瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
ギリシア神話:ヒュアキントス
Hyakinthos(ヒュアキントス)は、Kyparissos(キュパリッソス)と同じようにギリシア神話でアポローンに愛された美少年である。アポローンとの円盤投げの遊戯中に、その跳ね返りを頭に受けて死ぬ。その際、ヒュアキントスの頭部から流れた血から、花が咲きヒヤシンスの名がついた。現在のアイリス、ラクスパ、あるいはパンジーであるとも。一説には西風の神Zephyros(ゼピュロス)もヒュアキントスを愛していたが、彼に拒絶される。ある日アポローンとHyakinthosが仲睦まじく円盤投げをしているのを見て、ゼピュロスは嫉妬に狂った。そしてアポローンの投げた鉄輪がヒュアキントスに当たるよう風を操り、それを頭に受けたヒュアキントスは死んだ。
Hyakinthosはラコーニアの首都スパルテの南の地アミュクライの生まれて、その開祖アミュクラースの子ともいわれる。秀でた眉に紅をさした豊かな頬をして元気一杯に野山を駈ける彼の姿は、とりわけ銀弓の御神の御心に叶うものだった。御神はしばしばデルボイの神殿を空しくして、信託を伺いに群れ寄れる信者たちに待ちぼうけを食わせ、はるばるアミュクライの野に降臨されるのであった。少年を誘っては町外の、柔草(にこぐさ)が緑に一面のふっくらとした畳を敷き詰める辺りに出て、運動の競技にうち興じられた。今しもティーターン太陽(ヘーリオス)神はまさしく頭上に進めていた。二人は衣を脱いで裸体となり、豊かなオリーブの油で肌を輝(てら)せながら、大き目の円盤(デイスコ)を手に、技を競い合った。春もはや過ぎようかという頃であった。Zephyros(ゼピュロス)が静かに梢を揺すっていた。この西風の神Zephyros(男神)もまた、Hyakinthosに思いを寄せる若者の一人であった。しかし、眉の匂やかな少年は、ただ一途にアポローン神を頼んで、他のもの共の言葉には一顧も与えなかった。それらは彼にとって、ただ煩わしいお節介に過ぎなかった。
アポローンの投げる番が廻って来た。よく釣り合いを取り、弾みをつけて御神はその円盤を勢いよく空中に投げた。重い円盤は風を切って飛び、ややあって投げ手投げ手の技倆(うでまえ)と力を示しながら地上に落ちかかった。勝負に熱中していたアミュクライの少年は危ないのも忘れてディスクの飛ぶほうへ走り寄って行った。疚ましげにこの様子を見ていた西風(ゼピュロス)が、ふとむらむらと燃え上がった嫉妬心から、その円盤を押し付けて方向を変えさせ、少年の額に真っ向から落ちかからせた。二人のあまりに親しげな様子と、楽しそうな語らいとが、彼の心を彼自身に反(そむ)かせこんな悪戯(わるさ)をさせてしまったのである。何故なら、彼はすでに額を割られ、朱に染まって倒れる少年を見て、言いようのない後悔と悲しみとに胸を貫かれるのだったから。ああ、何という一瞬時の性急な怒りが、おぞましい振舞いが、取り返しのつかない悔いを、我々に与えることだろう。
デルボイの御神はこの様を見るなりすぐに駆け寄って、地上に倒れ身を縮めた少年を抱き上げようとした。御神の面はさながら地にもえる若草と同じように蒼ざめていた。どのように温めてみても、恐ろしい傷に手当てをしてしゅっけつをとめても、いろいろと薬草を門でつけても、去りかける彼の生命を、引き留めることはできなかった。あらゆる方策(てだて)も尽きて、アポローンは深い吐息と共にこういうばかりだった。
「スパルテーの子よ、お前は子供らしい熱心さから死んでしまった。私はお前の傷に自分の罪を認めなければならない。お前は私の悩みの原因として何時までも留まるだろう。お前を思い出すたびに我と我が身が情けなくなる。私は自分をお前を殺した下手人として告発しなければなるまいから。だが、私の罪というのは何だろうか。もしもお前と馴れ親しんだことが罪といわれず、お前を愛したことが咎でないなら。 ああ、愛しいお前のためとあらば私の不死の命さえ断念(あきら)めたい。お前と一緒に冥府へ行けるものだったらば。だが運命によって一つに結ばれた私とお前は、いつまでも別れはしないだろう。私の唇から、お前の忘られる時はないのだ。お前は私の竪琴になろう。そして私の手によって奏でられ、私の哀歌をうたうだろう。お前は新しい花に変わって何時までも私の愛を受け、その色合いで私の嘆きを永遠になぞえることになろう。」
アポローン神が真心を篭めて言い放ったとき、傷口から地に滴り落ちて柔草(にこぐさ)を濡らしていた血が見る見る色相を変え、黒い土からテュロスの紅よりも鮮やかな花が葉を擡げた。その花は百合に似た姿をしていて、ただその花弁が純白の代わりに、濃い紫の悔いを湛えていた。しかし御神はこれでもまだ思い足りずに、自分の胸の嘆きの言葉をその花弁に刻みつけた。この時からヒヤシンスの花は花びらの上に「アイアイ」という字を誌(しる)されているのだという。その時から、スパルテーの全国では、かくも深くデルホイの御神の鍾愛を受けた少年が、自分の息子であるのを誇りとし、例年の祭りの日が来るごとに、祖先の祭りと同様いとも厳粛にこのヒュアキンティアの祭を執り行うのである。
Hyakinthos(ヒュアキントス)は、Kyparissos(キュパリッソス)と同じようにギリシア神話でアポローンに愛された美少年である。アポローンとの円盤投げの遊戯中に、その跳ね返りを頭に受けて死ぬ。その際、ヒュアキントスの頭部から流れた血から、花が咲きヒヤシンスの名がついた。現在のアイリス、ラクスパ、あるいはパンジーであるとも。一説には西風の神Zephyros(ゼピュロス)もヒュアキントスを愛していたが、彼に拒絶される。ある日アポローンとHyakinthosが仲睦まじく円盤投げをしているのを見て、ゼピュロスは嫉妬に狂った。そしてアポローンの投げた鉄輪がヒュアキントスに当たるよう風を操り、それを頭に受けたヒュアキントスは死んだ。
Hyakinthosはラコーニアの首都スパルテの南の地アミュクライの生まれて、その開祖アミュクラースの子ともいわれる。秀でた眉に紅をさした豊かな頬をして元気一杯に野山を駈ける彼の姿は、とりわけ銀弓の御神の御心に叶うものだった。御神はしばしばデルボイの神殿を空しくして、信託を伺いに群れ寄れる信者たちに待ちぼうけを食わせ、はるばるアミュクライの野に降臨されるのであった。少年を誘っては町外の、柔草(にこぐさ)が緑に一面のふっくらとした畳を敷き詰める辺りに出て、運動の競技にうち興じられた。今しもティーターン太陽(ヘーリオス)神はまさしく頭上に進めていた。二人は衣を脱いで裸体となり、豊かなオリーブの油で肌を輝(てら)せながら、大き目の円盤(デイスコ)を手に、技を競い合った。春もはや過ぎようかという頃であった。Zephyros(ゼピュロス)が静かに梢を揺すっていた。この西風の神Zephyros(男神)もまた、Hyakinthosに思いを寄せる若者の一人であった。しかし、眉の匂やかな少年は、ただ一途にアポローン神を頼んで、他のもの共の言葉には一顧も与えなかった。それらは彼にとって、ただ煩わしいお節介に過ぎなかった。
アポローンの投げる番が廻って来た。よく釣り合いを取り、弾みをつけて御神はその円盤を勢いよく空中に投げた。重い円盤は風を切って飛び、ややあって投げ手投げ手の技倆(うでまえ)と力を示しながら地上に落ちかかった。勝負に熱中していたアミュクライの少年は危ないのも忘れてディスクの飛ぶほうへ走り寄って行った。疚ましげにこの様子を見ていた西風(ゼピュロス)が、ふとむらむらと燃え上がった嫉妬心から、その円盤を押し付けて方向を変えさせ、少年の額に真っ向から落ちかからせた。二人のあまりに親しげな様子と、楽しそうな語らいとが、彼の心を彼自身に反(そむ)かせこんな悪戯(わるさ)をさせてしまったのである。何故なら、彼はすでに額を割られ、朱に染まって倒れる少年を見て、言いようのない後悔と悲しみとに胸を貫かれるのだったから。ああ、何という一瞬時の性急な怒りが、おぞましい振舞いが、取り返しのつかない悔いを、我々に与えることだろう。
デルボイの御神はこの様を見るなりすぐに駆け寄って、地上に倒れ身を縮めた少年を抱き上げようとした。御神の面はさながら地にもえる若草と同じように蒼ざめていた。どのように温めてみても、恐ろしい傷に手当てをしてしゅっけつをとめても、いろいろと薬草を門でつけても、去りかける彼の生命を、引き留めることはできなかった。あらゆる方策(てだて)も尽きて、アポローンは深い吐息と共にこういうばかりだった。
「スパルテーの子よ、お前は子供らしい熱心さから死んでしまった。私はお前の傷に自分の罪を認めなければならない。お前は私の悩みの原因として何時までも留まるだろう。お前を思い出すたびに我と我が身が情けなくなる。私は自分をお前を殺した下手人として告発しなければなるまいから。だが、私の罪というのは何だろうか。もしもお前と馴れ親しんだことが罪といわれず、お前を愛したことが咎でないなら。 ああ、愛しいお前のためとあらば私の不死の命さえ断念(あきら)めたい。お前と一緒に冥府へ行けるものだったらば。だが運命によって一つに結ばれた私とお前は、いつまでも別れはしないだろう。私の唇から、お前の忘られる時はないのだ。お前は私の竪琴になろう。そして私の手によって奏でられ、私の哀歌をうたうだろう。お前は新しい花に変わって何時までも私の愛を受け、その色合いで私の嘆きを永遠になぞえることになろう。」
アポローン神が真心を篭めて言い放ったとき、傷口から地に滴り落ちて柔草(にこぐさ)を濡らしていた血が見る見る色相を変え、黒い土からテュロスの紅よりも鮮やかな花が葉を擡げた。その花は百合に似た姿をしていて、ただその花弁が純白の代わりに、濃い紫の悔いを湛えていた。しかし御神はこれでもまだ思い足りずに、自分の胸の嘆きの言葉をその花弁に刻みつけた。この時からヒヤシンスの花は花びらの上に「アイアイ」という字を誌(しる)されているのだという。その時から、スパルテーの全国では、かくも深くデルホイの御神の鍾愛を受けた少年が、自分の息子であるのを誇りとし、例年の祭りの日が来るごとに、祖先の祭りと同様いとも厳粛にこのヒュアキンティアの祭を執り行うのである。
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プロフィール
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目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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