瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
ギリシア神話:糸杉になった青年
Kyparissos(キュパリッソス)は、取り分けすらりとした背丈に、伸びやかな手肢をして、理知的な広い額に真っ黒な瞳をいかにも真摯(まじめ)らしく閃(ひらめ)かせる美しい青年だった。彼はボイオーティアの豪族ミニュアース家の息子であった。彼は牧場の生活を好み、真昼間の憩いの時にはアポローンとさまざまな運動競技にうちつれて遊ぶのを常としていた。かれは生まれつき生物が好きで、自分から牧場に来るようになったのも、ひとつにはこの獣たちの世話をしたいからであった。このKyparissosには一つご自慢の飼養物がいた。それは巨(おお)きな牡鹿で、その郷の田舎の人々が恐れかしこむ女神たち、山や野を治めるニンフたちにとって神聖な獣だった。その額にはありふれた野鹿とは格段にたち優れた立派な角がいくつにも分かれて枝を飾って誇らしく拡がっていた。朝日夕日の輝くときはこの角は彼の神聖さを誇示するかのように金色に照り映えるのであった。その円やかによく肥えた頸には、宝石を鏤めた銀の首輪が嵌められていた。額には生まれたときから銀の丸鋲を幾つもつけた皮の垂が下がり、両耳には煌く大きな真珠の玉が吊り下げられていた。しかもこの牡鹿は世の常の鹿とは変わって、少しの怖れ気もなく立ち回り人里を訪れ、近寄る者に頸を撫でさえさせるのであった。
Kyparissosがこの鹿を大切にし可愛がり、また何よりの誇りとしていたのも当然のことといえよう。彼は日毎にこの鹿を新しい牧ヘ伴(ともな)い、また清らかな泉へ水を飲ませに行くのを日課としていた。閑なときには美しく咲いた野の花々を積み集めて花冠を作り、この鹿の角にかけてやった。時にはその背に跨って紅の手綱を揺らせ、此処彼処(ここかしこ)と涼しい木陰を拾って進んだ。彼のこの喜びがついに際限もなく深い悲しみに変わる日がとうとうやって来た。それはとりわけて暑い夏の日盛りだった。疲れた鹿はすっかり伸びてしまって草原に身を臥せていたが、やがて渇を覚えたものか、起ち上がると繁みの中の涼しい木立の陰にある泉の水を飲みに出かけた。Kyparissosは昼の憩いに槍を投げて練習していた。青年は疲れを知らない。何時しか熱中していた彼は槍を抜き取ると、力の限り庭のほうへ投げ返した。槍は思ったより勢いよく空を切って、木立の中に突き刺さった。何者かの倒れる音、微かな呻き声。不審に思って駆け寄った少年が見つけたものは、鋭い穂先に胸を貫かれてもう息も絶え絶えな鹿の姿だった。
その無惨な様を見るより、悔いと悲しみとに、少年は自分も共に死をひたすら願うのであった。アポローンはいうまでもなく、すぐ馳せつけて彼を慰めた。そして嘆きも程ほどにして身を傷(やぶ)らぬようにと諌めた。しかし少年はただひたすら身も世もあられず、泣き悲しむばかりだった。涙にくれながら御神にせめてもの慈(めぐ)みの徴(しるし)に永遠(とこしえ)に自分がこの愛する者の死をいたむことを容(ゆる)たもうよう願うのだった。その頬からすべての歓喜が去って色蒼ざめ、やがて身体じゅうから血の気が退いてなく成り果てると、絶え間もない嘆きに生の力は尽き、固い痺れが手足を襲い始めた。やがてそれらは凝固して感覚のない樹の皮で蔽われ始めた。今しがた迄匂やかな眉の上に垂れ下がっていた髪の毛は緑の色の葉添えに変わった。とうとう彼は星空にまで高い梢を揺る、それでも優雅に憂いに満ちたくろずんだ緑の喬木に変わった。御神は深い溜息をされると、樹に向って言われた。
「私は永遠にお前を悼(くや)もう、お前はまた永遠にいつも他(ひと)を悼んでゆくがいい。そしてお前の場所はこれからはいつも墓傍に定められよう」
これがKyparissos、あの糸杉(キュパリッソス)、つまりCypress(サイブレス)樹の身の上であった。
Kyparissos(キュパリッソス)は、取り分けすらりとした背丈に、伸びやかな手肢をして、理知的な広い額に真っ黒な瞳をいかにも真摯(まじめ)らしく閃(ひらめ)かせる美しい青年だった。彼はボイオーティアの豪族ミニュアース家の息子であった。彼は牧場の生活を好み、真昼間の憩いの時にはアポローンとさまざまな運動競技にうちつれて遊ぶのを常としていた。かれは生まれつき生物が好きで、自分から牧場に来るようになったのも、ひとつにはこの獣たちの世話をしたいからであった。このKyparissosには一つご自慢の飼養物がいた。それは巨(おお)きな牡鹿で、その郷の田舎の人々が恐れかしこむ女神たち、山や野を治めるニンフたちにとって神聖な獣だった。その額にはありふれた野鹿とは格段にたち優れた立派な角がいくつにも分かれて枝を飾って誇らしく拡がっていた。朝日夕日の輝くときはこの角は彼の神聖さを誇示するかのように金色に照り映えるのであった。その円やかによく肥えた頸には、宝石を鏤めた銀の首輪が嵌められていた。額には生まれたときから銀の丸鋲を幾つもつけた皮の垂が下がり、両耳には煌く大きな真珠の玉が吊り下げられていた。しかもこの牡鹿は世の常の鹿とは変わって、少しの怖れ気もなく立ち回り人里を訪れ、近寄る者に頸を撫でさえさせるのであった。
Kyparissosがこの鹿を大切にし可愛がり、また何よりの誇りとしていたのも当然のことといえよう。彼は日毎にこの鹿を新しい牧ヘ伴(ともな)い、また清らかな泉へ水を飲ませに行くのを日課としていた。閑なときには美しく咲いた野の花々を積み集めて花冠を作り、この鹿の角にかけてやった。時にはその背に跨って紅の手綱を揺らせ、此処彼処(ここかしこ)と涼しい木陰を拾って進んだ。彼のこの喜びがついに際限もなく深い悲しみに変わる日がとうとうやって来た。それはとりわけて暑い夏の日盛りだった。疲れた鹿はすっかり伸びてしまって草原に身を臥せていたが、やがて渇を覚えたものか、起ち上がると繁みの中の涼しい木立の陰にある泉の水を飲みに出かけた。Kyparissosは昼の憩いに槍を投げて練習していた。青年は疲れを知らない。何時しか熱中していた彼は槍を抜き取ると、力の限り庭のほうへ投げ返した。槍は思ったより勢いよく空を切って、木立の中に突き刺さった。何者かの倒れる音、微かな呻き声。不審に思って駆け寄った少年が見つけたものは、鋭い穂先に胸を貫かれてもう息も絶え絶えな鹿の姿だった。
その無惨な様を見るより、悔いと悲しみとに、少年は自分も共に死をひたすら願うのであった。アポローンはいうまでもなく、すぐ馳せつけて彼を慰めた。そして嘆きも程ほどにして身を傷(やぶ)らぬようにと諌めた。しかし少年はただひたすら身も世もあられず、泣き悲しむばかりだった。涙にくれながら御神にせめてもの慈(めぐ)みの徴(しるし)に永遠(とこしえ)に自分がこの愛する者の死をいたむことを容(ゆる)たもうよう願うのだった。その頬からすべての歓喜が去って色蒼ざめ、やがて身体じゅうから血の気が退いてなく成り果てると、絶え間もない嘆きに生の力は尽き、固い痺れが手足を襲い始めた。やがてそれらは凝固して感覚のない樹の皮で蔽われ始めた。今しがた迄匂やかな眉の上に垂れ下がっていた髪の毛は緑の色の葉添えに変わった。とうとう彼は星空にまで高い梢を揺る、それでも優雅に憂いに満ちたくろずんだ緑の喬木に変わった。御神は深い溜息をされると、樹に向って言われた。
「私は永遠にお前を悼(くや)もう、お前はまた永遠にいつも他(ひと)を悼んでゆくがいい。そしてお前の場所はこれからはいつも墓傍に定められよう」
これがKyparissos、あの糸杉(キュパリッソス)、つまりCypress(サイブレス)樹の身の上であった。
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目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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