瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
台風6号の影響で、今朝も雨模様。
中国六朝時代の干宝が著したと言う志怪小説『捜神記』を後補するものとして、『捜神後記』(そうじんこうき)10巻が存在する。「桃花源記」が採録されていることから東晋の陶淵明の著作とされてきたが、後代の人が著名な陶淵明に仮託したものとされるが、やはり六朝時代の作であることは間違いないという。この中から『白水素女』を取り上げてみよう。
捜神後記 陶淵明 撰 「白水素女」
晋安帝時、侯官人謝端、少喪父母無有親属。為隣人所養。至年十七八、恭謹自守、不履非法。始出居、未有妻。隣人共愍念之。規為娶婦、未得。端夜臥早起、躬耕力作、不舎昼夜。
〈訳〉晋(しん)の安帝の世に、侯官〈福建省〉の謝端(しゃたん)は幼い頃両親を亡くし、親戚もないので、隣人の人に養われていた。十七、八歳になったが、まじめで行いを慎み、道に外れたことはしなかった。そこで隣家を出て一家を構えたが、まだ妻がなかったので、隣人の人たちは気の毒に思い、嫁を世話してやろうと申し合わせたが、なかなか見つからなかった。端は夜遅くまで仕事を続け、朝は早く起きて、野良(のら)仕事に精を出し、夜も昼も休まなかった。
後於邑下、得一大螺。如三升壺。以為異物、取以帰貯甕中。畜之十数日、端毎早至野、還見其戸中、有飯飲湯火、如有人為者。端謂隣人為之恵也。
〈訳〉その後、村はずれで三升入りの壷ほどもある大きな田螺(たにし)を一つ見つけ、珍しいものと思って持ち帰り、甕(かめ)の中に入れて飼っていた。それから十日余り経った。端は朝早く野良へ出たが帰ってみると、家の中にはいつも食事の容易がしてあり、湯も涌き、日も燃やしてあった。誰かが世話をしてくれているようである。端は隣家の人が情を掛けてくれたのだと思った。
数日如此。便往謝隣人。隣人曰、「吾初不為是。何見謝也。」端又以、隣人不喩其意。然数爾不止。後更実問。隣人笑曰、「卿已自取婦、密著室中炊爨、而言吾為之炊耶。」端黙然心疑、不知其故。
〈訳〉だが、こんなことが四五日も続いたので、端は隣家へ行き、礼を言った。ところが隣家の人は「家ではそんなことは一度もしませんよ。お礼をいわれるなんて」と言う。端は隣家の人にこちらの言うことが通じなかったのだと思った。しかし、これがまた何日も続いたので、端は隣家の人にありのままを話して尋ねた。すると隣家の人が笑いながら言うには、「あなたは自分がお嫁さんを迎え、こっそり家の中において炊事をさせながら、私があなたにご飯を炊いてあげたなどとおっしゃるのですか」 端は二の句が継げなかったが、心の中では何のことやらわけがわからなかった。
後以鶏鳴出去、平早潜帰、於籬外窃窺其家中。見一少女、従甕中出、至竈下 燃 火。端便入門、径至甕所視螺、但見殻。乃到竈下、問之曰、「新婦従何所来、而相為炊。」女大惶 惑、欲還中、不能得去。答曰、「我天漢中白水素女也。天帝哀偕少孤恭慎自守、故使我権為守舎炊 烹。十年之中、使偕居富得婦、自当還去。而偕 無 故 窃相窺掩、吾形已見。不宜 復留。当相委去。雖然、爾後自当少差。勤於田作漁採治生。留此殻去。以貯米穀、常可不乏。」
〈訳〉その後端は一番鶏(どり)が鳴いた時に家を出て、辺りが明るくなるころにそっと引き返し、生垣(いけがき)の外から我が家の中を覗いていた。すると、甕の中から一人の若い女が出て来て、竈のところへ行って火を起し始めた。端はすぐに家へ入り、さっと甕のそばへ行って田螺を見たが、殻が残っているだけであった。そこで端は竈のところへ行き、娘に声を掛けた。「ご新造さんはどこからおいでになりました。何で炊事をしてくださるのですか」 女は慌てふためき、甕の中に戻ろうとしたが、もどれない。そこで端に答えた。「私は天の川に住む白水の素女です。天帝はあなたが幼い時からの孤児でありながら、まじめに行いを慎んでおられるのを哀れに思し召されましたので、私を遣わし、仮にお宅の留守番と炊事をお命じになったのです。十年のうちにあなたを金持ちにし、お嫁さんも迎えさせた上で、私は天に帰ることになっておりました。ところがあなたは無態にもこっそり覗(のぞ)き見をして、私をつかまえました。私の姿が現れてしまってはもはや此処には折られませぬ。あなたを見捨てて行かなければなりません。でも、これからは生活がいくらかよくなるでしょう。畑仕事に精を出し、魚とりと柴刈りで生計をお立てなさい。この殻は置いてゆきます。これに穀物を入れておけば窮乏することはないはずです」 端は留まってくれるように頼んだが、女はどうしても聞かない。このとき、ふいに風雨が起こり、女は吸い込まれるように姿を消してしまった。
端為立神座、時節祭祀。居常饒足、不致大富耳。於是郷人以女妻之。後仕至令長云。今道中素女祠是也。
〈訳〉端は女のために神棚を作り、節季ごとに祭りを行った。それからは日常の生活も楽になった。大金持ちまでとは行かなかった。そこで村の人が、娘を端の嫁にしてくれた。端はその後仕官して県令にまで出世した。いま道端に祭ってある素女の祠(ほこら)は、この女を祀ったものである。
中国六朝時代の干宝が著したと言う志怪小説『捜神記』を後補するものとして、『捜神後記』(そうじんこうき)10巻が存在する。「桃花源記」が採録されていることから東晋の陶淵明の著作とされてきたが、後代の人が著名な陶淵明に仮託したものとされるが、やはり六朝時代の作であることは間違いないという。この中から『白水素女』を取り上げてみよう。
捜神後記 陶淵明 撰 「白水素女」
晋安帝時、侯官人謝端、少喪父母無有親属。為隣人所養。至年十七八、恭謹自守、不履非法。始出居、未有妻。隣人共愍念之。規為娶婦、未得。端夜臥早起、躬耕力作、不舎昼夜。
〈訳〉晋(しん)の安帝の世に、侯官〈福建省〉の謝端(しゃたん)は幼い頃両親を亡くし、親戚もないので、隣人の人に養われていた。十七、八歳になったが、まじめで行いを慎み、道に外れたことはしなかった。そこで隣家を出て一家を構えたが、まだ妻がなかったので、隣人の人たちは気の毒に思い、嫁を世話してやろうと申し合わせたが、なかなか見つからなかった。端は夜遅くまで仕事を続け、朝は早く起きて、野良(のら)仕事に精を出し、夜も昼も休まなかった。
後於邑下、得一大螺。如三升壺。以為異物、取以帰貯甕中。畜之十数日、端毎早至野、還見其戸中、有飯飲湯火、如有人為者。端謂隣人為之恵也。
〈訳〉その後、村はずれで三升入りの壷ほどもある大きな田螺(たにし)を一つ見つけ、珍しいものと思って持ち帰り、甕(かめ)の中に入れて飼っていた。それから十日余り経った。端は朝早く野良へ出たが帰ってみると、家の中にはいつも食事の容易がしてあり、湯も涌き、日も燃やしてあった。誰かが世話をしてくれているようである。端は隣家の人が情を掛けてくれたのだと思った。
数日如此。便往謝隣人。隣人曰、「吾初不為是。何見謝也。」端又以、隣人不喩其意。然数爾不止。後更実問。隣人笑曰、「卿已自取婦、密著室中炊爨、而言吾為之炊耶。」端黙然心疑、不知其故。
〈訳〉だが、こんなことが四五日も続いたので、端は隣家へ行き、礼を言った。ところが隣家の人は「家ではそんなことは一度もしませんよ。お礼をいわれるなんて」と言う。端は隣家の人にこちらの言うことが通じなかったのだと思った。しかし、これがまた何日も続いたので、端は隣家の人にありのままを話して尋ねた。すると隣家の人が笑いながら言うには、「あなたは自分がお嫁さんを迎え、こっそり家の中において炊事をさせながら、私があなたにご飯を炊いてあげたなどとおっしゃるのですか」 端は二の句が継げなかったが、心の中では何のことやらわけがわからなかった。
後以鶏鳴出去、平早潜帰、於籬外窃窺其家中。見一少女、従甕中出、至竈下 燃 火。端便入門、径至甕所視螺、但見殻。乃到竈下、問之曰、「新婦従何所来、而相為炊。」女大惶 惑、欲還中、不能得去。答曰、「我天漢中白水素女也。天帝哀偕少孤恭慎自守、故使我権為守舎炊 烹。十年之中、使偕居富得婦、自当還去。而偕 無 故 窃相窺掩、吾形已見。不宜 復留。当相委去。雖然、爾後自当少差。勤於田作漁採治生。留此殻去。以貯米穀、常可不乏。」
〈訳〉その後端は一番鶏(どり)が鳴いた時に家を出て、辺りが明るくなるころにそっと引き返し、生垣(いけがき)の外から我が家の中を覗いていた。すると、甕の中から一人の若い女が出て来て、竈のところへ行って火を起し始めた。端はすぐに家へ入り、さっと甕のそばへ行って田螺を見たが、殻が残っているだけであった。そこで端は竈のところへ行き、娘に声を掛けた。「ご新造さんはどこからおいでになりました。何で炊事をしてくださるのですか」 女は慌てふためき、甕の中に戻ろうとしたが、もどれない。そこで端に答えた。「私は天の川に住む白水の素女です。天帝はあなたが幼い時からの孤児でありながら、まじめに行いを慎んでおられるのを哀れに思し召されましたので、私を遣わし、仮にお宅の留守番と炊事をお命じになったのです。十年のうちにあなたを金持ちにし、お嫁さんも迎えさせた上で、私は天に帰ることになっておりました。ところがあなたは無態にもこっそり覗(のぞ)き見をして、私をつかまえました。私の姿が現れてしまってはもはや此処には折られませぬ。あなたを見捨てて行かなければなりません。でも、これからは生活がいくらかよくなるでしょう。畑仕事に精を出し、魚とりと柴刈りで生計をお立てなさい。この殻は置いてゆきます。これに穀物を入れておけば窮乏することはないはずです」 端は留まってくれるように頼んだが、女はどうしても聞かない。このとき、ふいに風雨が起こり、女は吸い込まれるように姿を消してしまった。
端為立神座、時節祭祀。居常饒足、不致大富耳。於是郷人以女妻之。後仕至令長云。今道中素女祠是也。
〈訳〉端は女のために神棚を作り、節季ごとに祭りを行った。それからは日常の生活も楽になった。大金持ちまでとは行かなかった。そこで村の人が、娘を端の嫁にしてくれた。端はその後仕官して県令にまで出世した。いま道端に祭ってある素女の祠(ほこら)は、この女を祀ったものである。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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