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57a8d464.jpeg Alexandria(アレキサンドリア)のDiophantus〔ディオファントス、生没年不詳、推定生年 200~214年、推定没年 284~298年〕は古代ギリシアの数学者。ディオファントス方程式やディオファントス近似は彼の名にちなむ。彼のArithmeteca(アリスメティカ)における数論は近世の『整数論』の元を開いたものとも言われ「整数論の父」と呼ばれることもある。
 
 エジプトのAlexandria(アレキサンドリア)に住んでいたということ以外は、彼の人生についての詳細は不明。ディオファントスの著した13巻に及ぶ『算術』 ("Arithmetica(アリスメティカ)") が有名である。同書が翻訳された16世紀以降のヨーロッパにおける代数学発展に深く影響した。(現存している同書のギリシャ語版は6巻分のみ、アラビア語版は4巻分であるという。)また、多角数についての著書もあるという。
 最終定理を含めてフェルマーが余白に書き込みをしたのは、Claude-Gaspard Bachet de Méziriac〔クロード=ガスパール・バシェ・ド・メジリアク、フランスの言語学者・古典学者〕によるラテン語版『算術』である。
 
 彼は1次方程式と2次方程式の研究も行っている。たとえば、「2数の和は10で、その2乗の差は40である。2数はそれぞれいくらか?」という問題を次のよう解いている。
 今2数をそれぞれ 5+xと 5-x とすれば、
 題意により、 (5+x)²-(5-x)²=40
  ∴ 20x=40  よって x=2
 したがって、2数は 5+2=7 と 5-2=3 である。
 
 Diophantus〔ディオファントス〕はまた、種々の技巧を凝らして2次方程式を解くことを考えているが、布の数が欠けており、一貫した方法もなかったので、2次方程式の一般的解法は、後のインド人を俟たなければならなかった。
 
 ディオファントスの墓碑銘として知られる問題がある。ギリシァのアテネが地中海を支配していたころ、フェニキア(今のパレスチナ)で発見された石板に刻まれていた古代ギリシアの詞華集の中にある、彼の生涯に関する風刺詩なのだそうだ。曰く、
「ディオファントスの人生は、6分の1が少年期、12分の1が青年期であり、その後に人生の7分の1が経って結婚し、結婚して5年で子供に恵まれた。ところがその子はディオファントスの一生の半分しか生きずに世を去った。自分の子を失って4年後にディオファントスも亡くなった。 ディオファントスは何歳まで生きたか?」
「12分の1」が“頬ヒゲを蓄えるまでの期間”を表して「7分の1」の後に来る話もある。いずれにせよ解は変わらない。
 容易に1次方程式を立てて解くことができる。
  1/6・x+1/12・x+1/7・x+5+1/2・x+4=x
 これをまとめて
  3x/28=9   ∴ x=84 となり、84歳という解が得られる。
 
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