瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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9224b1a5.jpg 4時30分家を出て、桜橋~水神大橋間をひと回りする。東白鬚公園の梅若橋の上にサルスベリが咲いていた。サルスベリの名は幹の肥大成長に伴って古い樹皮のコルク層が剥がれ落ち、新しいすべすべした感触の樹皮が表面に現れて更新して行くことによるもので、猿が登ろうとしても、滑ってしまうということなのであるが、実際には猿は滑ることなく簡単に上ってしまう。中国では唐代長安の紫微(しび、宮廷のこと)に多く植えられたため紫薇と呼ばれるが、比較的長い間紅色の花が咲いていることから百日紅(ひゃくじつこう)ともいう。

187d6b48.JPG 道端にあるのは 二、三軒の茶店が並んでいる
 清々しい朝だが 茶店にはまだ湯は沸いていないし、まして茶などあろうはずはない
 思うに この茶やの主(あるじ)は風流を解さぬ人らしい
 青磁の花瓶に サルスベリの花を挿しているのだから

3736d64b.JPG 作者の楊万里(よう・ばんり、1127~1206年)は南宋の詩人・学者・政治家で、「朱子学」の創始者・朱熹〈しゅき、1130~1200年〉を登用した人物だという。引退後、政権を掌握した韓侂冑(かんたくちゅう、1152~1207年)が朱熹を迫害し、専横の限りを尽くしたため、楊万里は憂憤のあまり絶食して死んだという。なお、楊万里の死の翌年、金軍と戦って惨敗した韓侂冑は誅殺され、その首は講和の証として金に送られたという。

0485aa24.JPG 夜明け、秋の露にぬれ、サルスベリの花が一枝また新しく咲く
 春に咲いた、花々が乱れる庭を占領するつもりはない
 桃や李の花は、今や喋ることも無く、何処にあるのか判らない
 サルスベリは秋風に吹かれ、春の美しさしか愛さない人を笑っている。

a39f46a2.JPG 杜牧(とぼく、830~853年)は字(あざな)は牧之(ぼくし)。若年の頃は美貌の風流才子として浮名を流したが 性剛直で奇節あり『孫子』の研究者としても知られている。晩唐詩壇の繊細優婉な一般的傾向とは別格の男性的気概の作風は豪邁と艶麗の両面を兼ねそなえ 詠史・時事諷詠に長じ特に懐旧の情をもった絶句に名作が多いという。






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