瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[344] [345] [346] [347] [348] [349] [350] [351] [352] [353] [354]

2c3f50e5.JPG 昨日は午後からは本降りになり、とうとう徘徊は止めにした。本日もまた雨。今日で歯の治療が終る。歯医者から帰宅し、久し振りに出来るだけくまなく新聞に目を通してみた。今朝の朝日の社説を見ながら、どうした訳か。論語における孔子の管仲観を思い出して、本棚の片隅から論語を引き出し、拾い読みをしてみた。
 子(し)曰(いわ)く、管仲(かんちゅう)の器(うつわ)や小なるかな。或るひと曰く、管仲は倹(けん)なるか。曰く、管氏に三帰(さんき)あり、官事(かんじ)は摂(せっ)せず、いずくんぞ倹(けん)なるを得ん。しからばすなわち管仲は礼を知るか。曰く、邦君(ほうくん)は樹(じゅ)もて門を塞(ふさ)ぐ、管氏もまた樹もて門を塞ぐ。邦君が両君の好(よし)みをなすには反坫(はんてん)あり、管氏もまた反坫(はんてん)あり。管氏にして礼を知らば、たれか礼を知(し)らざらんや。《孔子が言う。「管仲の人物は小さな」。ある人が訊ねた。「管仲が倹約家であったからですか?」。答えて、「管仲の家では三帰の高台を作ったし、仕事はそれぞれ専門の係りにやらせておった。とても倹約家などとは申せん。」重ねて訊ねた。「それでは管仲が法の遵法者であったからですか?」答えて、「樹で門の目隠しをすることは諸侯のみに許されていることなのだが、管中の家でも樹で門を塞いだ。また、諸侯どうしの親睦の会合には献酬の杯を置く反坫(はんてん)という台を用いるのがしきたりなのだが、(大夫でありながら)管仲の家出も反坫を設けていた。このような振舞いがありながら、礼の遵法者というのなら、世の中にれいを知らぬ者などいないだろう。」》 (論語 八佾第三より)
c0c3c73b.JPG
ac4ba215.JPG 子貢(しこう)曰く、管仲(かんちゅう)は非仁なる者か。桓公(かんこう)、公子糾(こうしきゅう)を殺したるに、死するあたわず。またこれに相(しょう)たり。子(し)曰(いわ)く、管仲は桓公を相(しょう)とし、諸侯に覇(は)たらしめ、天下を一匡(いっきょう)す。民、今に到(いた)るまで、その賜(し)を受く。管仲微(なか)りせば、われそれ髪(はつ)を被(こうむ)り、衽(えり)を左にせん。あに匹夫(ひっぷ)匹婦(ひっぷ)の諒(まこと)をなし、みずから溝瀆(こうとく)に経(くび)れてこれを知るなきがごとくせんや。《子貢が言うに、「管仲は仁者とは申せませんね。桓公が(兄弟の)公子糾(きゅう)を殺した時、(糾の傅役でありながら)死ぬことも出来ず、そのうえ(桓公に仕えて)大臣にまでなりました。」孔子が言う。「管仲は桓公を補佐して諸侯の覇者たらしめ、周の天子の下に天下は統一されることになった。中国の人民は今に至るまでそのお蔭を蒙っているのである。もし管仲がいなかったら、我々は〔今頃蕃人の侵略を受けて〕ひょっとしたら髪も結わず、左前に着物を着ることになっていたかもしれないのだ。世間の男女が小さな義理立てのために田圃の溝で頸をくくり、誰からも認められずに終るのなどとはわけがちがうのである。」》 (論語 憲問第十四より)

 

4a564a7d.JPG 昨日は午前中はテレビで報道特集を見呆けていた。突然ニュースが入って来た。「本日(4日)午前8時20分頃、自民党の中川昭一元財務・金融相(56)が東京都世田谷区内の自宅2階ベッドの上でうつぶせの状態で動かなくなっているのを妻が発見、「体が冷たくなっている」と119番通報した。」というものであった。親子2代続いての突然死。親父のほうは自殺ということになっているが、一時は他殺説も出たほどであった。いやはや、何だか怨念めいたものを感じるのである。聞くところによると親父さんのほうは豪快そうに見えて、なかなか神経の細かいところがあったらしい。親父の血を受けてか、息子のほうもかなり神経質であったようだ。飲酒にしても神経質な点が災いして深酒したらしい。いやはや、こういう人は政治家には向かないらしい。道を誤ったとしか言いようがない。
bb004dfd.JPG 論語『微子第十八』に曰く、「楚狂接輿歌而過孔子、曰、鳳兮鳳兮、何徳之衰也、徃者不可諌也、來者猶可追也、已而已而、今之從政者殆而、孔子下欲與之言、趨而辟之、不得與之言、《 読み下し:楚の狂接輿(きょうしょうよ)、歌いて孔子を過ぐ、曰わく、鳳よ鳳よ、何ぞ徳の衰えたる。往く者は諌むべからず、来たる者は猶(な)お追うべし。已(や)みなん已みなん。今の政に従う者は殆(あや)うし。孔子下(お)りてこれと言(い)わんと欲す。趨(はし)りてこれを辟(さ)く。これを言うことを得ず。》《訳:楚のもの狂いの接輿が歌いながら孔子のそばを通り過ぎた、鳳よ鳳よ、何と徳の衰えたことよ。過ぎたことは諌めても無駄だが、これからのことはまだ間に合う。止めなさい、止めなさい、今の世に政治するとは危ういことだ。孔子は[車を]降りて彼と話しをしようとしたが、小走りして避けたので、話すことが出来なかった。》
 『論語義疏』には「接輿楚人也、姓陸、名通、字接輿、昭王時、政令無常、乃被髮佯狂不仕、時人謂之爲楚狂也《接輿は楚の人なり。姓は陸、名は通、字は接輿。昭王の時、政令常なし、乃ち髪を被り(ざんばら髪にすること)、佯狂(にせちがい)となりて仕えず。時人之を謂いて、楚狂となせり》とある。
 昨夜は仲秋の名月、もしかしたら早朝の西空に望月が見られるのではないかと、午前5時に家を出て、隅田公園を南下、駒形橋を渡って墨田区側の遊歩道を白鬚橋まで北上。どうやら西空は雲に覆われ、望月の欠片も見られなかった。隅田公園の川沿いの遊歩道を通って帰宅。9333歩、6.0㎞を歩いたことになる。
 政権交代で、政治の動きが慌しく揺れている。その意味で、今政治が面白い。今日は日曜日、午前中はずーっと報道番組を見呆けていた。爺の先は多寡がしれている。別に政権交代に期待しているわけではない。まあ、つまらんテレビドラマを見るよりはずーっとオモロイ。
 民主党は衆院選で政官業の癒着を批判し、国民本位の政治を訴えるなど、産業界とは距離を置く姿勢を示しており、財界では「政治との関係見直しは避けられない」(財界幹部)との見方が大勢を占めているという。経団連は民主党の政策と大きく食い違う地球温暖化対策や雇用政策などについて「政策面での意見交換を頻繁に実施して理解を求めたい」と述べ、民主党との政策協議に意欲を示している。民主党が掲げる製造業への派遣労働者の原則禁止などについて「海外に製造拠点を移してしまうことも考えられる」と指摘し、慎重な検討を重ねて求めた。ただ、民主党は国民本位の政治を掲げ、企業献金の廃止などを検討している。財界では自民や民主など政党の政策を点検して献金額を決めてきたが、「献金がなくなれば、政治との結びつきが弱くなる」(財界幹部)と指摘されている。また、これまで財界は、自民党に対して税制改正などの政策要望を提出し、政策決定過程にも関与することで政策の実現を目指してきたが、民主党について財界内には「どのような政策決定過程を辿るかが見えない」との声が根強く、経団連首脳は「政治との距離は大幅に広がるだろう」と蜜月関係の終焉を予想している。9月30日の産経ニュースは次のように報じている。
45acf2b7.JPG 日本経団連が30日発表した平成20年の政治資金収支報告書に基づく、経団連会員企業の政治献金額によると、民主党向けが初めて1億円を突破したことが明らかになった。献金総額28億1000万円の95%は依然自民党向けだが、会員企業が献金の目安にする民主党に対する経団連の政策評価は低い。21年の企業献金の行方は、民主党が政権与党になったことや同党の企業・団体献金禁止方針などもあり揺れており、政策評価の意義が改めて問われそうだ。
 経団連が政策評価による企業献金への関与を始めたのは16年。ゼネコン汚職事件を受けて自民党への献金斡旋(あつせん)をやめた経団連が、政策評価で献金の透明性を高めることで関与を再開した。
 しかし、これまでの政策評価の結果は圧倒的に自民党が高く、民主党への献金額は毎年自民党の30分の1程度にとどまる。20年の自民党への評価はA~Eの5段階で3分の1の項目でA評価となった。これに対して民主党はAがゼロ、自民党には付かなかったD評価が6つもあった。
 19年の評価と比べると、1ポイントの低下にとどまった自民党に対し、民主党は3ポイントも低下。政策評価だけを目安にすれば、民主党の20年の献金額は減るはずだった。しかし、民主党への献金額は19年の8000万円から1億1000万円に増え、評価とは反対の結果となった。
 経済危機の影響から全体の献金額が減ったこともあり、自民党分は19年の29億1000万円から27億円へと減少。経団連も「参議院で第一党を占めるなど、民主党への期待感の高まりから少しだが増えた」とみる。
 経団連が11月に発表する今年の政策評価では「鳩山政権の現実路線を踏まえて判断する」(経団連幹部)として、民主党の評価をある程度高める方向だ。ただ、地球温暖化対策や労働政策で経団連の方向性と大きな乖離(かいり)があるだけに「大幅な上方修正は難しい」(同経団連幹部)。
 企業サイドの悩みも深い。「政権与党である以上、民主党への献金は増やさざるを得ない」(財界首脳)との声が聞かれる一方で、20年に自民党に2500万円の献金を行った日本百貨店協会は「経営環境が悪化するなか、献金のあり方を全面的に見直し」、当面は献金そのものを中止する。
 民主党はマニフェスト(政権公約)で、政治資金規正法を改正して3年後に企業・団体献金を禁止する方針を打ち出している。御手洗冨士夫経団連会長は、9月28日の会見で当面は政策評価を続けると明言。ただ、民主党に430万円を献金した日本自動車工業会は「政策評価も多少参考にしているが、自工会として判断している」と、あくまで自主的な考えで献金額を決めるという。
 このままでいけば、21年の民主党への献金額が20年実績よりも上回るのは確実で、経団連の政策評価との乖離(かいり)が問われそうだ。(2009.9.30 20:27)
 先日よりコピー編集を始めた福岡在住の甥の娘Eちゃんのアフリカはスーダン滞在中のブログ集の冊子第1集(6月~9月)が何とか出来上がったので、姉・甥・姪に発送すべく、朝食後クロネコへ出掛けた。
 今にも降り出しそうな天気ではあったが、厩橋まで南下し、春日通を東へ向って進む。三つ目通りまでくると、上から冷たいものが落ちてくるので、三つ目通りを北上、言問橋を渡って帰宅しようと、浅草通りまで来るとどうやら大したことはなさそうなので、淺草通りをさらに東に進んだ。業平橋西から見る東京スカイツリーは一段と高さを増し、目立つようになった。クレーンで資材を上へ吊り上げているのがよく見える。こうしてみていると巨大なプラモデルが組み立てられているような感じである。
38e86a12.jpg 旧約聖書に曰く、「全地は一つの言語(ことば)、一つの音(おん)のみなりき。ここに人衆(ひとびと)東に移りて、シナイの地に平野(ひらの)を得てそこに居住(すめ)り。彼ら互いに言いけるは、「いざ甎石(かわら)を作りこれを善く爇(や)かん」と。ついに石のかわりに甎石を獲、灰沙(しっくい)のかわりに石漆(ちゃん)を獲たり。また言いけるは、「いざ邑と塔とを建ててその塔の頂を天に至らしめん。かくして我ら名を揚げて全地の表面(おもて)に散ることを免れん」と。エホバ降臨(くだ)りてかの人衆の建つる邑と塔を観たまえり。エホバ言いたまえるけるは、「視よ、民は一つにして皆一つの言語を用う。今すでにこれをなし始めたり、さけばすべてそのなさんと図維(はか)ことは禁止(とど)めえられざるべし。いざ我ら降りかしこにて彼らの言語を淆(みだ)し、互いに言語を通じることを得ざらしめん」と。エホバついに彼らをかしこより全地の表面に散らしたまいければ、彼ら邑を建つることを罷めたり。このゆえにその名はバベル(淆乱《みだれ》)とよばる。こはエホバかしこにある全地の言語を淆したまいしによりてなり。かしこよりエホバ彼らを全地の表に散らしたまえり。」
 言語の不統一で人の組織化を防ごうとした神の意図は空しく、今や飽く事を知らない人間の欲望は果てし無く広がっている。地球温暖化問題もそうだが、生命科学の分野においても、命の尊厳そのものが怪しくなってきている。このまま突き進んでゆけば、大きな混乱が必ず起きるだろう。科学技術的にはこれは出来るけれども、我々はこれは望まないという「分をわきまえる」知恵の必要を、社会の中に形成されるよう、働きかけることが必要なのである。その意味で、この「バベルの塔」は、単なる古代神話とすることなく、「分をわきまえる」現代的知恵を見出すべき寓話として、再解釈されてもよいのではないだろうか。
 京成橋を渡り、桜橋通りから桜橋に出て帰宅した。9223歩、5.9kmを記録する。

 今朝は朝から雨。朝食後雨の中を花川戸の「クロネコ」にメール便を出しに行く。
28ce7237.JPG つい最近墨田区観光協会で、「両国歴史散歩、高札めぐり」という冊子が出来たということなので、徘徊の参考にしようと、吾妻橋を渡った所にある「すみだ観光案内所」に買い求めに行った。ところが、午前10時開店ということで、30分ばかり早かったので、墨田区役所裏の「あづま」という喫茶店で、時間を過した。再び案内所に行って冊子を求めて帰路についた。
2dcabcc5.jpg 雨はかなり強く降っていたが、吾妻橋から水上バスの仮設ステーションを見ると、水上バスのお客さんが列をなして乗船中。次の水所バス「ひみこ号」が次の着岸を待っていた。いやはやこんな雨の中でも水上バスの乗客は満席のようである。


 朝食後、午前9時に家を出て、今戸神社前の道を明治通りまで北上する。衆議院選挙の前後には街に溢れるほどあったポスターがほとんどなくなって、何だかスッキリした感じだ。それにしても、自民党はどうもスッキリしない。
87839b13.jpg 自民党が衰退した原因をいまだによく理解できていない自民党議員が、自民党の再生を叫ぶ姿は滑稽にしか見えない。それこそが、自民党が衰退した原因であり、老いも若きも自民党議員全員に共通した欠陥なのであろう。政策立案という本来業務を官僚に丸投げして、地元の票集めこそが政治だと勘違いし専念したが為に、政治家として本来働かせねばならない頭脳が、ただの選挙運動員の頭脳と等しくなってしまったらしい。与党の時代には、官僚が張り付いてくれていたから、政策立案能力の無い自民党の議員であっても、なんとか政治家の体裁を保って振舞う事が可能であったのだろうが、野党となって、官僚の指導鞭撻がなくなった今は、文字通り自分の力だけでは何も出来ない、無能の人間集団となっているように見える。……にも拘らず、彼等は誰もそのことには言及せず、反省しようとはしないのである。自民党衰退の原因は議員の一人一人の中にあるのであって、麻生失政や、逆風や、派閥や不景気は一因にしか過ぎないと肝にめいずべきである。麻生が退陣し、風が治まり、派閥を解消し、景気が持ち直したとしても、自民党の再生は不可能である事は自民党議員でも理解できるだろう。
27e9affe.JPG 選挙で大敗してからの、官僚のサポートを失った自民党議員達の狼狽振りを毎日見せつけられている。国民のこのような驚きを、理解はおろか感知すらすることも出来ないほどに劣化した、低レベルの政治家集団――祖の中で育った中堅・若手の議員達も気が付かなかったことは無理もないことではある。今回の政権交代が社会的一大paradigm shift を構築しようとしていることなど、自民党議員はまだ気付いていなように思える。そのうち、官僚のサボートを得られなくなった昼行灯的自民党議員達はマスコミの知恵を頼りとするのだろうが、そのマスコミもまた昼行灯に似て国民に向ってこの paradigm の変換の必要なことを報じようとはしていないのである。今回の自民党総裁選結果を見ても、自民党の自立再生は絶望的といわざるを得ない事態にまで至っているようだ。
 こんなことを考えながら、白鬚橋を渡り、墨堤通りを南下し、吾妻橋を渡ると隅田公園を北上して帰宅した。本日の記録は9548歩、6.2kmであった。
26039c20.JPG 夕刻、かつての塾生のNIさんからメールが入っていた。あまりにも懐かしいので、此処に転写させていただくことにした。曰く、「日高先生/ご無沙汰しております。私はかつての塾生で、旧姓:NIと申します。特徴のない生徒でしたので、きっと先生のご記憶にはないかと存じます。/さて、記憶喪失?の私ではありますが、兼愛塾に通った頃の記憶は鮮明に残っております。/初めての授業のおり、先生は「名前は日高節夫。節分に産まれたので!」と自己紹介された事。「もみあげ」の刑は痛かったけれど楽しくて皆、笑顔だった事。「魔法陣」から数字の面白さを知った事。「タメチョロ」というあだ名の先生がいらした事。/そして、仁科の臨海学校。お寺の裏をホタルが飛んでいたこと。トイレが外で怖かった事。水泳の進級試験で溺れた事。早く家に帰りたいと泣いた事。海が透明だった事。夜空の星が手が届く程近くに見えた事。キャンプファイヤーや本堂での怖い話で盛り上がった夜。東京に帰る日は帰りたくないとペソをかいた事。そして、思いが興じこの秋 家族に思い出の「長松寺」に連れて行ってもらうことが出来ました。/外観は40年前とほぼ変わりなく感慨深く見学いたしました。偶然墓参に来られた檀家の方に挨拶をすると、建物の中を見せてくださいました。所々リフォームされていましたが、ほぼ変わらない様子にタイムスリップした気分でした。そして帰宅後、ネット検索をしているうちに先生のブログにたどり着く事が出来ました。昔も今も先生にはパワーをいただいております。これからも、先生のブログを楽しみに私も元気に毎日を大切に過ごしていきます。本当にありがとうございました。/NK」
早速返信メールを送っておいた。「メールありがとう。長松寺の写真まで貼付していただき、本当に懐かしく拝見いたしました。/なお、このメールは爺のブログに転写させていただきます。悪しからず。/日高節夫」
 今朝は雨。朝食後もやみそうにない。
6d1b04f7.JPG 9月27日の大相撲秋場所千秋楽。横綱・朝青龍と白鵬の優勝決定戦は、見ごたえのある取り組みであった。本割で負けを許してしまった朝青龍が、僅かの時間で気持ちを立て直し、気迫のすくい投げで白鵬を投げ返し、4場所ぶり24度目の優勝。まるで今年1月の初場所を再現したかのような一番であった。しかし、喜びのあまり飛び出したガッツポーズが、また物議を醸(かも)している。横綱審議委員会の婆さん委員などはさも相撲の通であるかのように、「勝てばいいというものではない。ガッツポーズは絶対に許せない。朝青龍はいつも反省している。狼少年だ」と鼻息が荒い。しかし、相撲の一般の観客の中からは「見ているものも緊張するくらいにいい試合だった」と、優勝戦の素晴らしさを称えるとともに、「真剣に臨んだ大一番に勝ってガッツポーズするのはごく自然では」との声が多数上がっている。モンゴル出身で文化の違いがあるのだから仕方がないとの声もあり、そんな彼に“横綱の品格”を押し付けることが間違いとの意見も目立つ。横綱審議委員の中にも、「あれぐらいのガッツポーズは許されるのではないか」という意見があるという。ガッツポーズが角界の仕草としてふさわしいかどうかを問う前に、外国から力士を連れてくることの是非を問うべきではとの指摘もある。横綱審議委員会に対しても「自ら認めた力士の、横綱としての品格に疑問あらば、即刻横審の責を離れよ!」という厳しい意見もあるという。「強さと無作法は一対になっての朝青龍」といわれように、“やんちゃぶり”も朝青龍の魅力なであることを認めない訳にはいかない。角界は彼に品格?を求める前に、強い日本人力士の育成に力を注ぐべきである。
 朝起き抜けは雨。朝食後午前9時出発。昨日と同じコースを徘徊。
 白鬚少年野球場には、「日本だからできる新しいオリンピック」という垂れ幕がだらしなく弛んで掛かっている。水神大橋西にある東京都リハビリテーション病院にもおなじ垂れ幕が掛かっている。
78b0bb07.jpg 在京民放ラジオ5社(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送、TOKYO FM、J-WAVE)が共同で行なった「ラジオ・オピニオン2009」(民放連)のリスナーアンケートの結果、「東京オリンピックの招致」に「賛成」が46.8%だったのに対して、「反対」は48.2%と、ほぼ拮抗しながらも「反対」のほうが多数であったいう結果が出たそうである。回答は約6000人から寄せられ、男女比は約7対3で、年齢層は30代と40代が中心だったようで、「反対」の理由は「もっと他のことにお金をかけるべき」がトップ、新銀行東京の杜撰な経営によって莫大な累積赤字を出しながら、福祉予算を削減し続けて来た石原都政そのものに疑問を呈している意見が多かったという。また「東京で開催する意義を感じない」「道路が渋滞する」などの理由がそれに続いた。2016年のオリンピック招致の国民賛成率については、2008年6月のIOC(国際オリンピック委員会)の調査では、マドリード(スペイン)が90%、リオデジャネイロ(ブラジル)が77%、シカゴ(アメリカ)が74%なのに対して、東京(日本)は59%と最下位であった。また今年2月の再調査では、東京は56%とさらに低下していた。しかし石原慎太郎都知事は東京オリンピック招致委員会に独自の調査をさせ「東京オリンピックの招致を望む声は70%ある」としていた。東京オリンピック招致委員会がどのような世論調査を行なって「賛成70%」という数字を出したのかは分からないが、二度に渡るIOCの調査でも4都市で最下位の50%台、今回の調査でも46.8%と、現実には東京でのオリンピック開催を望む声はどの国よりも小さい。石原都知事は「もっと他のことにお金をかけるべき」という都民の声に耳を傾けるべきじゃなかろうか。
 鳩山由紀夫首相は27日、2016年の夏季五輪開催地を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会に出席することを決め、平野博文官房長官に対して、総会が開かれるデンマークのコペンハーゲンへの外遊日程を調整するように指示したと聞く。28日にも最終的に日程を固めるらしい。東京招致に向けて、首相として出席、自らアピールする考えだという。IOC総会は10月2日に開催される。東京とシカゴ、マドリード、リオデジャネイロの4都市が激しく争っており、石原慎太郎東京都知事が首相の訪米中に平野氏を通じ総会への出席を要請。鳩山首相は「日程的な都合がつけば真剣に考えたい」としてきた。鳩山首相は10月前半に日中韓首脳会談などの外交日程があるほか、来年度予算の編成方針を早期に固める必要があるが、1泊3日の強行軍で総会に出席する構えだ。何でこうまでして望みの薄いオリンピック招致に拘るのか理解に苦しむものである。
 昨日とコースは全く同じであるから、記録もほぼ同じで、9770歩、6.3km。
 午前5時、外はまだまだ暗い。久し振りに北回りの徘徊コースを取る。墨堤通りから、東白鬚公園にかかる頃東の空から白み始める。水神大橋の上に立って大川を見おろしながら考えた。
2a2fa77f.jpg 政権交代ができて、自民党から民主党に政権が移ったが、まあ、十年一日のごとく何の変哲もなくゆったりと流れるこの大川のように、世の中そんなに大きく変わるものでもあるまい。それに大きく期待してそれが裏切られたとするよりも、期待しないでうまくいけば結構だし、うまくいかないで当たり前だと考えたほうが、気が楽だ。世の中結構づくめで通る訳でもあるまい。
 老子(第六十六)にいう、「江海(こうかい)のよく百谷(ひゃっこく)の王たるゆえんは、その善くこれに下るをもってなり。故によく百谷(ひゃっこく)の王たり。ここをもって聖人は、民に上(うえ)たらんと欲すれば、必ず言(げん)をもってこれに下(くだ)り、民に先んぜんと欲すれば、必ず身をもってこれに後(おく)る。ここをもって聖人は、上に処(お)るも民は重しとせず、前に処(お)るも民は害とせず。ここをもって天下推(お)すことを楽しみて厭(いと)わず。その争(あらそ)わざるをもっての故に、天下よくこれと争(あらそ)うことなし。」と。
 「江や海が幾百もの谷川の王となって《その水を集めて》いられる理由は、それらがうまく謙(ヘリくだ)って《低い所に》いるからである。だからこそ幾百もの谷川の王となっておれるのである。だからこそ《統治者として》人民の上に立ちたいと望むなら、必ずそのことばによってかれらに謙り、人民の先頭に立ちたいと望むなら、必ずその身《のこと》をかれらより後回しにすることである。それゆえに聖人は、《統治者として》上の地位にいても人民はそれを重荷とせず、前面にいても人民はそれを邪魔だとは思わない。それゆえ、世界中が喜んでかれを支持して、厭わない。かれは《自分を立てて他人と》争うことをしない。だから、世界中にかれと争うことのできるものがいないのである。」ということなのであろう。
 オバマさんや鳩山さん、今は世界中から注目されているとマスコミは伝えるが、数千年昔のこの老子爺さんの言葉を聞いていただいて肝に銘じて貰いたいものである。
 白鬚橋まで南下、橋場のマンション群の裏手の隅田川遊歩道を通って、6時30分帰宅。9706歩、6.3㎞の徘徊であった。
5bc3abde.jpg  朝起き抜けに、江戸通りを下り駒形橋を渡る。駒形橋東で清澄通りはくの字型に曲がり、此処からもう1本道路が通っているが、この辺は東駒形1丁目、東方向に建設中の東京スカイツリーがみえる。駒形1丁目界隈をあちこちと徘徊してみた。


d75862a5.jpg
66a9702f.jpg 船江神社というのがあり、昔は朝日神明社と称していたらしい。黒地に赤文字の由緒書きがあったが、よく読めない。「お伊勢参りが一生の念願であったその頃は、このお社に参拝すれば、同じ神徳が授かると厚い信仰を受けていた。明治の頃になると、土地の人が船江神社と称していたので、これに倣って神名を改めた」云う様なことが書かれている。
bd9d0040.jpg
e2f68103.jpg 船江神社の南の何処かの個人の家の庭と見紛う程の狭い空き地に玉林稲荷大明神というのがあった。由緒書きなどは見当たらないので、帰宅後ネットで調べてみたが、由緒などは知る由もない。ただ、この稲荷大明神の南にあるO建という建設会社では、この稲荷が守護神とかで恒例的に直会(なおらい)を行っているという記事があった。
e032e5e2.jpg
2c25635c.jpg
587a6705.jpg





5fdd11cf.jpg 玉林稲荷を後に今来た道をそのまま東に進むと三つ目通りに出た。三つ目通りを横断してジグザクに京成橋方向に進んでいると四つ目通りの手前で押上天祖神社というのがあった。天祖神社とは天照大神を主祭神とし、伊勢神宮内宮を総本社とする神社のことで、神明神社(神明社)、皇大神宮等とも呼ばれ、通称として「お伊勢さん」と呼ばれることが多い(淺草通りをこのまま東進して江東区にはいるとここにも亀有天祖神社がある)。
ここ押上天祖神社は戦災で壊滅したが、戦後地元民の努力で復旧下らしい。本殿に並んで境内社の三峰神社が祀られている。
8402968d.jpg 四つ目通りに出ると、京成橋を渡り、桜橋通りを西進して帰宅した。今日は早朝の出発であったが、澄み切った秋空はここ数日では珍しく、気持ちのいい朝であった。記録は、9326歩、6.0㎞。



プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
02 2025/03 04
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
最新コメント
[enken 02/23]
[中村東樹 02/04]
[m、m 02/04]
[爺の姪 01/13]
[レンマ学(メタ数学) 01/02]
[m.m 10/12]
[爺の姪 10/01]
[あは♡ 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/