瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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  2次方程式は、エジプトやバビロニアの記録に断片的に現われているが、これを初めて本格的にとりあかったのは、前にも述べたようにHeron(ヘロン)であろうという。Deophantos(ディオファントス)もまた、2次方程式を取り扱ったことはすでに述べた。
 しかし、いずれの場合にも負の数の観念はまだ存在せず、したがって、2次方程式に2つの解があることは認められていなかった。
74f6ecf8.jpeg 正の数、0、負の数の概念を確立し、2次方程式には2つの解がありうることを初めてはっきりと認めたのはインドの人たちである。Āryabhaṭ a(アリヤバータ、476~550年頃〕、Brahmagupta(ブラーマグプタ、598~668年?)、Bhāskara(バースカラ、1114~1185年)は、2次方程式をもっとも一般的な形で取り扱っている。(左図参照)
 これは現在の2次方程式の解き方と全く同じである。Āryabhaṭ a(アリヤバータ)とBrahmagupta(ブラーマグプタ)は、ときには正の解、またときには負の解を採用するということをしている。
 これに対して、2次方程式をこの方法で解き、2次方程式には2つの解がありうることをはっきりと認めたのは Bhāskara(バースカラ)である。彼は次のようにいっている。
「正の数の平方も、負の数の平方も正の数である。したがって、正の数の平方根は2つあって、その一方は正の数、他の数は負の数である。しかし、負の数の平方根は存在しない。なぜなら、負の数は絶対にある数の平方にはなりえないからである」
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