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 今朝の朝日新聞より
 歴史認識、解決を探る 国家の謝罪研究、リンド准教授に聞く紙面で読む ―― 歴史認識を巡る韓国や中国との対立が収まらない日本。安倍晋三首相が15日の戦没者追悼式の式辞で、加害責任に触れなかったことも、両国から反発を受けた。問題は、袋小路に入り込んでしまったかのようにも見える。国際政治における「謝罪」について研究する、米ダートマス大のジェニファー・リンド准教授に聞いた。
■「責任を明確化、和解したドイツを手本に」「隣国への行為認め、若者に真実を伝える」
――「日本は戦後のドイツに学ぶべきだ」という意見をどう思いますか?
 ドイツから学ぶのであれば、日本はアデナウアー首相時代に学ぶべきだというのが私の主張です。過去に起きたことを認め、真実を語ると同時に、国内で反発が起きないよう配慮するやり方です。/ドイツが謝罪したから独仏は和解したというのは、非常に広く受け入れられている物語ですが、実際は違います。西ドイツは50年代にフランスとの和解を進めましたが、当時はきちんと謝罪をしていなかったのです。犠牲者の碑や非常に誠実な教科書をつくったのは後のことです。
b1fc60c3.jpeg――では、何が和解を可能にしたと考えますか。
 当時の和解は、独仏が一つになれる形で歴史を語るときに起きたのです。ドイツは「自分たちは恐ろしいことをした。その責任を取る」と明確にしました。/米国は当時、ソ連の侵攻には核兵器で応じるつもりだったので、核戦争を避けたかった独仏は、ほかの道を探したのです。
――著書では「謝罪にはリスクもある」と指摘しています。
 私の考えでは、謝罪という概念は(和解の)入り口にはなりません。間違った方向に行く危険があるのです。外国への謝罪はしばしば国内の反発を引き起こします。どの国にも、戦争を戦った人や遺族がおり、国のためにやったと信じています。相手側の記憶よりも、自分たちの記憶を重視するのです。
――和解はどう達成されるものですか。
 世界各国の和解の事例を見ると、安全保障上であれ経済的な理由であれ、お互いを必要とする状況がまずあります。通常は、そこから過去についての交渉が始まります。/その結論が謝罪かもしれませんし、何らかのセレモニーかもしれません。たとえば独仏首脳がベルダンで手を取り合ったのは非常に重要な瞬間でしたが、謝罪ではありませんでした。/過去をどう扱うかについて国内で議論があること自体は正当なことです。ただ、日本はまず、真実を語る必要があります。日本が隣国への歴史上の行為を認め、自分たちが受け入れられる言葉で、何が起きたのかを若者に伝えるのです。 (ハノーバー〈米ニューハンプシャー州〉=大島隆)
■国内の反発にも配慮を
 謝罪の問題は難しい。/2007年に米下院が採択した慰安婦決議は、日本政府による「公式な謝罪」を求めた。韓国や中国からも度々、「真に謝罪していない」との主張が出る。これに対し、日本には「何度謝れば気が済むんだ」という、いらだちの声がある。/リンド氏は、倫理的視点とは別に、国際政治の「謝罪」を分析し、「和解のためには謝罪が不可欠というわけではない」と説く。/ただ、その主張は「日本は間違ったことはしていない」という謝罪不要論とは異なる。「過去に起きたことを認め、真実を語ると同時に、国内で反発が起きないよう配慮するやり方」――。謝罪はしなくとも、過ちを認める「ミドルグラウンド(中間の道)」を模索すべきだとの考えだ。/日本と近隣諸国の緊張は、米国にとっても重大な関心事だ。特に、同盟国である日韓関係について、米政府当局者は「日韓は過去ではなく未来に目を向けるべきだ」と懸念する。
 
 ところが、日韓には「過去には触れず未来を語る」姿勢と「過去を乗り越え未来を語る」姿勢との間で埋めがたい溝がある。「未来に向かうためには過去を振り返る必要がある」とするリンド氏は指摘する。/「和解のために大事な点は、相手の痛みを認識していることを示し、『我々はあなたを傷つけた。我々は自国民にそのことを伝えている。将来二度とこうしたことを起こさないと約束する』と言うことなのです」
     *
0c808553.jpeg ジェニファー・リンド准教授:マサチューセッツ工科大で博士号(政治学)を取得し、独仏や日韓を中心に、戦争後の国家の和解努力や謝罪を研究テーマの一つにする米政治学者。著書に「ソーリー・ステーツ/国際政治における謝罪」がある。フォーリン・アフェアーズといった専門誌やワシントン・ポストなどの米紙に関連論文を寄稿している。
◆キーワード
 <アデナウアー元首相> 1949年から14年間、西ドイツの初代連邦首相を務めた。51年から4年間は外相も兼任し、旧連合国との和解を進めた。特にフランスのドゴール元大統領とは個人的に親しい関係も築き、63年に和解を確認する独仏協力条約(エリゼ条約)を締結した。  (8月22日 朝日新聞朝刊)
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