朝の徘徊では、公園に入ると早朝より蝉の声がひとしきり。
王籍(おうせき、生卒年不詳)は南北朝時代・梁の詩人。五言詩「入若耶溪」中の「蝉噪林逾静 鳥鳴山更幽」対句はあまりに有名で、「閑さや岩にしみ入る 蝉の声」と詠んだ芭蕉は多分この詩を知っていたのだろう。 若耶溪(じゃくやけい)は紹興の近くにある名勝で、西施がこの畔で生まれたと云われている。古来、多くの文人墨客が訪れたところだという。
美しく飾った舟がゆらりゆらりと浮かび、
空と水は共にゆったりとしている。
暗い霞が遠くの峰にかかり、
明るい陽射しが流れを逐って輝く。
蝉の鳴き声が林の静けさをますます深いものにし、
鳥が鳴くと山が更に幽玄の感を増す。
この地にいると故郷を思う心が沸き起こり、
長年の憂き旅を悲しく思うのだ。
昨日取り上げた「塩車の憾み」という成語は英才の報いられぬ憾みをいうのであるが、この語は前漢 賈誼の「弔屈原賦」の「驥垂兩耳、服鹽車兮→驥(き)両耳を垂れ、塩車に服す」が出典であるとする説もある。
漢賦‧吊屈原賦‧賈誼
誼為長沙王太傅、既以謫去、意不自得;及度湘水、為賦以吊屈原。屈原、楚賢臣也。被讒放逐、作《離騷》賦、其終篇曰:“已矣哉!國無人兮、莫我知也。”遂自投汨羅而死。誼追傷之、因自喻、其辭曰:
恭承嘉惠兮、俟罪長沙;側聞屈原兮、自沉汨羅。造讬湘流兮、敬吊先生;遭世罔極兮、乃殞厥身。嗚呼哀哉!逢時不祥。鸞鳳伏竄兮、鴟梟翱翔。闒茸尊顯兮、讒諛得志;賢聖逆曳兮、方正倒植。世謂隨、夷為溷兮、謂跖、蹻為廉;莫邪為鈍兮、鉛刀為銛。吁嗟默默、生之無故兮;斡棄周鼎、寶康瓠兮。騰駕罷牛、驂蹇驢兮;驥垂兩耳、服鹽車兮。章甫薦履、漸不可久兮;嗟苦先生、獨離此咎兮。
訊曰:已矣!國其莫我知兮、獨壹鬱其誰語?鳳漂漂其高逝兮、固自引而遠去。襲九淵之神龍兮、?"深潛以自珍;偭蟂獺以隱處兮、夫豈從蝦與蛭蟥?所貴聖人之神德兮、遠濁世而自藏;使騏驥可得係而羈兮、豈雲異夫犬羊?般紛紛其離此尤兮、亦夫子之故也。歷九州而其君兮、何必懷此都也?鳳凰翔于千仞兮、覽德輝而下之;見細德之險徵兮、遙曾擊而去之。彼尋常之污瀆兮、豈能容夫吞舟之巨魚?橫江湖之鳣鯨兮、固將制于螻蟻。
わたくしは長沙王の太傅とはなったが、君側から遠ざけられたのであるから、心中おもしろくはなかった。湘水(湖南省を流れて洞庭湖に入る河)を渡るに当たって、賦を作って屈原を弔った。屈原は楚の国のけんしんである。彼は讒言にあって追放され、「離騒」の賦を作った。その篇末(乱の部分)には「やんぬるかな、国には人物(ひと)なく、吾を知るものなし」と歌い、遂に汨羅(湖南省を流れる湘水に入る川)に身を投げて死んだ。わたしは追悼し、それによって自己の心境をなぞらえた。それはつきの如くである。
みことのりをかしこみ、罪の決定を長沙にてお待ち致します。屈原は汨羅に身を投じたとかききました。私は湘水のほとりにまいり、流れに寄せて弔意を評した次第です。
世の乱れにかかずらい、身を滅ぼされとは。ああ哀しいことよ、好ましくない時代に生まれあわされた。鳳の類は隠れ伏し、梟どもは天翔がける。つまらぬ輩は世にときめき、媚び諂い、人をあしざまに言う奴は出世する。立派な人間は押しのけられ、正道を歩む者はひどい仕打ちにあう。世の中では言っている卞随・伯夷(ともに殷の節義の士)はくわせもの、盗跖・荘蹻(魯と楚の大盗賊)は身ぎれいだ。莫邪の剣はなまくらで、鉛の剣はするどいぞと。
ああ、先生(屈原)は何の理由もないままに、辛い定めに落ちられた。周の鼎は捨てられて、破れがめは宝物となり、疲れ牛は乗用に供せられ、びっこの驢馬は副馬(そえうま)となるも、名馬は両耳を垂れ、塩つむ車を引き、章甫の冠(殷代の黒い布の冠、儒者の冠)は履の下敷きとなる。かくては、もはや長続きは適わぬこと。ああ、いちわしや先生、おん身ひとりこの憂患(くるしみ)にかかられた。
反歌にはいう。ああ、すべては終った。国には私を知ってくれるものはいない。あなたひとりが愁いに沈みつつも、誰に話しかけようとはなさる。鳳の軽やかに空高く翔けるは、自ら身を引き遠くへ去らんがためであり、深い淵に住む神龍は、ひそみかくれて己が身をいとおしむ。井守どもに背を向けて、引きこもるからは、どうして蟇(がま)や蛭・蚯蚓と交わり住むであろうか。貴ぶべきは、聖人の徳として、穢れた世から遠ざかり、自己を包み隠すこと。駿馬も繋ぎ止められれば、どこに犬や羊と異なるところがありましょうや。
世の様、千々(ちぢ)に乱れるにも拘らず、この憂患にかかられたは、おん身自らが招かれたこと。全土をくまなく巡られれば、頼むべきお方にも会われたろうに、何故に、この国にのみ執着なさる。鳳凰は遥か上空を翔けるも、徳備わる人を見れば、舞い下り、徳薄き人に危険な兆しを見れば、翼羽ばたき遠く高く去り行きます。わずかな幅の溝の中に、どうして舟を呑み込む魚がいられましょうや。江湖に浮かぶ鱣鯨(おおうお)も溝に横たえられたなら、螻蛄(けら)や蟻にすき放題に振る舞われるは当然でありましょう。
11.抱樸子曰:否終則承之以泰,晦極則清輝晨耀。是以垂耳吳阪者,騁千裏之逸軌;縈鱗九淵者,淩虹霓以高蹈。
行き詰まった時代が終れば、その次には運の開ける時世が来る。夜の闇が極まれば、そのあと夜明けの清々しい光がかがやく。
だから呉の坂道には耳をたれて塩を運ぶ車を引いて名馬も、いつかは千里をの足を飛ばす時が来る。底なしの淵の底にじっと蟠っていた龍も、いつかは虹を越えて天に昇る時が来る。
戦国策 楚(四) 汗明見春申君(塩車の憾み)
汗明見春申君,候問三月,而後得見。談卒,春申君大說之。汗明欲復談,春申君曰:“僕已知先生,先生大息矣。”汗明憱焉曰:“明願有問君而恐固。不審君之聖,孰與堯也?”春申君曰:“先生過矣,臣何足以當堯?”汗明曰:“然則君料臣孰與舜?”春申君曰:“先生即舜也。”汗明曰:“不然,臣請為君終言之。君之賢實不如堯,臣之能不及舜。夫以賢舜事聖堯,三年而後乃相知也。今君一時而知臣,是君聖於堯而臣賢於舜也。”春申君
曰:“善。”召門吏為汗先生著客籍,五日一見。汗明曰:“君亦聞驥乎?夫驥之齒至矣,服鹽車而上太行。蹄申膝折,尾湛胕潰,漉汁灑地,白汗交流,中阪遷延,負轅不能上。伯樂遭之,下車攀而哭之,解紵衣以冪之。驥於是俛而噴,仰而鳴,聲達於天,若出金石聲者,何也?彼見伯樂之知己也。今僕之不肖,阨於州部,堀穴窮巷,沈洿鄙俗之日久矣,君獨無意湔拔僕也,使得為君高鳴屈於梁乎?”
「僕(わし)には先生という方が分った。ゆっくり休息されるがよい」
すると、汗明が浮かぬ顔をして言った。
「君にお伺いしたいのですけれども、固陋(ころう)のため、君のご聖徳が尭に比べて如何かを弁えぬのではないか、ときぐいたします」
春申君が、 「とんでもない、臣如きがなんで尭にくらべられよう」というと、汗明が言った。
「では、君は、臣と舜とではどう思し召します?」
春申君は言った。「先生は、即ち舜だ」 そこで汗明が言うよう、
「どういたしまして。君のために、あけすけに申し上げさせていただきましょう。君のご賢徳は、事実尭に置かないになりませんし、臣の才能は舜に及びは致しません。そもそも賢人の舜が聖人の尭に仕えてさえ、三年か買ってやっと理解されたのでございます。いま、君は一度で臣をお判りになりました。これでは、君は尭よりも聖人、臣は舜よりも賢人ということになりましょう」
春申君は、「なるほど」といい、門下の吏を召し寄せて、汗先生のために、賓客の籍に入れ、五日目毎に見(まみ)えるよう、取り計らわせるのであった。さて、汗明が言うには、
ちと伺いますが、世俗のしがらみの中で生活している皆さんには、騒音ごうごうたる塵世の外なる別天地を窺い知ることはとても出来ますまいな。ああ、願わくは軽やかな涼風に乗って、大空高く舞い上がり、自分の理想に合致したあの世界を訪ねてゆきたいものである。
本日は日曜日、することも無く暇に任せて、陶潜の『桃花源記』を取り上げてみよう。
清々しい朝だが 茶店にはまだ湯は沸いていないし、まして茶などあろうはずはない
思うに この茶やの主(あるじ)は風流を解さぬ人らしい
青磁の花瓶に サルスベリの花を挿しているのだから
春に咲いた、花々が乱れる庭を占領するつもりはない
桃や李の花は、今や喋ることも無く、何処にあるのか判らない
サルスベリは秋風に吹かれ、春の美しさしか愛さない人を笑っている。
帰宅後、婆様から今日から聖天公園でラジオ体操が始まったということを聞いた。
テレビのCMで目立つのが、健康食品と保険――中には詐欺まがいのものもあるようだ。
最近では関節の潤滑剤の補給に有効と銘打って「飲むヒアルロン酸」なるものがもてはやされている。すこしでも知識のある人ならばこのような口から飲むような膝の潤滑剤が膝にゆきわたることはなく、ヒアルロン酸を経口摂取しても糞尿とともに輩出されてしまうことはよく判っていることである。溺れるもの藁をも掴むで、必要としている高齢者にとっては、有名俳優をCM起用して宣伝すれば、訳もなく騙されて何の疑いもなく高い金を払ってでも買うことになるのだろう。消費者が効果ないと気付くまでごり押し商法で売りまくる気なのだろう。実際に儲かっているから、あんなにしつこいCMもつづけられるのだろうが、見えるか見えないかの小さな字で「このCMはあくまで個人の感想であって、効果効能を補償するものではありません」だとさ。全く呆れた「詐欺商法」だとしか思えない。
抱卜子 内篇 巻十四 勤求(きんきゅう) より
抱樸子曰:“設有死罪、而人能救之者、必不為之吝勞辱而憚卑辭也、必獲生生之功也。/今雜猥道士之輩、不得金丹大法、必不得長生可知也。雖治病有起死之效、絕穀則積年不饑、役使鬼神、坐在立亡、瞻視千里、知人盛衰、發沈祟於幽翳、知禍福於未萌、猶無益於年命也、尚羞行請求、恥事先達、是惜一日之屈、而甘罔極之痛、是不見事類者也。/古人有言曰、生之於我、利亦大焉。論其貴賤、雖爵為帝王、不足以此法比焉。論其輕重、雖富有天下、不足以此術易焉。故有死王樂為生鼠之喻也。/夫治國而國平、治身而身生、非自至也、皆有以致之也。惜短乏之虛名、恥師授之蹔勞、雖日不愚、吾不信也。今使人免必死而就戮刑者、猶欣然喜於去重而即輕、脫炙爛而保視息、甘其苦痛、過於更生矣。/人但莫知當死之日、故不暫憂耳。若誠知之、而刖劓之事、可得延期者、必將為之。況但躬親灑掃、執巾竭力於勝己者、可以見教之不死之道、亦何足為苦、而蔽者憚焉。/假令有人、恥迅走而待野火之燒爇、羞逃風而致沈溺於重淵者、世必呼之為不曉事也、而鹹知笑其不避災危、而莫怪其不畏實禍、何哉?”
中国六朝時代の干宝が著したと言う志怪小説『捜神記』を後補するものとして、『捜神後記』(そうじんこうき)10巻が存在する。「桃花源記」が採録されていることから東晋の陶淵明の著作とされてきたが、後代の人が著名な陶淵明に仮託したものとされるが、やはり六朝時代の作であることは間違いないという。この中から『白水素女』を取り上げてみよう。
捜神後記 陶淵明 撰 「白水素女」
晋安帝時、侯官人謝端、少喪父母無有親属。為隣人所養。至年十七八、恭謹自守、不履非法。始出居、未有妻。隣人共愍念之。規為娶婦、未得。端夜臥早起、躬耕力作、不舎昼夜。
〈訳〉晋(しん)の安帝の世に、侯官〈福建省〉の謝端(しゃたん)は幼い頃両親を亡くし、親戚もないので、隣人の人に養われていた。十七、八歳になったが、まじめで行いを慎み、道に外れたことはしなかった。そこで隣家を出て一家を構えたが、まだ妻がなかったので、隣人の人たちは気の毒に思い、嫁を世話してやろうと申し合わせたが、なかなか見つからなかった。端は夜遅くまで仕事を続け、朝は早く起きて、野良(のら)仕事に精を出し、夜も昼も休まなかった。
後於邑下、得一大螺。如三升壺。以為異物、取以帰貯甕中。畜之十数日、端毎早至野、還見其戸中、有飯飲湯火、如有人為者。端謂隣人為之恵也。
〈訳〉その後、村はずれで三升入りの壷ほどもある大きな田螺(たにし)を一つ見つけ、珍しいものと思って持ち帰り、甕(かめ)の中に入れて飼っていた。それから十日余り経った。端は朝早く野良へ出たが帰ってみると、家の中にはいつも食事の容易がしてあり、湯も涌き、日も燃やしてあった。誰かが世話をしてくれているようである。端は隣家の人が情を掛けてくれたのだと思った。
数日如此。便往謝隣人。隣人曰、「吾初不為是。何見謝也。」端又以、隣人不喩其意。然数爾不止。後更実問。隣人笑曰、「卿已自取婦、密著室中炊爨、而言吾為之炊耶。」端黙然心疑、不知其故。
〈訳〉だが、こんなことが四五日も続いたので、端は隣家へ行き、礼を言った。ところが隣家の人は「家ではそんなことは一度もしませんよ。お礼をいわれるなんて」と言う。端は隣家の人にこちらの言うことが通じなかったのだと思った。しかし、これがまた何日も続いたので、端は隣家の人にありのままを話して尋ねた。すると隣家の人が笑いながら言うには、「あなたは自分がお嫁さんを迎え、こっそり家の中において炊事をさせながら、私があなたにご飯を炊いてあげたなどとおっしゃるのですか」 端は二の句が継げなかったが、心の中では何のことやらわけがわからなかった。
後以鶏鳴出去、平早潜帰、於籬外窃窺其家中。見一少女、従甕中出、至竈下 燃 火。端便入門、径至甕所視螺、但見殻。乃到竈下、問之曰、「新婦従何所来、而相為炊。」女大惶 惑、欲還中、不能得去。答曰、「我天漢中白水素女也。天帝哀偕少孤恭慎自守、故使我権為守舎炊 烹。十年之中、使偕居富得婦、自当還去。而偕 無 故 窃相窺掩、吾形已見。不宜 復留。当相委去。雖然、爾後自当少差。勤於田作漁採治生。留此殻去。以貯米穀、常可不乏。」
端為立神座、時節祭祀。居常饒足、不致大富耳。於是郷人以女妻之。後仕至令長云。今道中素女祠是也。
〈訳〉端は女のために神棚を作り、節季ごとに祭りを行った。それからは日常の生活も楽になった。大金持ちまでとは行かなかった。そこで村の人が、娘を端の嫁にしてくれた。端はその後仕官して県令にまで出世した。いま道端に祭ってある素女の祠(ほこら)は、この女を祀ったものである。
古代中国には自然哲学の思想で、万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説がある。5種類の元素は『互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する』という考えである。戦国時代の陰陽家騶衍(すうえん、BC305~240年頃の人?)が理論づけたとされる。
五行が混沌から太極を経て生み出されたという考え方が成立して、五行の生成とその順序が確立したという。
1.太極が陰陽に分離し、陰の中で特に冷たい部分が北に移動して水行を生じ、
2.次いで陽の中で特に熱い部分が南へ移動して火行を生じた。
3.さらに残った陽気は東に移動し風となって散って木行を生じ、
4.残った陰気が西に移動して金行を生じた。
5. そして四方の各行から余った気が中央に集まって土行が生じた。 というのが五行の生成順序であるらしい。
木(木行): 木の花や葉が幹の上を覆っている立木が元となっていて、樹木の成長・発育する様子を表す。「春」の象徴。
火(火行): 光り煇く炎が元となっていて、火のような灼熱の性質を表す。「夏」の象徴。
土(土行): 植物の芽が地中から発芽する様子が元となっていて、万物を育成・保護する性質を表す。「季節の変わり目」の象徴。
金(金行): 土中に光り煇く鉱物・金属が元となっていて、金属のように冷徹・堅固・確実な性質を表す。収獲の季節「秋」の象徴。
水(水行): 泉から涌き出て流れる水が元となっていて、これを命の泉と考え、胎内と霊性を兼ね備える性質を表す。「冬」の象徴。
四季の変化は五行の推移によって起こると考えられ、方角・色など、あらゆる物に五行が配当されていて、そこから、四季に対応する五行の色と四季を合わせて、青春、朱夏、白秋、玄冬といった言葉が生まれたのだという。
抱卜子 外篇 第十六 交際より
1.抱樸子曰。
余以朋友之交、不宜浮雜。面而不心、揚雄攸譏。故雖位顯名美、門齊年敵、而趨舍異規、業尚乖互者、未嘗結焉。或有矜其先達、步高視遠、或遺忽陵遲之舊好、或簡棄後門之類味、或取人以官而不論德、其不遭知己、零淪丘園者、雖才深智遠、操清節高者、不可也;其進趨偶合、位顯官通者、雖面墻庸瑣、必及也。如此之徒、雖能令壤蟲雲飛、斥鷃戾天、手捉刀尺、口為禍福、得之則排冰吐華、失之則當春雕悴、余代其口止叔口止脊、恥與共世。
抱卜子が言う。
「私が思うに、友人の交わりは、うわついた不純なものであってはならない。『面のみにて心ならぬ』交わりは揚雄(ようゆう、BC53~18年)も譏(そし)っている。だから官位名声ともに高く、家柄・年齢も釣り合いながら、性格が違い趣味の相反するものは、絶対に友人になれない。世の中には友人より先に出世したことを誇って、反り返って歩き、人を遥か下に見下ろす者がある。落ちぶれた古なじみを忘れた振りをする者がある。家柄の悪い同輩を軽んじ見捨てる者がある。友を選ぶのに官位だけを標準にして人格をとわぬものがある。
知己に巡り会わず、田舎に逼塞している者は、いくら深遠な才知と清潔な節操を抱いていても浮かばれない。逆にうまく立ち回って高位高官の人の気に入られた者は、如何に無知な下らぬ人間でも必ず出世する。かような人は蚯蚓(みみず)をも雲に載せ、斥鷃(みそさざい)をも天に届かせる。その手には鋏・物差をもって自在に他人を裁断し、その口は一口で以って他人に禍福を齎す。この人の気に入られれば、氷を割って一花咲かせることも出来るが、この人の機嫌を損なえば、春の最中に凋落するという憂目(うきめ)に会う。私はこれを見てわがことのように恥ずかしい。同じ世の中に住むことすら恥ずかしい。
2.窮之與達、不能求也。然而輕薄之人、無分之子、曾無疾非俄然之節、星言宵征、守其門廷、翕然諂笑、卑辭悅色、提壺執贄、時行索媚;勤苦積久、猶見嫌拒、乃行因托長者以構合之。其見受也、則踴悅過於幽系之遇赦;其不合也、則懊悴劇於喪病之逮己也。通塞有命、道貴正直、否泰付之自然、津途何足多咨。嗟乎細人、豈不鄙哉!人情不同、一何遠邪?每為慨然、助彼羞之。
不遇と栄達とは運命である。人力で求められるものではない。しかるに軽薄な人間、身の程知らぬ若者は、一足飛びに出世する方法を憎み非とする気が全くない。まだ夜も明けぬうちから権力者の門前に待ち伏せ、へらへらと諂い笑い、空世辞とえびす顔を振りまき、酒を提げ手土産を携え、いつも出向いてはご機嫌を伺う。こうして長い苦労の末、それでも嫌われ断わられると、今度はあちらこちら先輩の伝手をたどって取り持ってもらう。やっと受け入れられると、狂気乱舞そのさまは恩赦に遇った囚人以上である。それでも受け入れられぬとなると、がっくり、死病にとりつかれたよりもひどい。
遇不遇はてんめいである。人間としては真っ直ぐにおのが道を努める他はない。不遇も出世もすべて成り行きに任せることだ。人生の岐路、どうしてさほどに嘆息することがあろう! それだのに世の小人は、なんと鄙しいものではないか。人情様々とはいえ、これほどまでにかけはなれているとは! 何時もこれがために慨然として、当人に代わって顔を赤らめている。」
「わたくしは『捜神後記』のお話をいたします。これは標題の示す通り、かの『捜神記』の後編ともいうべきもので、昔から東晋(とうしん)の陶淵明(とうえんめい)先生の撰ということになって居りますが、その作者については種々の議論がありまして、『捜神記』の干宝よりも、この陶淵明は更に一層疑わしいといわれて居ります。しかしそれが偽作であるにもせよ、無いにもせよ、その内容は『捜神記』に劣らないものでありまして、『後記』と銘を打つだけの価値はあるように思われます。これも『捜神記』に伴って、早く我が国に輸入されまして、わが文学上に直接間接の影響をあたうること多大であったのは、次の話をお聴きくだされば、大抵お判りになるだろうかと思います」とある。
このお話の中に『叟神記』を書いた干宝(生没年不詳)についてのお話がある。
干宝の父
東晋の干宝(かんぽう)は字(あざな)を令升(れいしょう)といい、その祖先は新蔡(しんさい)の人である。かれの父の瑩(けい)という人に一人の愛妾があったが、母は非常に嫉妬ぶかい婦人で、父が死んで埋葬する時に、ひそかにその妾をも墓のなかへ押し落して、生きながらに埋めてしまった。当時、干宝もその兄もみな幼年であったので、そんな秘密をいっさい知らなかったのである。
それから十年の後に、母も死んだ。その死体を合葬するために父の墓をひらくと、かの妾が父の棺の上に俯伏しているのを発見した。衣服も生きている時の姿と変らず、身内もすこしく温かで、息も微かにかよっているらしい。驚き怪しんで輿(こし)にかき乗せ、自宅へ連れ戻って介抱すると、五、六日の後にまったく蘇生した。
妾の話によると、その十年のあいだ、死んだ父が常に飲み食いの物を運んでくれた。そうして、生きている時と同じように、彼女と一緒に寝起きをしていたのみか、自宅に吉凶のことある毎(ごと)に、一々彼女に話して聞かせたというのである。あまりに不思議なことであるので、干宝兄弟は試みに彼女に問いただしてみると、果たして彼女は父が死後の出来事をみなよく知っていて、その言うところがすべて事実と符合するのであった。彼女はその後幾年を無事に送って、今度はほんとうに死んだ。
干宝は『捜神記』の著者である。彼が天地のあいだに幽怪神秘のことあるを信じて、その述作に志すようになったのは、少年時代におけるこの実験に因ったのであると伝えられている。
sechin@nethome.ne.jp です。
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