瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
昨日の午後、北海道に執行中のHK氏が、我が家を訪ねてくれた。話によると、休日ごとに北海道のあちこちを旅行しているらしい。彼は、爺とは2回り違いの今年54歳。彼の母親が亡くなったのが54歳であって、健康にはかなり気を使っているようであった。
爺が毎朝8000~10000歩の徘徊に出掛けていることを話すと、彼は北海道で昨年・今年と続けて100㎞ウォーク大会に参加して完歩したと、その完歩証を自慢げに見せてくれた。
来年は東京に帰ってこれるだろうということである。また、元気で再会しようということで別れた。
10月15日(金)の爺のブログ「俺は河原の枯れすすき」にコメントが入った。曰く、「平成枯れすすき:中山晋平は若き頃、台東区立千束小学校の訓導(音楽)をしていました。その縁で中山は戦後、千束小の校歌を作曲しました。僕は越境して富士小に行きましたが、弟は抽選に外れて千束小へ行きました。そのため母は学校行事をかけ持ちしていました。弟は千束小の隣にあった産院で産まれました。いつしか産院は無くなり現在は高齢者の入居施設になっています。千束小の在校生も少ないようですが子供たちはどこへ行ってしまったのでしょうね。 ――ノガミの柏屋卍郎 2010/10/16(土)」
爺ははじめて聞く話なので、インターネットで少し調べてみた。
童謡『シャボン玉』で知られる大正時代の作曲家・中山晋平――。出身は長野県ですが、彼の記念室が浅草の小学校にあります。子どもたちは偉人とのつながりに誇りを持ち、地元からは地域活性化への切り札にとの期待も高まっています。/中山晋平記念室は台東区立千束小学校にあります。中山が10年間音楽の教員をしていたことを記念したものです。有名な『シャボン玉』は、千束小勤務時代につくられました。千束小では20年前に空き教室を記念室に改造して、当時のレコードや楽譜、中山の写真などに加え、『シャボン玉』を作詞した野口雨情とやり取りした手紙も展示されています。
そして、千束小学校の校歌も中山の作曲したもので、その楽譜も展示されています。1952年に作曲した校歌は中山最後の作品となりました。千束小学校の木村和夫校長は「(子どもたちは)こういう偉い先生がうちの学校にいたんだということで誇りに思っております。(校歌が)好きで、よく大きな声で歌っています」と話します。/地元の町会などでは偉大な作曲家の足跡をもっと地域活性化に生かせないかとイベントなどの企画も模索しているといいます。記念室は見学可能ですが、事前に学校への予約が必要だということです。
http://www.mxtv.co.jp/mxnews/youtube_movie.php?video_id=EGDBX-4Nt7A
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目高 拙痴无
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92
誕生日:
1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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