瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
ご承知の通り、文明は大河のほとりに起こった。そしてそのうち最も有名なのがエジプトのナイル河のほとり、バビロニアのチグリス・ユーフラテス河のほとり、インドのガンジス・インダス河のほとり、そして中国の黄河のほとりであった。
インドに起こった数学は、アラビアを経て、やがてヨーロッパに輸入され、ローマの数学と結びついて、种世の数学を形成して言ったのである。
我々の遠い祖先が、まだ、1、2、3、4、…と数を数えることを知らなかった時代に、そこに幾つかのものがあるかを記憶したり、記録しようとする場合には、そこにあるものと1対1の対応がつく見本を利用していた。たとえば、ある未開人が、自分の家畜の数を記録しておこうとする場合には、その家畜の集まりと1対1の対応が付くような刻み目を木の幹につけていたといわれる。英語に刻み目をいみする tally(タリー) という語があるが、辞書で調べてみると「割符、刻み目、計算、得点、金利、計算単位」などを意味するとあるが、これは人類が数を覚え計算を覚えるのに木の幹につけた刻み目から出発したことのよい証拠であろう。
また、未開人の酋長が自分の部族の数を記録しておくのに、小石を1つずつ部族の人たちに渡して、それをまた集めてしまっておくということをする。この場合彼の部族の人たちの集合と小石の集合には1対1の対応があるわけである。英語に小石を意味するcalculus(カルキュラス)という語があるが、これも辞書をひいてみると、「結石、石、計算、微分積分学」など意味するとあるが、これも人類が数を覚え、計算を覚える最初に小石を利用していた証拠になるであろう。
しかし、このような見本がいつも身近に見付かるとは限らないので、人類はそこにある集合の見本として自分自身の身体を使うことに気づいていったものと思われる。その見本として、我々の手と足についている指が最も適しているものであることを発見したのであろう。こうして、人類は
1つ、2つ。3つ、4つ、片手、片手と1つ、……
と数えることを覚えたと思われる。このように、片手でまず1まとまり、次にその1まとまりと1つ、その1まとまりと2つと数えていくとすれば、これはいわゆる5進法である。人類が1度はこの5で1まとまりと考える5進法を使っていた名残りは方々に見出すことが出来る。(左図参照)
しかし、1つ、2つ、3つ、4つ、5つ、6つ、7つ、8つ、9つ、両手、両手と1つ、両手と2つ、……
と両手が終わった時、すなわち10になったとき、それを1まとまりだと考えたとすれば、それは現在われわれが使っている10進法である。
しかし、未開人たちは、両手が終ってもまだ勘定が終わらない場合うには、足の指に移って、
両手と足の指1つ、両手と足の指2つ、……
というように勘定を進めて、両手、両足の指が終わるまで、つまり20まで数えて、それを1まとまりと考えた時期もあったと思われる。
英語では20のことを普通は twenty というが、これは明らかに2(two)という言葉と10(ten)という言葉を合わせて作った言葉である。ところが、1語で20を意味する score という言葉があり、例えば70のことを「three score and ten〔3つの20と10〕」などというのは、昔20を1まとまりと考えていた時代のあることを示す証拠といえる。試みにこの score を辞典でひいてみると、
刻み目、勘定、得点、20、多数
などを意味することが判るが、これは人類が数を覚えていった歴史をあらわすものといえる。最後の〔多数〕というのは、未開人にとって20はもう大きな数であったのであろう。現在でも「沲数回」をいみするものに、「score of times」と言う言い方がある。
しかし、5では1まとめとして小さ過ぎ、20では1まとめとして大き過ぎるという理由と、両手の指は自由に伸ばしたり折ったりできるという理由からであろう、人間は10進法を採用して今日に到っている。1つの単位が10集まって位が上るたびに新しい記号を用いていた。(左図参照)
これに対して、今日用いている記数法においては、
1、2、3、4、5、6、7、8、9と数えていって、その次の10をしめすには、ここにある9つの数字以外にもう1つ「0」という記号を用意しておいて、「10」とする。その次は、
11、12、13、……、20、21、……、90、91、……99、
と進み、10が10まとまった時にも、新しい記号を導入することなく、「100」とする。すなわち、我々は1、2、3、4、5、6、7、8、9 という9つの数字のほかに「0」という記号を用いて、例えば、 2803 のように、たった10個の数字を用いて全ての数を書き表すようになったのである。
このように、0という記号を用い、これを利用して位取り記数法を活用するというこの方法は、インドの人びとの考え出したものであり、このことを普通「0の発見」と呼んでいる。この0の発見こそは、古代インドの人たちが我々に残してくれた最大の遺産というべきであろう。
インドに起こった数学は、アラビアを経て、やがてヨーロッパに輸入され、ローマの数学と結びついて、种世の数学を形成して言ったのである。
我々の遠い祖先が、まだ、1、2、3、4、…と数を数えることを知らなかった時代に、そこに幾つかのものがあるかを記憶したり、記録しようとする場合には、そこにあるものと1対1の対応がつく見本を利用していた。たとえば、ある未開人が、自分の家畜の数を記録しておこうとする場合には、その家畜の集まりと1対1の対応が付くような刻み目を木の幹につけていたといわれる。英語に刻み目をいみする tally(タリー) という語があるが、辞書で調べてみると「割符、刻み目、計算、得点、金利、計算単位」などを意味するとあるが、これは人類が数を覚え計算を覚えるのに木の幹につけた刻み目から出発したことのよい証拠であろう。
また、未開人の酋長が自分の部族の数を記録しておくのに、小石を1つずつ部族の人たちに渡して、それをまた集めてしまっておくということをする。この場合彼の部族の人たちの集合と小石の集合には1対1の対応があるわけである。英語に小石を意味するcalculus(カルキュラス)という語があるが、これも辞書をひいてみると、「結石、石、計算、微分積分学」など意味するとあるが、これも人類が数を覚え、計算を覚える最初に小石を利用していた証拠になるであろう。
しかし、このような見本がいつも身近に見付かるとは限らないので、人類はそこにある集合の見本として自分自身の身体を使うことに気づいていったものと思われる。その見本として、我々の手と足についている指が最も適しているものであることを発見したのであろう。こうして、人類は
1つ、2つ。3つ、4つ、片手、片手と1つ、……
と数えることを覚えたと思われる。このように、片手でまず1まとまり、次にその1まとまりと1つ、その1まとまりと2つと数えていくとすれば、これはいわゆる5進法である。人類が1度はこの5で1まとまりと考える5進法を使っていた名残りは方々に見出すことが出来る。(左図参照)
しかし、1つ、2つ、3つ、4つ、5つ、6つ、7つ、8つ、9つ、両手、両手と1つ、両手と2つ、……
と両手が終わった時、すなわち10になったとき、それを1まとまりだと考えたとすれば、それは現在われわれが使っている10進法である。
しかし、未開人たちは、両手が終ってもまだ勘定が終わらない場合うには、足の指に移って、
両手と足の指1つ、両手と足の指2つ、……
というように勘定を進めて、両手、両足の指が終わるまで、つまり20まで数えて、それを1まとまりと考えた時期もあったと思われる。
英語では20のことを普通は twenty というが、これは明らかに2(two)という言葉と10(ten)という言葉を合わせて作った言葉である。ところが、1語で20を意味する score という言葉があり、例えば70のことを「three score and ten〔3つの20と10〕」などというのは、昔20を1まとまりと考えていた時代のあることを示す証拠といえる。試みにこの score を辞典でひいてみると、
刻み目、勘定、得点、20、多数
などを意味することが判るが、これは人類が数を覚えていった歴史をあらわすものといえる。最後の〔多数〕というのは、未開人にとって20はもう大きな数であったのであろう。現在でも「沲数回」をいみするものに、「score of times」と言う言い方がある。
しかし、5では1まとめとして小さ過ぎ、20では1まとめとして大き過ぎるという理由と、両手の指は自由に伸ばしたり折ったりできるという理由からであろう、人間は10進法を採用して今日に到っている。1つの単位が10集まって位が上るたびに新しい記号を用いていた。(左図参照)
これに対して、今日用いている記数法においては、
1、2、3、4、5、6、7、8、9と数えていって、その次の10をしめすには、ここにある9つの数字以外にもう1つ「0」という記号を用意しておいて、「10」とする。その次は、
11、12、13、……、20、21、……、90、91、……99、
と進み、10が10まとまった時にも、新しい記号を導入することなく、「100」とする。すなわち、我々は1、2、3、4、5、6、7、8、9 という9つの数字のほかに「0」という記号を用いて、例えば、 2803 のように、たった10個の数字を用いて全ての数を書き表すようになったのである。
このように、0という記号を用い、これを利用して位取り記数法を活用するというこの方法は、インドの人びとの考え出したものであり、このことを普通「0の発見」と呼んでいる。この0の発見こそは、古代インドの人たちが我々に残してくれた最大の遺産というべきであろう。
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プロフィール
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目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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