々でしょう。「土方殺すにゃ刃物は要らぬ、雨の3日も降ればいい。」なんて昔から云われてましたから。
さて、お義父の命日は1月30日でしたね。もう34年になるのですね。命日頃になると故人を思い出すのですから不思議なものです。子供達の誕生祝いに詠んで下さった俳句,流山の畑栽培、佳審を可愛がってくださった事等々。
お義母様はいつも1日と15日には墓参りしてましたね。日高のお義姉様もお義母様に似て信仰心が篤いのですね。
私は出不精で家の仏壇で手を合わせるくらいです。
あの世について
子供の頃のように「死」に対しての恐怖や「死後の世界」への神秘的な好奇心も60を過ぎた今では失せ、ただ現実を受け入れるだけの姿勢でおります。
お義兄様が博識だから、墓参りから釈迦やカントまで思考が飛躍するのですね。学生時代ならともかく今の私には釈迦もカントも難しすぎますね。
Re:無題
毎回のコメントありがとう。
婆様は信仰心は別としてもご先祖詣りに励んでいます。毎月15日には欠かさずこの爺の両親と長兄のご位牌参りをしているようです。
まあ、この爺は罰当たりな理屈ばかり捏ねて、ずぼらと来ているからどうしようもありませんね。
婆様は信仰心は別としてもご先祖詣りに励んでいます。毎月15日には欠かさずこの爺の両親と長兄のご位牌参りをしているようです。
まあ、この爺は罰当たりな理屈ばかり捏ねて、ずぼらと来ているからどうしようもありませんね。
あの世について
ショートショートでしたがとても勉強になりました。そういえば孔子もそういうこと(死後の世界)には一切答えていませんね。厳しく命じたのは、残された人間が何をなすべきか。「論語」は現世についての道標です。きちんと生きていけば、あの世とやらがもしあったとしても心配ないよということでしょうか。
Re:あの世について
コメントありがとう。恵理ちゃんも、上司にも可愛がれてしっかり活躍しているようですね。なによりです。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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