瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
ギリシア神話:ApollonとAdmetos(2009年12月31日より続く)
アポローンの胸のうちはこれで収まるものではなかった。最愛の息子に対する過酷な処置に激昂したが、さすがにゼウスに対してははむかうことは出来なかった。そこで息子を殺害した道具である雷火の製造人Cyclopes(キュクローペス)を虐殺して僅かに胸中の憤悶を遣った。しかし、たとえアポローンであろうが、神々の間でのこの乱暴は容(ゆる)されえなかった。身内の者の血を流せば追放されなければならない。この不文の掟によって、アポローンは1年の間オリュンポスを追われ、死ぬべき人間の召使となり、隷従の憂目を忍ばねばならなかった。とはいえ、これもゼウスの格別の情によって、彼が送り出されたのは、人間のうちでも取り分けて正義を愛し慈悲に豊かな者の許へであった。テッサリアはペライの領主Admetus(アドメートス)がその人である。勿論アポローンは身元引受人なしで彼の受領に入ったわけであるが、情の厚い彼の待遇に気を良くしたアポローンは、早速得意の畜産学を用いて王の飼養する牛や羊などをどんどんと太らせ、また蕃殖させた。王の家畜は病気に罹らず、狼や豺(やまいぬ)などにも襲われず、王の作物には蝗やその他の害虫もつかず、野鼠も荒らさなかった。当然のことながら王はこの若い牧場管理者の手腕に感服し、十分に報いてやったに違いない。それに対してアポローンの方も、根がお人好しの坊ちゃん育ちときているから、一段と気を好くして、腕を揮った次第であった。王の息子Eumelos(エウメーロス)が後にトロイア遠征に加わったとき、彼の馬は抜群の駿足として聞こえたほどであったが、それはアポローンが常日頃ペライの町外れの名高いヒューペレアの水を飲ませていた馬だった。
アポローンが王のために働いたのは、この農場管理についてだけではなかった。同じテッサリアで程遠からぬイオールコスの町はPelias(ペリアース)の支配下にあったが、その娘Alkestis()は、父親に似ぬ気立ての優しさと、それ以上に容姿の美しさで、国々に聞こえていた。従ってその手を求めて群がる若殿原も決して尠(すくな)い数ではなかった。それに対する最大の障害と言うのはこの片意地な父親であった。それは車駕を一匹の獅子と一匹の野猪とに牽かせて花嫁御を迎えに来る者へという難題であった。Admetusも勿論Alkestisに思いを常日頃から寄せた青年の一人であった。予言の神であるアポローンが彼の胸中を察するのはいと容易(たやす)いことであったろう。御神は何とか辞を設けてAdmetusに告白させ、そんなことはお易い御用でと山中に分け入ると、忽ち獅子と野猪を手馴づけて車を牽かせて出てきた。こうしてAlkestisはAdmetusと賑々しく婚儀を挙げることになったが、そのうちに早くも彼の任期である一年が経ってしまって、訣(わか)れを告げねばならないことになった。アポローンは過ぐる一年の間の親切な持成しの褒美として、将来Admetus王が寿命を待たずに病のために死のうというとき、誰か自ら進んで変わりに冥府(よみ)へ行こうというものがあれば、命を助けられることを約束した。こうして、間(あいだ)に一子Eumelos(エウメーロス)が生まれて間(ま)もなく彼が遽(にわ)かの病で死のうというとき、父も母も、勿論他の何人も代わりに死のうと言わないのを、最愛の妻Alkestisが代わりに死んだのである。
ついでながら、Asklepios(アスクレーピオス)は、この事件の後、アポローンの憤慨ももっともとあって天上に神とせられ、Hippolytus(ヒッポリュトス)も同じく神化された。その後もAsklepioは医療の神として広く信仰され、各地に神殿や治療所が多く置かれた。Asklepiosの表徴としては第一に蛇、それから遊行者の杖と医者の薬を飲ませる盃などで、神前に捧げる贄(にえ)としては雌鶏が普通とされている。
アポローンの胸のうちはこれで収まるものではなかった。最愛の息子に対する過酷な処置に激昂したが、さすがにゼウスに対してははむかうことは出来なかった。そこで息子を殺害した道具である雷火の製造人Cyclopes(キュクローペス)を虐殺して僅かに胸中の憤悶を遣った。しかし、たとえアポローンであろうが、神々の間でのこの乱暴は容(ゆる)されえなかった。身内の者の血を流せば追放されなければならない。この不文の掟によって、アポローンは1年の間オリュンポスを追われ、死ぬべき人間の召使となり、隷従の憂目を忍ばねばならなかった。とはいえ、これもゼウスの格別の情によって、彼が送り出されたのは、人間のうちでも取り分けて正義を愛し慈悲に豊かな者の許へであった。テッサリアはペライの領主Admetus(アドメートス)がその人である。勿論アポローンは身元引受人なしで彼の受領に入ったわけであるが、情の厚い彼の待遇に気を良くしたアポローンは、早速得意の畜産学を用いて王の飼養する牛や羊などをどんどんと太らせ、また蕃殖させた。王の家畜は病気に罹らず、狼や豺(やまいぬ)などにも襲われず、王の作物には蝗やその他の害虫もつかず、野鼠も荒らさなかった。当然のことながら王はこの若い牧場管理者の手腕に感服し、十分に報いてやったに違いない。それに対してアポローンの方も、根がお人好しの坊ちゃん育ちときているから、一段と気を好くして、腕を揮った次第であった。王の息子Eumelos(エウメーロス)が後にトロイア遠征に加わったとき、彼の馬は抜群の駿足として聞こえたほどであったが、それはアポローンが常日頃ペライの町外れの名高いヒューペレアの水を飲ませていた馬だった。
アポローンが王のために働いたのは、この農場管理についてだけではなかった。同じテッサリアで程遠からぬイオールコスの町はPelias(ペリアース)の支配下にあったが、その娘Alkestis()は、父親に似ぬ気立ての優しさと、それ以上に容姿の美しさで、国々に聞こえていた。従ってその手を求めて群がる若殿原も決して尠(すくな)い数ではなかった。それに対する最大の障害と言うのはこの片意地な父親であった。それは車駕を一匹の獅子と一匹の野猪とに牽かせて花嫁御を迎えに来る者へという難題であった。Admetusも勿論Alkestisに思いを常日頃から寄せた青年の一人であった。予言の神であるアポローンが彼の胸中を察するのはいと容易(たやす)いことであったろう。御神は何とか辞を設けてAdmetusに告白させ、そんなことはお易い御用でと山中に分け入ると、忽ち獅子と野猪を手馴づけて車を牽かせて出てきた。こうしてAlkestisはAdmetusと賑々しく婚儀を挙げることになったが、そのうちに早くも彼の任期である一年が経ってしまって、訣(わか)れを告げねばならないことになった。アポローンは過ぐる一年の間の親切な持成しの褒美として、将来Admetus王が寿命を待たずに病のために死のうというとき、誰か自ら進んで変わりに冥府(よみ)へ行こうというものがあれば、命を助けられることを約束した。こうして、間(あいだ)に一子Eumelos(エウメーロス)が生まれて間(ま)もなく彼が遽(にわ)かの病で死のうというとき、父も母も、勿論他の何人も代わりに死のうと言わないのを、最愛の妻Alkestisが代わりに死んだのである。
ついでながら、Asklepios(アスクレーピオス)は、この事件の後、アポローンの憤慨ももっともとあって天上に神とせられ、Hippolytus(ヒッポリュトス)も同じく神化された。その後もAsklepioは医療の神として広く信仰され、各地に神殿や治療所が多く置かれた。Asklepiosの表徴としては第一に蛇、それから遊行者の杖と医者の薬を飲ませる盃などで、神前に捧げる贄(にえ)としては雌鶏が普通とされている。
この記事にコメントする
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
sechin@nethome.ne.jp です。
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
最新記事
(10/07)
(10/01)
(09/07)
(09/05)
(08/29)
最新コメント
[m.m 10/12]
[爺の姪 10/01]
[あは♡ 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[爺 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター