瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
桃源郷(とうげんきょう)というのは、中国における理想郷を指す、想像上の場所で、俗世間から離れ、山水の中で仙境に遊んだり素朴な農耕をしたりできる世界である。また転じて、仙人がいる・あるいはそこに行けば仙人同様になれる聖地ともされているのである。桃源郷の初出は六朝時代の東晋末から南朝宋にかけて活躍した詩人・陶淵明(365~427年)が著した詩『桃花源記 ならびに序』である。現在では『桃花源紀』(詩)よりは、その序文のほうがよく読まれている。
本日は日曜日、することも無く暇に任せて、陶潜の『桃花源記』を取り上げてみよう。
〈訳〉晋の太元年間、武陵に、魚とりを生業としている男がいた。或る日谷川に沿って舟を漕いでいくうちに、どれ位行ったか忘れたが、突然、一面に咲きそろった桃の林に出遭った。川を挟んだ両岸にはすう百歩の間、桃以外の木は一本もなく、芳しい花が一面に咲き誇り、花びらのひらひらと舞い落ちる様が実に見事だった。漁師は甚だ不思議に思い更に遡って、その林の奥まで見とどけようとした。
〈訳〉林は水源の所で尽きて、そこに一つの山があった。その山に小さな口があって、何かしら光線が射しているようだ。そこで船から降りてその口に入り込んだ。最初のうちはひどく狭くて、やっと人一人通り抜けられるくらいだった。さらに数十歩行くと、からりと開けて、土地は広く平らに、立派な家屋が立ち並び、よい田畑、美しい池、桑や竹の類があった。
〈訳〉 漁師を見ると、ひどく驚いて、何処から来たのかと聞いた。そこで詳しく話して聞かせると、自分の家につれて帰って、酒の支度をし鶏を絞めて、ご馳走した。村の人々は、その男の来たことを聞き、みなやって来て色々質問し、自分たちで言うのだった。「わたしどもの先祖が秦の時の戦乱を避けるために妻子や村人を引き連れてこの人里はなれた山奥にやって来て、もはや決してここを出ず、そのまま外界の人々と縁が切れてしまったのです。そう言ってさらに、「今はどういう御代ですか」と訊ねた。なんと彼らは漢代のあったことすら知らなかったのだ。ましてや魏・晋はいうまでもない。漁師が一々自分の耳にした限りのことを詳しく話してやると、彼らはみな驚いて嘆息した。ほかの人々もまたそれぞれ自分の家に招待して、みな酒食をだした。かくて数日間この地に逗留して、暇を告げて去ったのだが、そのとき村の人々は告げて言った。「外界の人に話すほどのことではありませんよ。」
〈訳〉 やがて例の口を出てくると、元の船を見つけ、前に来た道をたどって、要所要所に目印をつけた。かくて郡の町に着くと、太守の所へ参ってかくかくしかじかと話をした。太守は早速人を派遣してその漁師について行かせ、前につけた目印をたどって行ったが、遂に迷ってもはや道を見つけることはできなかった。
〈訳〉 南陽郡の劉子驥先生は高潔な人物であった。この話を聞くと、喜び勇んでその秘境を探訪しようと計画を立てたが、まだ実現しないうちに、間もなく病気になって世を去った。その後ついにその地を訪ねる人はなかったのである。
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目高 拙痴无
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