瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 ギリシア神話:蜘蛛にされた少女
3ad3fb39.JPG 小アジアの西岸コロポーンの町にArákhnē(アラクネー)という少女がいた。両親は余り身分の高くない商人だったが、母親はすでに世に無く、父親のイドモーンはよく娘の面倒を見て、機織が好きなところから、毛糸を紫色に染めては彼女に与えていた。この紫は一種の貽貝(いがい)から取るので、貝の胎内にある小さな袋に詰まっている濃液を集めて精製するため、非常に値の張る貴重なものであった。
 好きな技であれば、一心に日となく夜となく織り続けるうちに少女の巧みは日増しに進んで、広いリューディアにもイオニア中にも、並ぶ者のないくらいになった。かの名高きトモーロスの丘の斜面にある葡萄畑に棲むニンフたちでさえ、よく棲み慣れた里を後に彼女の仕事ぶりを見にやってくるという程であった。布の織り上げも見事ながら、それにも増して働いている彼女の手の捌き、美しい色の毛の玉が見る見るうちに錘(つむ)に繰り取られ、やがて枷の動きにつれて立派な布に仕上げられるさま、または細い指先に針を閃かせて、いろいろな物の形を刺繍してゆくところなど、眺める人を感心させずにはおかない。全くAthena(アテーナー)女神が、みずからこの技を少女に授けられたと誰しも思ったであろう。されども、少女はこれを否定して「いえいえ、とんでもないことです。あたしは誰にも教わったことなんてありませんわ。女神様とだって技比べをいたしまして、決して負けるつもりはありませんもの。もし負けたなら、どんなものでも差し上げますわよ」という始末であった。女神は小賢しい少女の大言を聞いて、些か心憎く思われた。そこである日姿を老婆に変えて、よろめく足を杖に支えて、少女の家へと出向いて行かれた。
「年寄りの言うことは聞いておく方が好いものさ。皺が増えると知恵もつく、物もおいおい分かってくるのだからね。私の忠告を馬鹿にしちゃいけないよ。紡いだり機を織ったりする技を自慢するのもせいぜい人間たちの間だけにしておきな。そいで神様には譲っておいて大きな事を言った御宥(おゆる)しを願うのが身のためだよ。そしたら女神様も宥(ゆる)してくださるだろうからね」
 しかし、少女は老婆のほうを厭な目つきで睨んで、その辺のものを擲(なげう)ちもしかねない有様、怒りの色を面に顕(あらわ)し、姿を変えている女神に向って、激しい言葉を投げ掛けるばかりであった。
「お前さんは年を取って耄碌したのね。そんなことは自分の娘か孫にでも言ったらいいでしょ。私の方から忠告したいくらいだわ。そんならいっそ女神様を呼んで来たらいいでしょ。ほんとに技比べをやったら、どちらが上手か解るでしょうから」
c68455f7.JPG 女神は、やおら真の姿をお現しになった。居合わせたニンフたちは、その場に平伏(ひれふ)して女神を崇(あが)め、里の者たちも手を合わせひたすら崇敬の心を尽くすのだったが、アラクネーは片意地にも恐れ気もなく坐ったままで、ただその頬を真っ赤に染め、やがて蒼ざめながらも固い決心を口元に表していた。
 こうして競技は始められた。二人はそれぞれに座を占め、各々の機にしなやかな糸の束を掛けた。縦糸をこまかい枷に結び付けると、緯(よこいと)を結んだ梭(ひ)が目まぐるしく、巧みな指先に操られて動いた。紫に染めた鮮やかな色糸、微かに異なった薄色、さらに色合いを変えた色糸、丁度驟雨の後で、太陽が灝気(こうき)を貫くとき、大きな弧を描いて虹が広やかな空に渡るように、百千の色合いが交わりながら、人の目にはその移り変わりを定かには認め得ないように、ぼかされた色糸は覚りがたく、ただ両端の色の違いだけが、くっきりと鮮やかに認められた。中には黄金の色糸もあった。織り出された模様は昔の物語の様を写していた。
 アテーナーの機には、中央に十二柱のオリュンポスの神々が高い御座に、燦然と輝いて、ゼウスを中に居並び給う。海洋神ポセイドーンは重々しい三叉戟を取って嵯峨とした巌を討てば、その割目からは清らかな泉が迸り出る様が描かれていた。アテーナイの町争いの場面である。彼に立ち向かうはアテーナー女神御(おん)みづからで、盾と鋭い槍を手に執り、頭にはきらきらしい兜(かぶと)を被(かぶ)り、その槍で突かれた地面からは青白い葉のオリーブが生え、枝にはいっぱい丸い実を結んでいた。彼女の脇には勝利の女神ニーケが立ち、神々は感嘆してこの不思議に見惚れているところである。この全体の絵をオリーブの葉冠(ようかん)が取り巻き、境をなしていた。
5a6b3e32.JPG 一方アラクネーの布(きれ)は、まず中央はエウローペが白い牛に欺(あざむ)かれて乗って行くところを写した、波も牛も真に活々とありのままの姿であった。少女は陸のほうを振り返り友達を呼んで多助を求める。跳ね返る波の飛沫を恐れるように、こわごわ足を縮めていた。その傍らにはレーダーが白鳥の翼に抱きすくめられていた。また、ゼウスがアンピトリュオーンの姿に変わって彼の妻アルクメーネーを誑し込んでいるところなどもあった。また向こうにはアポーロンが田舎漢(いなかもの)の姿でアドメートス(ゼウスの命令で、アポーロンが1年間だけ使えた人間)の僕(しもべ)になって賎しい仕事をしているところである。また、バッコスはイカリオスの娘エーリゴネーを偽の葡萄で騙していた。さらにクロノスが馬の形を借りてあの半人半馬のケンタウロス・ケイローンを生ませた話も描かれていた。この織物の全体にぎっしりと詰まった絵物語は、狭い細かな花模様で囲まれ、それに常春籐(きずた)の葉が絡まっていた。その出来映えはいかにも見事で、たとえPhthonos(プトノス、嫉妬の神)自身でさえも、殆んど難のうちようのないくらいだった。
 しかし、金髪の女神アテーナーはそれだけに一入(ひとしお)胸の怒りを抑えきれずに、この刺繍された布を真っ二つに断ち切ってしまわれた。そして、手に持ったぶなの木の梭で、三たびアラクネーの頭を討ち叩かれた。みじめな少女はそれを忍び切れずわれから縄を括って首を吊った。その姿をみて女神は、さすがに憐れを催し、高みに吊るし上げてのたまい給うた。「生命(いのち)は助けてあげよう。でも、そのまま吊り下がっといで、悪い娘だもの。お前のような神々をないがしろにする者共は、みな同じ運命を受けるのだよ」
 こういって出かけながら、振り返りざまにアラクネーへHekate(ヘカテー、ギリシア神話の女神)の魔法の草(一説には「トリカブト」)の汁を注がれた。見る間に彼女の髪は竦んで消え、頭も縮んでゆけば、体全体も小さくなり、手足の指は8本の足と変わり、残りの部分はみんな塊(かた)まって大きな腹になった。いまでも彼女は細い糸を口から吐いて、綺麗な露の模様を朝ごとに織りなしている。女神から許された昔の技の哀れな名残を繰り返しているのである。
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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