瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 昨日に引き続いて『桃花源の詩』を取り上げる。この詩ははなはだ有名ではあるが、淵明の作ではあるまいという説もある。文をそのままなぞったもので、何の新味も無いからだという。

b106a905.JPG(訳) 秦の始皇が天の秩序をかき乱して暴虐な政治を行ったため、賢者たちはこの俗世を逃れた。すなわち黄公や綺里季らの四皓(しこう)は商山に隠れたし、この人たちもこの桃花源に逃げ込んだのである。ところがその隠れた場所はいつしか埋没してしまってそこへ行く路も遂に荒れ果てて、分らなくなった。


f58c9a30.JPG(訳) しかし彼らは互いに励ましあって農耕に精を出し、日が暮れると思い思いに休息をとった。桑の木や竹はたっぷりと陰を落とし、豆や高粱(こうりゃん)は時節に合わせて種をまいた。春になると蚕から長い生糸を取り、秋には作物の取入れをするが、お上に税をおさめることはなかった。


7c58aea9.JPG(訳) 草深い路は微かながら往き来ができるし、鶏や犬は互いに鳴き交わし、吠え交わしている。祭礼の時の肉を載せる俎板(まないた)や肴饌(こうせん・ごちそう)を盛る髙つきなどは今なお古代のしきたりを守っているし、衣装も新しい型のものは作らない。子供たちは気ままに歩きながら歌い、斑白の老人たちは楽しげにだれかれの家へ遊びに行ったりしていた。

b43dbe54.JPG(訳) 草が生い茂ると和やかな季節になってきたことがわかるし、木の葉が枯れ落ちると風の激しくなってきたことが分かる。暦の本などはなくても、四季が自ずから遷り変わって一年が経つ。全く楽しいことが有り余るほどだから、今更何を苦労して小賢しい智慧など働かす必要があろうか。


6c585500.JPG(訳) この秘境のの所在が分らなくなってしまって凡そ五百年、その神仙世界が或る日偶々発見されたのだ。しかし淳朴な風俗と軽薄なそれとは本源的に違うのだから、忽ちにしてまたもとの隠蔽された状態にもどってしまったのである。

 ちと伺いますが、世俗のしがらみの中で生活している皆さんには、騒音ごうごうたる塵世の外なる別天地を窺い知ることはとても出来ますまいな。ああ、願わくは軽やかな涼風に乗って、大空高く舞い上がり、自分の理想に合致したあの世界を訪ねてゆきたいものである。

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