瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
「無」を表す「0」を数の対象として考える概念の発生は、数学上の飛躍的な進歩の過程の一つと考えられている。
バビロニアとマヤ文明では、位取り記数法で空位を示す記号としての 0 が使われていた。バビロニアを含むメソポタミア文明は六十進法、マヤは二十進法を用いており、それぞれで位が 0 であることを示す独自の記号が発明された。しかし 0 そのものを数として扱ってはいなかった。
一方、古代エジプトでは0 の存在を知っていたが発達せず、それを表す記号もなかった。0 を四則演算などで扱うと矛盾が生ずるので、無理数同様、受け入れられなかった。
130年、Claudius Ptolemaeus〔クラウディオス プトレマイオス, 83?~168年頃)がギリシア文字を用いた六十進法の表記において、0 を導入したのが、記録に残っている最も古い、数としての0 である。ただしPtolemaeus(プトレマイオス)が 0 を用いたのは分数部分(分、秒など)だけであり、整数部分(度)には使わなかったという。
その後、インドの数学で「膨れ上がった」「うつろな」の意サンスクリット語では śūnya (シューニャ 膨れ上がった物は中が空であるとの考え方から来ている。)すなわち数としての0 の概念が確立された。Brahmagupta〔ブラーマグプタ、598~668?年〕は、628年に著した『Brahmasphutasiddhanta(ブラーマ・スプタ・シッダーンタ)』において、0と他の整数との加減乗除を論じ、0/0 を 0 と定義した以外はすべて現代と同じ定義をしている。そしてこれがアラビア数学に伝わりal―Khwārizmī〔アル=フワーリズミー、780?~850?年〕の著作の Algoritmi de numero Indorum〔アルゴリトミ・デ・ヌーメロ・インドルム、直訳すると「インドの数に関して」、ラテン語訳〕により西欧に広まっていった。
中国では算木が紀元前から使われており、位取り記数法が確立していたが、空位は空白で表していた。算木を実際に使うときは誤解がないが、それを書写するときは紛らわしい。後に空位を「〇」と書くようになった。これはインドの(0)が輸入されたとも、元々、漢文で空白を表す「囗」が「〇」に変化したともいう。
仏教ではシューニャ(漢訳で空)は真に実在するものではなく、その真相は空虚であると説いている。
※ 空とは、仏教の因果論の究極形であり、因果および因縁の複雑な連関である(したがって、空を理解するにはまず因果および因縁を理解する必要がある)。この世のすべての物事(色)は相互に因縁によって結びつき、ある現象を構成している。この因縁の関係性こそが「空」だという考えである。例えば、そこらの草木を建材として庵を結ぶ場合、庵は草木から作られ、さらに草木も微細に分解していくことができ、どこにも庵という現象は成立していないことになる。つまり、庵は「存在している」とも言えず、「存在していない」とも言えない。このような「有る」と「無い」の二つの極端を離れたあり方を空という。
数の 0 は最小の非負整数である。0の後続の自然数は 1 であり、0 より前に自然数は存在しない。数 0 を自然数に含めることも含めないこともあるが、0は整数であり、有理数であり、実数(あるいは代数的数、複素数)である。
数 0 は正でも負でもなく、素数でも合成数でも単数でもない。しかし、0は偶数である。
以下は数 0 を扱う上での初等的な決まりごとである。これらの決まりはx を任意の実数あるいは複素数として適用して構わないが、それ以外の場合については何も言及していないということについては理解されなければならない。
加法: x + 0 =0 + x = x. つまり 0 は加法に関する中立元である。
減法: x − 0 = x and 0 − x= −x.
乗法: ⅹ · 0 = 0 · x = 0.
除法: x が 0 でなければ0/ⅹ = 0 である。しかし x/0 は、0 が乗法に関する逆元を持たないために、(従前の規則の帰結としては)定義されない。実数の範囲で考えるならば、正の数x に対し、商 x/y の y を 0 に正の側から近づけるならば、商の値は正の無限大に向かって無限に増加する。一方 y を負の側から 0 に近づければ、商の値は負の値に近づく。言い換えれば、左図のように表すことが出来る。
冪乗: x = 0の場合にきちんと定義できないまま残される文脈があることを除けば、
ⅹ⁰ = ⅹ/ⅹ = 1 である。任意の正の実数 x に対して0x = 0 である。
0/0 なる式が、f(x)/g(x) の形の式の極限を決定しようとするなかで、それぞれ独立に分子分母の極限を取った結果として現れるかもしれない。これは不定形と呼ばれる。これは単に必ずしも極限が求まらないということを意味するものではなく、むしろf(x)/g(x) の極限は、それが存在するならば、ロピタルの定理(左図参照)のような別の方法によって求めるべきであるということを意味する。
※ ロピタル侯爵Guillaume Francois Antoine〔ギヨーム・フランソワ・アントワーヌ、1661~1704年〕は、フランスの数学者。微分積分学における平均値の定理の別名、ロピタルの定理にその名を残しているが、当の定理はロピタルの発見によるものではない。ロピタルという名前は一般的に l'Hospital または l'Hôpital と綴られる。
0 個の対象の和は0 であり、 0 個の対象の積は 1 である。階乗 0! は 1 と評価される。
バビロニアとマヤ文明では、位取り記数法で空位を示す記号としての 0 が使われていた。バビロニアを含むメソポタミア文明は六十進法、マヤは二十進法を用いており、それぞれで位が 0 であることを示す独自の記号が発明された。しかし 0 そのものを数として扱ってはいなかった。
一方、古代エジプトでは0 の存在を知っていたが発達せず、それを表す記号もなかった。0 を四則演算などで扱うと矛盾が生ずるので、無理数同様、受け入れられなかった。
130年、Claudius Ptolemaeus〔クラウディオス プトレマイオス, 83?~168年頃)がギリシア文字を用いた六十進法の表記において、0 を導入したのが、記録に残っている最も古い、数としての0 である。ただしPtolemaeus(プトレマイオス)が 0 を用いたのは分数部分(分、秒など)だけであり、整数部分(度)には使わなかったという。
その後、インドの数学で「膨れ上がった」「うつろな」の意サンスクリット語では śūnya (シューニャ 膨れ上がった物は中が空であるとの考え方から来ている。)すなわち数としての0 の概念が確立された。Brahmagupta〔ブラーマグプタ、598~668?年〕は、628年に著した『Brahmasphutasiddhanta(ブラーマ・スプタ・シッダーンタ)』において、0と他の整数との加減乗除を論じ、0/0 を 0 と定義した以外はすべて現代と同じ定義をしている。そしてこれがアラビア数学に伝わりal―Khwārizmī〔アル=フワーリズミー、780?~850?年〕の著作の Algoritmi de numero Indorum〔アルゴリトミ・デ・ヌーメロ・インドルム、直訳すると「インドの数に関して」、ラテン語訳〕により西欧に広まっていった。
中国では算木が紀元前から使われており、位取り記数法が確立していたが、空位は空白で表していた。算木を実際に使うときは誤解がないが、それを書写するときは紛らわしい。後に空位を「〇」と書くようになった。これはインドの(0)が輸入されたとも、元々、漢文で空白を表す「囗」が「〇」に変化したともいう。
仏教ではシューニャ(漢訳で空)は真に実在するものではなく、その真相は空虚であると説いている。
※ 空とは、仏教の因果論の究極形であり、因果および因縁の複雑な連関である(したがって、空を理解するにはまず因果および因縁を理解する必要がある)。この世のすべての物事(色)は相互に因縁によって結びつき、ある現象を構成している。この因縁の関係性こそが「空」だという考えである。例えば、そこらの草木を建材として庵を結ぶ場合、庵は草木から作られ、さらに草木も微細に分解していくことができ、どこにも庵という現象は成立していないことになる。つまり、庵は「存在している」とも言えず、「存在していない」とも言えない。このような「有る」と「無い」の二つの極端を離れたあり方を空という。
数の 0 は最小の非負整数である。0の後続の自然数は 1 であり、0 より前に自然数は存在しない。数 0 を自然数に含めることも含めないこともあるが、0は整数であり、有理数であり、実数(あるいは代数的数、複素数)である。
数 0 は正でも負でもなく、素数でも合成数でも単数でもない。しかし、0は偶数である。
以下は数 0 を扱う上での初等的な決まりごとである。これらの決まりはx を任意の実数あるいは複素数として適用して構わないが、それ以外の場合については何も言及していないということについては理解されなければならない。
加法: x + 0 =0 + x = x. つまり 0 は加法に関する中立元である。
減法: x − 0 = x and 0 − x= −x.
乗法: ⅹ · 0 = 0 · x = 0.
除法: x が 0 でなければ0/ⅹ = 0 である。しかし x/0 は、0 が乗法に関する逆元を持たないために、(従前の規則の帰結としては)定義されない。実数の範囲で考えるならば、正の数x に対し、商 x/y の y を 0 に正の側から近づけるならば、商の値は正の無限大に向かって無限に増加する。一方 y を負の側から 0 に近づければ、商の値は負の値に近づく。言い換えれば、左図のように表すことが出来る。
冪乗: x = 0の場合にきちんと定義できないまま残される文脈があることを除けば、
ⅹ⁰ = ⅹ/ⅹ = 1 である。任意の正の実数 x に対して0x = 0 である。
0/0 なる式が、f(x)/g(x) の形の式の極限を決定しようとするなかで、それぞれ独立に分子分母の極限を取った結果として現れるかもしれない。これは不定形と呼ばれる。これは単に必ずしも極限が求まらないということを意味するものではなく、むしろf(x)/g(x) の極限は、それが存在するならば、ロピタルの定理(左図参照)のような別の方法によって求めるべきであるということを意味する。
※ ロピタル侯爵Guillaume Francois Antoine〔ギヨーム・フランソワ・アントワーヌ、1661~1704年〕は、フランスの数学者。微分積分学における平均値の定理の別名、ロピタルの定理にその名を残しているが、当の定理はロピタルの発見によるものではない。ロピタルという名前は一般的に l'Hospital または l'Hôpital と綴られる。
0 個の対象の和は0 であり、 0 個の対象の積は 1 である。階乗 0! は 1 と評価される。
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目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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