瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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4f3512af.jpeg Omar Khayyám(ウマル・ハイヤーム)は天文学者としても著名であった。1073年にセルジューク朝のスルタンであったMalik Shā栩〔マリク・シャー、1055~1092年、左図参照〕は、当時の様々な優れた科学者たちと共に、天文台を建造して研究するためKhayyám(ハイヤーム)を招聘した。その結果、Omar(ウマル)は非常な精度で一年の長さを計測し、365.24219858156 日という数字を出したが、この値は小数点六位まで正しかった。Omar Khayyám(ウマル・ハイヤーム)が計算したこの暦法は、5000年ごとに僅か1日の誤差しかないものであり、これに対し、今日使用されているグレゴリウス暦は、3330年ごとに1日の誤差を持つ暦法である。
 Khayyám(ハイヤーム)はまた、当時のペルシア暦をどのように改正するかの計算を行った。1079年3月15日に、Malik Shāh(マリク・シャー)は、Khayyám(ハイヤーム)が改正した暦法を施行させた。暦法の改正は、欧州においては、Sosigenes〔ソシゲネス、BC1世紀頃〕の修正に基づきユリウス・カイサルが紀元前46年に暦法を改正しており(ユリウス暦)、更にローマ教皇Gregorius(グレゴリウス)13世〔1502~1585年、第226代ローマ教皇(在位:1572~1585年)〕が、Aloysius Lilius〔アロイシウス・リリウス、1510~1576年〕の修正暦に基づき、1552年2月に改正した暦(グレゴリウス暦)と並ぶ業績であった(グレゴリウス暦は、しかし、グレート・ブリテンにおいては、1751年に至るまでユリウス暦から切り替えられることなく、またロシアにおいては、1918年に至るまで切り替えが行われなかった)。
 Omar Khayyám(ウマル・ハイヤーム)は、ペルシア人やイスラム世界にあって、天文観測の業績で有名であった。彼は天空の星の図を作成したが、今日それは失われているという。
 Omar Khayyám(ウマル・ハイヤーム)の哲学は、公的なイスラム教の教義とはかなりに異なるものであった。ウマルが神の存在を信じていたのかどうか明確でないが、しかし彼は、すべての個別の出来事や現象が神的な介在の結果であるという見解には異議を唱えていた。また、最後の審判の日や、死後の報償や懲罰なども信じていなかった。Omar(ウマル)はむしろ、自然の法則が、生命について観察されるすべての現象を説明するという見解を支持していた。イスラムの宗務当局は、イスラム教に関する彼の異説についての説明を幾たびもOmar(ウマル)に求めた。最終的にOmar(ウマル)は、当局からの追及が激しくなり建前上正統的なMuslim〔ムスリム、イスラーム教徒〕を装わざるを得なくなり、Makkah〔マッカ、サウジアラビア政府は、1980年代に当市の名前の公式な英語表記を、西洋人が以前から一般に用いてきた綴りである Mecca (メッカ) から Makkah (マッカ)に改めた]へのḥajj〔ハッジ、Makkah(マッカ)への巡礼のこと〕を行った。
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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