
8月21日付けで、横浜のN氏から、メールが入っていた。曰く、「日高 節夫 様/先般の「ちんや」すきやき会は、万事お手配ありがとう。お世話になりました。お陰で楽しい会ができました。/7月14日の読売・朝刊に連載の『四季』(長谷川 櫂氏)に次のような俳句が載っていたのを切り抜いて持参したのですが、ついぞ話題にする余裕がありませんでした。/『卒業文集』 文集の紐は綻び、N君はヤクザ S君は教師なりしと(大野道夫)/分度器を前に考える。一度の違いといっても、あの放射状の線をどこまでも伸ばしてゆけば、どれくらい離れるのか。人の世界も似たところがある。中学校の同じクラスの友だちが二十年後どうなったか。わずか一度の違いだったのに。
この切り抜きは、ついぞ日の目をみなかったが、われわれの世代は幸せだったのだろうか。」
ウェブニュースより

飛び降り自殺…藤圭子を追い詰めた宇多田ヒカルの成功 アルコール依存症気味で情緒不安定 ―― 自殺した藤圭子(享年62)は栄光と挫折を繰り返した人だった。貧しい浪曲師の父と三味線弾きの母の元に生まれ、子供のころから地方巡業を経験。18歳のときに「新宿の女」でデビューして「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」などをヒットさせ、演歌界のスターに躍り出た。/私生活では1971年に前川清と結婚したが、わずか1年で離婚。このころから生き方がブレ始める。79年に引退宣言して渡米したものの、2年後に帰国し、「藤圭似子」の名で芸能界にカムバック。これといったヒットを出せないまま、世間から忘れられていった。/再び脚光を浴びたのが98年だった。娘の宇多田ヒカルがデビューしたのだ。藤は再婚相手の宇多田照實氏とともに娘の売り出しに奔走。ヒカルはミリオンヒットを連発してスーパースターに躍り出た。/だが娘の成功は藤を“無軌道な母親”に変えた。06年、ニューヨークのJFK空港で現金約42万ドル(当時のレートで約5千万円)を没収され、藤がラスベガスやモナコなどのカジノ通いにのめりこんでいることが発覚。藤は「5年間で5億円は使った」と語ったものだ。/「因縁めいたものを感じます」と言うのは芸能リポーターの石川敏男氏。/「藤の母は夫が娘を食い物にしていると感じ、愛想を尽かして離婚しました。藤と似ています。ヒカルのカネでギャンブルに明け暮れているようなものなのに、彼女を叱れるのは宇多田氏しかいなかった。2人が相互依存カップルのように6度の再婚と離婚を繰り返した理由のひとつは、藤のギャンブル癖と考えていいでしょう」/藤はヒカルのマネジメント会社の役員として1億円以上の年収を得ていた。もしヒカルがスターにならなければ、ギャンブルにのめりこむこともなく、自殺に追い込まれなかったかもしれない。/「彼女には若いころ映画のロケで先輩女優にジャムパンをもらい、“子供のころ食べたかったけど貧しくて食べられなかった”と涙を流したエピソードがあります。貧乏生活から抜け出し大金を手にしたため、その反動で浪費家になったのかもしれません。しかも最近はアルコール依存症に近く、精神的に不安定だった。」(石川敏男氏)/藤は「私の人生暗かった」と歌い、薄幸の女のイメージでスターになった。大金はつかんだが、幸せにはなれなかったようだ。 〔日刊ゲンダイ 2013年8月23日 掲載〕
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