昨日は午後からは本降りになり、とうとう徘徊は止めにした。本日もまた雨。今日で歯の治療が終る。歯医者から帰宅し、久し振りに出来るだけくまなく新聞に目を通してみた。今朝の朝日の社説を見ながら、どうした訳か。論語における孔子の管仲観を思い出して、本棚の片隅から論語を引き出し、拾い読みをしてみた。
子(し)曰(いわ)く、管仲(かんちゅう)の器(うつわ)や小なるかな。或るひと曰く、管仲は倹(けん)なるか。曰く、管氏に三帰(さんき)あり、官事(かんじ)は摂(せっ)せず、いずくんぞ倹(けん)なるを得ん。しからばすなわち管仲は礼を知るか。曰く、邦君(ほうくん)は樹(じゅ)もて門を塞(ふさ)ぐ、管氏もまた樹もて門を塞ぐ。邦君が両君の好(よし)みをなすには反坫(はんてん)あり、管氏もまた反坫(はんてん)あり。管氏にして礼を知らば、たれか礼を知(し)らざらんや。《孔子が言う。「管仲の人物は小さな」。ある人が訊ねた。「管仲が倹約家であったからですか?」。答えて、「管仲の家では三帰の高台を作ったし、仕事はそれぞれ専門の係りにやらせておった。とても倹約家などとは申せん。」重ねて訊ねた。「それでは管仲が法の遵法者であったからですか?」答えて、「樹で門の目隠しをすることは諸侯のみに許されていることなのだが、管中の家でも樹で門を塞いだ。また、諸侯どうしの親睦の会合には献酬の杯を置く反坫(はんてん)という台を用いるのがしきたりなのだが、(大夫でありながら)管仲の家出も反坫を設けていた。このような振舞いがありながら、礼の遵法者というのなら、世の中にれいを知らぬ者などいないだろう。」》 (論語 八佾第三より)
子貢(しこう)曰く、管仲(かんちゅう)は非仁なる者か。桓公(かんこう)、公子糾(こうしきゅう)を殺したるに、死するあたわず。またこれに相(しょう)たり。子(し)曰(いわ)く、管仲は桓公を相(しょう)とし、諸侯に覇(は)たらしめ、天下を一匡(いっきょう)す。民、今に到(いた)るまで、その賜(し)を受く。管仲微(なか)りせば、われそれ髪(はつ)を被(こうむ)り、衽(えり)を左にせん。あに匹夫(ひっぷ)匹婦(ひっぷ)の諒(まこと)をなし、みずから溝瀆(こうとく)に経(くび)れてこれを知るなきがごとくせんや。《子貢が言うに、「管仲は仁者とは申せませんね。桓公が(兄弟の)公子糾(きゅう)を殺した時、(糾の傅役でありながら)死ぬことも出来ず、そのうえ(桓公に仕えて)大臣にまでなりました。」孔子が言う。「管仲は桓公を補佐して諸侯の覇者たらしめ、周の天子の下に天下は統一されることになった。中国の人民は今に至るまでそのお蔭を蒙っているのである。もし管仲がいなかったら、我々は〔今頃蕃人の侵略を受けて〕ひょっとしたら髪も結わず、左前に着物を着ることになっていたかもしれないのだ。世間の男女が小さな義理立てのために田圃の溝で頸をくくり、誰からも認められずに終るのなどとはわけがちがうのである。」》 (論語 憲問第十四より)
『論語義疏』には「接輿楚人也、姓陸、名通、字接輿、昭王時、政令無常、乃被髮佯狂不仕、時人謂之爲楚狂也《接輿は楚の人なり。姓は陸、名は通、字は接輿。昭王の時、政令常なし、乃ち髪を被り(ざんばら髪にすること)、佯狂(にせちがい)となりて仕えず。時人之を謂いて、楚狂となせり》とある。
政権交代で、政治の動きが慌しく揺れている。その意味で、今政治が面白い。今日は日曜日、午前中はずーっと報道番組を見呆けていた。爺の先は多寡がしれている。別に政権交代に期待しているわけではない。まあ、つまらんテレビドラマを見るよりはずーっとオモロイ。
民主党は衆院選で政官業の癒着を批判し、国民本位の政治を訴えるなど、産業界とは距離を置く姿勢を示しており、財界では「政治との関係見直しは避けられない」(財界幹部)との見方が大勢を占めているという。経団連は民主党の政策と大きく食い違う地球温暖化対策や雇用政策などについて「政策面での意見交換を頻繁に実施して理解を求めたい」と述べ、民主党との政策協議に意欲を示している。民主党が掲げる製造業への派遣労働者の原則禁止などについて「海外に製造拠点を移してしまうことも考えられる」と指摘し、慎重な検討を重ねて求めた。ただ、民主党は国民本位の政治を掲げ、企業献金の廃止などを検討している。財界では自民や民主など政党の政策を点検して献金額を決めてきたが、「献金がなくなれば、政治との結びつきが弱くなる」(財界幹部)と指摘されている。また、これまで財界は、自民党に対して税制改正などの政策要望を提出し、政策決定過程にも関与することで政策の実現を目指してきたが、民主党について財界内には「どのような政策決定過程を辿るかが見えない」との声が根強く、経団連首脳は「政治との距離は大幅に広がるだろう」と蜜月関係の終焉を予想している。9月30日の産経ニュースは次のように報じている。
経団連が政策評価による企業献金への関与を始めたのは16年。ゼネコン汚職事件を受けて自民党への献金斡旋(あつせん)をやめた経団連が、政策評価で献金の透明性を高めることで関与を再開した。
しかし、これまでの政策評価の結果は圧倒的に自民党が高く、民主党への献金額は毎年自民党の30分の1程度にとどまる。20年の自民党への評価はA~Eの5段階で3分の1の項目でA評価となった。これに対して民主党はAがゼロ、自民党には付かなかったD評価が6つもあった。
19年の評価と比べると、1ポイントの低下にとどまった自民党に対し、民主党は3ポイントも低下。政策評価だけを目安にすれば、民主党の20年の献金額は減るはずだった。しかし、民主党への献金額は19年の8000万円から1億1000万円に増え、評価とは反対の結果となった。
経済危機の影響から全体の献金額が減ったこともあり、自民党分は19年の29億1000万円から27億円へと減少。経団連も「参議院で第一党を占めるなど、民主党への期待感の高まりから少しだが増えた」とみる。
経団連が11月に発表する今年の政策評価では「鳩山政権の現実路線を踏まえて判断する」(経団連幹部)として、民主党の評価をある程度高める方向だ。ただ、地球温暖化対策や労働政策で経団連の方向性と大きな乖離(かいり)があるだけに「大幅な上方修正は難しい」(同経団連幹部)。
企業サイドの悩みも深い。「政権与党である以上、民主党への献金は増やさざるを得ない」(財界首脳)との声が聞かれる一方で、20年に自民党に2500万円の献金を行った日本百貨店協会は「経営環境が悪化するなか、献金のあり方を全面的に見直し」、当面は献金そのものを中止する。
民主党はマニフェスト(政権公約)で、政治資金規正法を改正して3年後に企業・団体献金を禁止する方針を打ち出している。御手洗冨士夫経団連会長は、9月28日の会見で当面は政策評価を続けると明言。ただ、民主党に430万円を献金した日本自動車工業会は「政策評価も多少参考にしているが、自工会として判断している」と、あくまで自主的な考えで献金額を決めるという。
このままでいけば、21年の民主党への献金額が20年実績よりも上回るのは確実で、経団連の政策評価との乖離(かいり)が問われそうだ。(2009.9.30 20:27)
今にも降り出しそうな天気ではあったが、厩橋まで南下し、春日通を東へ向って進む。三つ目通りまでくると、上から冷たいものが落ちてくるので、三つ目通りを北上、言問橋を渡って帰宅しようと、浅草通りまで来るとどうやら大したことはなさそうなので、淺草通りをさらに東に進んだ。業平橋西から見る東京スカイツリーは一段と高さを増し、目立つようになった。クレーンで資材を上へ吊り上げているのがよく見える。こうしてみていると巨大なプラモデルが組み立てられているような感じである。
言語の不統一で人の組織化を防ごうとした神の意図は空しく、今や飽く事を知らない人間の欲望は果てし無く広がっている。地球温暖化問題もそうだが、生命科学の分野においても、命の尊厳そのものが怪しくなってきている。このまま突き進んでゆけば、大きな混乱が必ず起きるだろう。科学技術的にはこれは出来るけれども、我々はこれは望まないという「分をわきまえる」知恵の必要を、社会の中に形成されるよう、働きかけることが必要なのである。その意味で、この「バベルの塔」は、単なる古代神話とすることなく、「分をわきまえる」現代的知恵を見出すべき寓話として、再解釈されてもよいのではないだろうか。
京成橋を渡り、桜橋通りから桜橋に出て帰宅した。9223歩、5.9kmを記録する。
こんなことを考えながら、白鬚橋を渡り、墨堤通りを南下し、吾妻橋を渡ると隅田公園を北上して帰宅した。本日の記録は9548歩、6.2kmであった。
早速返信メールを送っておいた。「メールありがとう。長松寺の写真まで貼付していただき、本当に懐かしく拝見いたしました。/なお、このメールは爺のブログに転写させていただきます。悪しからず。/日高節夫」
白鬚少年野球場には、「日本だからできる新しいオリンピック」という垂れ幕がだらしなく弛んで掛かっている。水神大橋西にある東京都リハビリテーション病院にもおなじ垂れ幕が掛かっている。
鳩山由紀夫首相は27日、2016年の夏季五輪開催地を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会に出席することを決め、平野博文官房長官に対して、総会が開かれるデンマークのコペンハーゲンへの外遊日程を調整するように指示したと聞く。28日にも最終的に日程を固めるらしい。東京招致に向けて、首相として出席、自らアピールする考えだという。IOC総会は10月2日に開催される。東京とシカゴ、マドリード、リオデジャネイロの4都市が激しく争っており、石原慎太郎東京都知事が首相の訪米中に平野氏を通じ総会への出席を要請。鳩山首相は「日程的な都合がつけば真剣に考えたい」としてきた。鳩山首相は10月前半に日中韓首脳会談などの外交日程があるほか、来年度予算の編成方針を早期に固める必要があるが、1泊3日の強行軍で総会に出席する構えだ。何でこうまでして望みの薄いオリンピック招致に拘るのか理解に苦しむものである。
昨日とコースは全く同じであるから、記録もほぼ同じで、9770歩、6.3km。
老子(第六十六)にいう、「江海(こうかい)のよく百谷(ひゃっこく)の王たるゆえんは、その善くこれに下るをもってなり。故によく百谷(ひゃっこく)の王たり。ここをもって聖人は、民に上(うえ)たらんと欲すれば、必ず言(げん)をもってこれに下(くだ)り、民に先んぜんと欲すれば、必ず身をもってこれに後(おく)る。ここをもって聖人は、上に処(お)るも民は重しとせず、前に処(お)るも民は害とせず。ここをもって天下推(お)すことを楽しみて厭(いと)わず。その争(あらそ)わざるをもっての故に、天下よくこれと争(あらそ)うことなし。」と。
「江や海が幾百もの谷川の王となって《その水を集めて》いられる理由は、それらがうまく謙(ヘリくだ)って《低い所に》いるからである。だからこそ幾百もの谷川の王となっておれるのである。だからこそ《統治者として》人民の上に立ちたいと望むなら、必ずそのことばによってかれらに謙り、人民の先頭に立ちたいと望むなら、必ずその身《のこと》をかれらより後回しにすることである。それゆえに聖人は、《統治者として》上の地位にいても人民はそれを重荷とせず、前面にいても人民はそれを邪魔だとは思わない。それゆえ、世界中が喜んでかれを支持して、厭わない。かれは《自分を立てて他人と》争うことをしない。だから、世界中にかれと争うことのできるものがいないのである。」ということなのであろう。
オバマさんや鳩山さん、今は世界中から注目されているとマスコミは伝えるが、数千年昔のこの老子爺さんの言葉を聞いていただいて肝に銘じて貰いたいものである。
白鬚橋まで南下、橋場のマンション群の裏手の隅田川遊歩道を通って、6時30分帰宅。9706歩、6.3㎞の徘徊であった。
ここ押上天祖神社は戦災で壊滅したが、戦後地元民の努力で復旧下らしい。本殿に並んで境内社の三峰神社が祀られている。
sechin@nethome.ne.jp です。
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