瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 朝食後、小松通りから金美館通りを通って根岸3丁目に出る。人々はみんな忙しそうに爺を追い越して、せかせかと先を急いでいる。まあ、いいだろう跨者不行(かしゃふこう=大またで歩くものは遠くへは行けない)というではないか。
 日暮里方向に北上すると荒川区との境にある不動院の境内に御行の松がある。初代の御行の松は、「江戸名所図会」や「広重の錦絵」にも描かれた有名な松であったで、大正15年(昭和元年)に天然記念物の指定を受けが、昭和3年に枯れてしまい、昭和5年に伐採されたそうで、正岡子規の句碑がそれを物語っている。今ある松は3代目とか…  もと来た道を引き返し、言問通りを西に進んで帰宅する。8940歩、5.8㎞を記録す。
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  帰宅後、徘徊途上で突然思い出した4字熟語「跨者不行」の出典を調べてみた。「企者(きしゃ)は立たず、跨者(かしゃ)は行かず。/自ら見(あら)わす者は明らかならず、自ら是(ぜ)とする者は彰(あきら)かならず。/自ら伐(き)る者は功(こう)無く、自ら矜(ほこ)る者は長(ひさ)しからず。/其の道に在るや、餘食贅行(よしょくぜいこう)という。/物(もの)之(これ)を悪(にく)むことあり。/故に有道(ゆうどう)の者は處(お)らず。《訳:つま先立ちする者は、長く立っていられない。大股で歩く者は、長くは歩けない。/自分を見せびらかせる者は、他人からは認められない。/自分を正しいと正当化する者は、正しさを認めてもらえない。自分の功を自慢する者は、本当の功労者ではなく、自分の才能を誇りにする者は、その才能も長つづきしない。/道の立場からすると、これらの行ないは、余計な行ないという。/万物は、これを斥けるであろう。/故に、道を体得した者はこんなことはしない。》(老子第二十四)
 まもなく、秋の叙勲が行われる。日本では戦後しばらくの間、文化勲章を除いて生きてるうちに勲章を贈ることが禁じられていた。そのため勲章は死後に授与されるものだったのだが、昭和39年から生存者に対する叙勲が復活した。当時まだ40代だった中曽根康弘は、生存者への叙勲には反対の姿勢をとっていた。「戦前の勲章の復活などは、いまの憲法にふさわしくない。第一、いまどき勲章をもらったって、いつ、どんな服につけるのかね」と皮肉たっぷりだった。この風見鶏先生が80歳を目前にして、大勲位菊花大綬賞という上から2番目に偉い勲章をお貰いになっている。人間の名誉欲ほど浅ましきものはない。国会議員に限らず、大学の先生方勲章欲しさにその椅子にしがみ付いていらっしゃる方の多いことよ。
9ccaf313.JPG 叙勲者のほとんどが元議員、元公務員などというこの制度は、春秋の年2回もあるのだ、特に特典は無いということだが、これだけの数の勲章の費用はどこから出るのじゃろう? 受章者は省庁からの推薦がほとんどだということなので、お手盛りで天下りの後は勲章を順番でもらうと言う事なのだろうか? 実に身勝手でそれとは無縁な瘋癲爺にとっては、実にもったいない話ではあると存ずるが如何。


1fd50941.jpg 朝食後、桜橋通りから四つ目通り、春日通りを西進、厩橋を渡り、並木通りから浅草寺境内に入る。秋晴れの好い天気で空気も心地よい。昨日から浅草菊花展が開かれている。朝から修学旅行や外国人観光ツアーなどで境内は混み合っているなかを抜けて、東参道から隅田公園に入り、公園内を通って帰宅する。万歩計の記録は10095歩、6.5km。
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d7c7a098.JPG 浅草寺境内で出品作品をカメラに収めながら、つい先だって目を通した陶潜の「飲酒二十首」の「其七」を思い出す。飮酒其七《読み:秋菊(しゅうきく)佳色(かしょく)有り、露(つゆ)を裛(まと)うて其(そ)の英(はなぶさ)を掇(と)る。/此の忘憂の物に汎べて、我が世を遺るるの情を遠くす。/一觴(いっしょう)獨(ひと)り進むと雖(いえ)ども、杯(さかずき)盡(つ)きて壺(つぼ)自(おのずか)ら傾(かたむ)く。/日(ひ)入(い)りて群動(ぐんどう)息(や)み、歸鳥(きちょう)林(はやし)に趨(おもむ)いて鳴く。/嘯傲(しゅうごう)す東軒(とうけん)の下(もと)、聊(いささ)か復(ま)た此(こ)の生(せい)を得(え)たり》訳:「秋の菊がみごとな色に咲いた、露にぬれながらその花びらをつんだ。「憂さ払い(酒)」に浮かべると、世俗から遠くはなれたわたくしの思いがいっそう深まるようだ。独酌でちびりちびりやっているが、杯が空になると、知らぬまに手が動いて、徳利を傾け杯を満たしている。/日が暮れて、もろもろの動きもやみ、鳥たちも林のねぐらに鳴きながら帰って行く。わたくしも東の軒下で心のびやかに放吟する。まずはこの人生の真骨頂(自由)をとりもどしたか、今日もまずまず無事に過せたか」
菊は不老長寿の薬とされている。忘憂の物とは酒のこと。この酒に菊の花を浮かべて飲むことは中国古来の慣習であった。「嘯傲」嘯は口笛を吹くこと、またはうそぶくこと、傲は自由で物事に縛られないことである。
 こんな糞ったれ爺にとって、この先政治向きのことはどうでもよいと思いながらも、ついついニュースに目が行ってしまう。
fd453c01.JPG 《民主、社民、国民新3党による鳩山内閣の発足から16日で1カ月がたった。衆院選マニフェスト実現の前に「現実」という名の壁が立ちはだかっている印象だ。鳩山由紀夫首相や閣僚は、政治主導でこの壁を乗り越えることができるのか。
 「対等な日米関係」を掲げる首相は、いきなり米国の意向に突き当たっている。マニフェストでは米軍再編を「見直しの方向で臨む」としていたが、普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で、米側が同県名護市に移設する現行計画の実施を強く求めており、事態打開のめどは立っていない。平野博文官房長官は十五日の記者会見で「オバマ米大統領の来日時に答えを出すように努力はするが、現時点で答えを持っているわけではない」と認めざるを得なかった。インド洋での海上自衛隊の給油活動は、方針通り来年一月に撤収することを米国側に伝えた。とはいえ、給油に代わるアフガニスタンへの人的支援策は定まっていない。
 前原誠司国土交通相は就任早々に八ッ場ダム(群馬県)建設中止を表明した。マニフェストに忠実な行動といえるが、地元住民や関係自治体は反発。前原氏は地元の理解を得るまで中止手続きに入らないと明言し、調整には手間取りそうだ。対照的に、慎重さが目立つのは長妻昭厚生労働相だ。前政権の方針を容認し、日本年金機構を来年一月に発足させることにした。野党時代には反対していたが、新規採用者が内定している現実に配慮。結果として歳入庁創設を記したマニフェストを軌道修正した。
 一カ月でマニフェストがぶつかった課題をどう克服するのか。鳩山首相は十五日も「マニフェストは国民との契約だ」と力説。「マニフェストの実現よりも、国債をこれ以上発行してはならないと国民の意思が伝えられたら、そういう(見直しの)方向もある」と述べながらも「(赤字国債の抑制と政策実現の)両立は決して不可能ではない」と語気を強めた。》(10月16日 東京新聞朝刊より)

692e8fd1.jpg 朝食後、東白鬚公園を抜けて千住汐入大橋をわたり、荒川区・台東区の隅田川沿いの遊歩道を通って帰宅した。天気は好いし、体調もまあまあで、ちょっと足を伸ばしたので、12797歩、8.3㎞の徘徊となった。

4f44669b.JPG 隅田川の名前は地域によって、時代によってそれぞれに名前がつけられ呼ばれていたようだ。細かく言うときりがないくらい呼び方があったようであるが、要約すると古くは「宮古川」「住田河」、あるいは「澄」「墨」「角」の字が当てられたりした。江戸時代ころには吾妻橋近辺までの下流は「大川」、浅草近辺は「浅草川」、「隅田川」、上流は「荒川」「宮古川」というのが大まかな経過のようである。明治43年の水害を機に荒川放水路が造られ、後昭和40年放水路の方を荒川、岩淵水門から下流東京湾までを隅田川という名称にしたものである。永井荷風の代表作に「濹東綺譚」があるが、墨東は隅田川中流の東岸地帯をさし、綺譚は艶(あや)のある面白い話という意味である。荷風自身が「向島寺島町に在る遊里の見聞記をつくって、わたしは之を濹東綺譚と命名した。濹の字は林述斉が隅田川を言現すために濫(みだり)に作ったもので、その詩集には濹上漁唱と題せられたものがある。」というように「濹」は永井荷風が、江戸時代後期の儒学者で漢詩人である林述斎(はやしじゅっさい、1798~1841年)の造字して、「濹上漁唱」という書物を著したものを発掘して使った漢字で、隅田川(墨田川)を指しているというのである。

98daf632.JPG 今朝の朝日新聞4面に「小沢流徹底」なる記事が出ていた。彼はテレビやラジオにはあまり出演しないしむしろ寡黙な人の印象を受け、どだい如何なる人物なのか釈然としないのである。小沢一郎に対する評価は極端に分かれる。
肯定する人たちは、しっかりとした「国家観」を持っている唯一の政治家としてそれに期待を寄せる。この点については小沢を否定する人たちの多くも認めるところであろう。さらに誠実な人柄に感銘を覚えるというひともいれば、他方で小沢を蛇蝎(だかつ)のごとく嫌う人々も多い。その人たちは彼の強引な手法、その人の思想による好悪の感情が露(あらわ)で取り付くしまがない態度を指摘する。また自分勝手で約束を平然と反故(ほご)にする身勝手な人間であるとも言う。
自民党の中枢にいながら、政治家としての頂点、総理大臣の座を手中にしながらの決意はまさしく己の栄華よりも日本の改革を優先した判断であるとも取れる。小沢は自民党政権の中枢にいながら自民党政治の欠陥を読みきっていたのだろうか? 今になっても、小沢の経歴の中に自民党の中枢にいたことをあげつらう人がいるが、政治家として、また本当に有能な人間が自然とその組織の中で有用な地位についた事に何故不審を抱くのだろうか。自民党の中で何も出来ない優柔不断の大人しい人間が国家の変革を目指せるとでも言いたいのだろうか。能力のある小沢だからこそ、何処でも力量を発揮し、かつ自民党を飛び出ることも出来たのではないだろうか?
 まあ、いずれにしても、今の政治家の中では一番の遣り手で、彼なくしては今の民主党はなかったことは確かである。
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756c9294.jpg 朝食後、国際通りから金美館通りを西進、金杉通りに出る。金杉通りを南下、言問い通りを横断し両大師橋の入口から、昭和通りに出ると、かっぱ橋本通り(商店街)を東進する。真正面に建設中の東京スカイツリーが建ちはだかっているように見える。国際通りから浅草寺境内に入ると、あちこちに明日から始まる菊花展の葭簾(よしず)張りの展示場が設けられている。
4cca2f1e.jpg 高校時代に習った晋の陶潜の詩に「菊を採る東籬の下 悠然として南山を見る」というのがあったけ。諳(そら)んじて見ようと思ってもこの2句の他は遥か忘却の彼方。試しに「帰去来兮(かえりなんいざ) 田園将に蕪(あ)れなんとす 胡(なん)ぞ帰らざる…」これもここまで。わが記憶力の貧弱さを嘆きつつ、隅田公園を抜けて帰宅した。8573歩、5.5kmの徘徊であった。
aa991948.JPG 昼食後、本棚の隅から岩波文庫の陶淵明全集(上・下)2冊を取り出してきて「飲酒二十首」の中に「菊を採る東籬の下云々」の詩を見つけ出した。
飲酒其五 結廬在人境/而無車馬喧/問君何能爾/心遠地自偏/採菊東籬下/悠然見南山/山氣日夕佳/飛鳥相與還/此中有眞意/欲辨已忘言《読み:廬(いおり)を結んで人境(じんきょう)に在り/而(しか)も車馬(しゃば)の喧(かまびす)しき無し/君(きみ)に問(と)ふ何ぞ能(よ)く爾(しか)るやと/心(こころ)遠(とお)ければ地(ち)自(おの)ずから偏(へん)なり/菊(きく)を採(と)る東籬(とうり)の下(もと)/悠然(ゆうぜん)として南山(なんざん)を見る/山氣(さんき)日夕(にっせき)に佳(よ)し/飛鳥(ひちょう)相(あい)與(とも)に還(かえ)る/此(こ)の中に眞意(しんい)有(あ)り/辨(べん)ぜんと欲(ほっ)して已(すで)に言(げん)を忘る》
訳:「人里に庵を構えているが、役人どもの車馬の音に煩わされることはない。「どうしてそんなことがあり得るのだ」とおたずねか。なあに、心が世俗から遠く離れているため、ここも自然と僻地に変わってしまったのだ。/東側の垣根のもとに咲いている菊の花を手折りつつ、ゆったりとした気持ちで、ふと頭をもたげると、南方はるかに廬山のゆったりとした姿が目に入る。山のたたずまいは夕方が特別すばらしく、鳥たちが連れ立って山のねぐらに帰ってゆく。この自然のなかにこそ、人間のありうべき真の姿があるように思われる。しかし、それを説明しようとしたとたん、言葉などもうわすれてしまった。」
 陶淵明(365~427年)の作品の中で最も有名なものの一つである。煩わしい役人生活を辞め、自然を相手に悠々自適の生活を送る。別に人里近くにあっても、心持次第では、僻遠の地にあるような心境になれるのだ。この悠々たる境地に遊ぶことができたならば、言葉などどうでもよい。そんな気持ちが伝わってくる。陶潜はこよなく菊を愛(め)で、「飲酒其七」でも菊を主題に詠っている。他に「九日閑居」なども菊を扱っている。
 本日は新聞休刊日である。朝起き抜けにパソコンを開くとウェブからのサーチナ情報に次のような記事があった。
 【社会ニュース】 2009/10/12(月) 23:53
 9日(アメリカ現地時間)、オバマ大統領がノーベル平和賞受賞の報せが届いた。この報せに世界中は元より、本人も予想出来なかったという。今回の受賞に関して、多くの人が疑問を感じたに違いない。世界中から疑問の声が上げられ、アメリカでも否定的な観方が拡がっている。アメリカにおいては共和党・保守党論客が批判的な意見を展開しているが、進歩的な意見を持つ陣営内でも「理解できない」という反応がある。
 進歩指向のロサンゼルスタイムズ紙は10日の社説に「私たちはオバマ大統領を支持して、彼の前任者よりもはるかに好んでいるが、なぜ就任直後にノーベル平和賞を受賞したのか分からない。ノーベル委員会はオバマ大統領を当惑させて、賞自らの信頼を損なった」と厳しい意見を述べている。11日に同紙が行ったオンライン世論調査によると、回答者の46%が『オバマ大統領は賞の受賞を断らなければならない』と答えている。
 また、昨年大統領選に公認でオバマ氏を支持していたワシントンポスト紙も、「慌てて授与したおかしな平和賞」としながら、「イラン大統領選挙不正に抗議して亡くなったイラン女子大生などの、明らかな他の候補がいながら、なぜノーベル委員会が今回の決定を下したのか分からない」と伝えている。ちなみにワシントンポスト紙は9日、3万7,675人にオンライン世論調査を行い、56%が今回の受賞に反対していることを報じている。投票者の中には、「インドのマハトマ・ガンジーさえ平和賞を受け取れなかったのに、政治新人のオバマが受けたことにより、ノーベル賞の権威を自らおとしめた」という意見もある。
 保守的な日刊紙ウォールストリートジャーナルは、10日付のコラムで「今回の授与は邪悪で無知。ノーベル委員会は単に、オバマがジョージ・W・ブッシュでないだけで賞を与えた。平和賞が『尊敬の対象』から、『冷やかしの種』に転落した」と酷評を浴びせている。
 この他、海外の反応も冷ややかである。ドイツの時事週刊誌シュビーゲルは「就任9ヶ月のオバマに賞を与えるのは、2~3km走ったマラソンランナーにメダルを与えるようなものだ。栄光よりもむしろ負担になるだろう」と指摘。中国の環球時報の11日に実施したオンラインアンケートによると、「納得できない」という回答が全体の86.2%を占め「オバマはまだ世界平和に貢献していない」という理由を挙げている。イギリスBBCが受賞者発表直後に新設したサイトで、『オバマ大統領の受賞に対してどう思うか』という質問に対して「今は早い」という意見が大多数を占めているという。
dc63c452.JPG 今回のノーベル平和賞の受賞は、世界的にも歓迎されていないようだ。ガンジーさえ受賞しなかったという意見には、なるほどと納得せざるを得ない。(情報提供:ロケットニュース24)
ノーベル各賞の中でも、平和賞ほど政治的意味合いの強い賞はない。あの、佐藤栄作、金大中も受賞している。世界のリーダーを自負するアメリカ合衆国の大統領が、「核廃絶」を声高に叫ぶ、それは重いものには違いない。リーダーとしての存在価値はともかく、日本の非核・平和団体を率いる人々は、戦後この方必至に「ノーモア原・水爆」を叫んできたのである。十分受賞に値するはずである。代表してオバマが受賞するものと受け止めれば、善しとする話ではあるのだが、一方でオバマはアフガンでの戦争を継続している。兵を増派しようという動きもあるほどである。対テロの戦争として、ブッシュ同様に正当化しているようにみえるが、「9・11」の犠牲者数に比べるべくもないほどの夥(おびただ)しい人命を奪い続けてもいるのである。”広島・長崎”と同スタンスのアメリカの正義が横行しているかのようでもある。人権派とされるオバマですら抗しえない力が、彼を縛っているのだろうが、「平和賞」と鮮やかな対照を描いている。無抵抗主義を貫き、インドを英国の長き呪縛から解き放ったあのマハトマ・ガンジーは5度、この平和賞候補に担がれたということであるが、いずれも固辞した。平和賞の政治的底意を見抜いていたのかもしれない。オバマが、今回、ガンジーと同様に固辞したなら、心底尊敬も出来るのだが…
43b72ba3.JPG 老子先生も、挫鋭解紛(ざえいかいふん)、和光同塵(わこうどうじん)――《その》鋭(えい)を挫(くじ)き、《その》紛(ふん)を解(と)き、《その》光を和(わ)し、《その》塵(ちり)に同(おな)じくす――と仰っている。



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9f648c15.JPG 朝食後、浅草寺境内からかっぱ橋商店街を抜けて昭和通へ出る。真源寺(入谷鬼子母神)に立ちより、柘榴の木の陰になっている句碑を撮影。(漱石来る)「蕣や君いかめしき文学士」「入谷から来る朝顔の車哉」と正岡子規の2句か刻まれている。大学の文学部を卒業すれば、自動的に文学士という学士号が与えられるが、現代の学士号にはかけらほどの値打ちもないが、この句がつくられた明治26年に大学は、日本中で帝国大学(現在の東京大学)しかなかったのである。現代の博士号よりもずっと値打ちがあったから、「いかめしい」のである。文学士はいうまでもなく訪ねてきた漱石である。英文科を卒業したのは漱石だけだった。子規も大学で同級生だったが、英語が苦手なので、前年6月の学年試験に落第し退学したのである。冗談半分の句ではあるが、きっと卒業できた漱石がうらやましかっただろう。漱石という雅号は、初めは正岡子規が自分で使うために用意したという。といっても、夏目金之助からもらった詩のなかから「漱石」の文字を引き出して、雅号に仕立てたのである。ところが一度も用いないうちに、金之助からゆずって欲しいと請われて進呈した。こうして夏目漱石というペンネームが誕生した。
『晋書』孫楚伝に「楚少(わか)き時隠居せんと欲す。/済(せい)に謂いて曰うに、/当に石に枕し流れに漱(くちすす)がんと欲すというべきに、/誤りて石に漱(くちすす)ぎ流れに枕すと云う。/済曰わく、流れは枕すべきに非(あら)ず。/石は漱(くちすす)ぐべきに非(あら)ず、と。/楚曰わく、流れに枕する所以(ゆえん)は、其の耳を洗わんと欲すればなり。石に漱(くちすす)ぐ所以(ゆえん)は、其の歯を厲(みが)かんと欲すればなり、と。《孫楚が若い頃、世を捨て隠棲しようと思った。王済にその気持ちを語ろうとして、「石を枕とし小川の流れにうがいをするつもりだ」と言うべきところを誤って、「石でうがいをし、流れを枕しようと思う。」と言ってしまった。/それを聞いて王済は、「流れを枕とすることができるかい。石でうがいをすることができるかい」と言った。/孫楚は、「流れを枕とするわけは耳を洗おうと思うからさ。石でうがいをするわけは歯を磨こうと思うからさ。」と言った。》」とあり、漱石の雅号はこの「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」の故事《間違いをも、強いて押し通すことで、負け惜しみの強いことを言う》に因んだものだという。ちなみに、国語の「さすが」に「流石」の文字を当たるのもこの故事によるものである。

 昨日は日曜日。今政治がオモロイ。午前中は報道番組に見とれて、午後は収録ビデオを見呆けて出掛けずじまい。
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4cac100c.jpg 連休で本日は体育の日。少々腰が重いが、朝食後東白鬚公園から水神橋を渡り、荒川区の隅田川沿い遊歩道を南下した。秋の陽射しの中で、暑くもなく寒くもなく空気は乾燥していて気持ちがよい。「秋の日の ヴィオロンの 溜息の/身に沁みて ひたぶるに うら悲し/鐘の音に 胸ふたぎ 色変へて/涙ぐむ 過ぎし日の 思ひ出や/げに我は うらぶれて ここかしこ/定めなく 飛び散らふ 落ち葉かな」堀口大学訳のヴェルレーヌの詩を口ずさんでみるが、うろ覚え… 東白鬚公園の南池ではカルガモが日向ぼっこ、隅田川では若者の操る水上バイクが走る。休日で遠出する人々が多いのか、遊歩道を歩いている人は少ない。
766988c7.jpg 山谷堀水門前の広場で前の家のダブルKちゃん親子がバッティングの練習をしていた。Kちゃんは吾が婆様の姪の旦那、高校生を先頭に2男1女の子持ちである。先日福岡の甥が訪ねてくれた時、「A man may lead a horse to the water, but he cannot make it drink. (馬を水際に連れて行けてもむりに飲ませることはできない)」と、思うようにならない子育ての苦労を語っていたが、Kちゃん夫婦もこれから同じ苦労をするのかと考えながら、Kちゃん一家の前途に祝福あれと願うのであった。徘徊歩数9583歩、徘徊距離6.2㎞と記録。
 政府は11日、今月下旬に召集見通しの臨時国会に、国が保有する日本郵政グループの持ち株会社、日本郵政の株式売却凍結法案を提出する方針を固め、臨時国会に提出する法案は最低限必要な計9件に限り、平成22年度予算編成を最優先課題として取り組むという。
22498d67.JPG 先週のニュースに拠れば「鳩山首相の資金管理団体「友愛政経懇話会」の偽装献金問題で、同会が東京地検特捜部の要請に応じ、会計帳簿を任意で提出したことが3日、わかった。/特捜部はすでに、同会の政治資金収支報告書の寄付者欄に名前が使われた人に対する参考人聴取を始めており、提出された帳簿の分析や事情聴取の結果を基に、偽装献金の解明を進める。/会計帳簿は、政治資金規正法に定められた収支報告書の基になる帳簿で、寄付者の名前や住所、金額、日付などを記載しなければならない。同法は、収支報告書の記載が正確かどうかを確認できるよう、政治団体の会計責任者に収支報告書の公開後、3年間の保存を義務付けている。/今回、提出されたのは2004年~08年の5年分とみられ、特捜部は、収支報告書の記載に虚偽がある個所を特定するため、会計帳簿との照合作業を進める。/同会の収支報告書では、寄付者を記載する必要がない「5万円以下の献金」の年間総額が、05年以降の各年で約2700万~約4000万円に上り、国会などで「他の政治家と比べても金額が突出して多く、不透明だ」と指摘されていた。/会計帳簿には5万円以下も含めすべての寄付について寄付者などを記載しなければならず、特捜部は、提出を受けた帳簿を基に、こうした小口献金についても調べを進めるとみられる。/鳩山首相側の調査結果では、同会が実際には寄付をしていない人を「寄付者」と偽って記入したケースは、05~08年の4年間に約90人(延べ193件)、総額約2177万円だった。/(2009年10月4日03時06分 読売新聞)」とある。
f41aef8d.JPG 自民党の大島理森は幹事長就任の初の記者会見で、鳩山政権に臨時国会の早期召集を求めると同時に、鳩山由紀夫首相の資金管理団体の偽装献金問題について国会で追及する考えを強調した。鳩山首相の献金問題については「首相の法律に対するセンス、感覚が根底にある。堂々と取り上げなければいけない問題だ」と批判している。野党になった自民党は首相を追及する構えを見せるが、それで政界浄化や政治不信が払拭できるわけでもあるまい。要は個人や企業、団体献金の在りかた自体を根本的に見直し、実行することである。首相が問題の結果責任を当然のことではあるが、問題の存在を選挙前から承知した上で、政権の選択をした多くの国民のためにも、優先順位をつけた山積課題解決の進捗状況を臆せず報告すべきであろう。ゆめ「偽装献金疑惑追及」に振り回されてはなるまい。

b719e475.jpg 今朝も少々腰痛が残っていたが、朝食後何時もより距離を縮めて、吾妻橋から淺草通りを東進、京成橋から押上、桜橋通りをひと回りして帰宅した。東京スカイツリーは既に京成橋からは全容を撮影すること無理な高さになった。10月一杯には230メートルを超えるという。6868歩、4.4㎞の記録であった。

 米国のジミー・カーター(Jimmy Carter)元大統領(84)は(9月)15日、Barack Obama米大統領に対する最近の怒りに満ちた批判の背景には、人種差別があると語った。
 カーター元大統領は、米NBCテレビに出演し、「バラク・オバマ大統領に対して強く示されている敵意の大部分は、オバマ氏が黒人、つまりアフリカ系米国人であるという事実に基づいたものだ」と語ったという。カーター氏は、「わたしは(米国)南部に暮らしており、南部が大きく変化するのをみてきた。しかし、差別の傾向はいまだに残っている」と指摘。「南部だ けでなく、米国全土の白人の多くが、アフリカ系米国人にはこの偉大な米国を率いる資格が無いと信じている。だからこそ、この差別が表面にまで吹き出してきたのだろう」と語り、「これは憎むべき状況であり、わたしは深い悲しみと懸念を感じる」と述べたともいう。
 前の週には、下院で演説中のオバマ大統領に対し、共和党のジョー・ウィルソン(Joe Wilson)下院議員が「うそつき」とやじを飛ばす騒動があった。また、ワシントンD.C.(Washington D.C.)では、オバマ政権の政策に抗議して、数千人が抗議デモを行った。民主党議員や政治コラムニストらも、やじを飛ばしたり、銃で示威行動を行ったり、説教師が信者らにオバマ氏の死を祈るよう先導するといった最近の傾向を指摘し、危険なことだと警告している。
cd21b5b4.JPG こんな折も折、オバマ大統領のノーベル平和賞受賞のニュースが舞い込んだ。アメリカの White Racialism(白人の人種的偏見)は根絶されていないという。とくに教育水準の低い白人層にその傾向が強いという。今回の未だ成果なき、早すぎる受賞が、アメリカのこういう輩(やから)を刺激して、キング牧師やケネディの二の舞を起こさなければよいがと懸念するのである。爺の杞憂に終ればよいが…
 日本の官僚については、他の民主主義国家の官僚に比べ、政策の舵取りや立案、国家予算の振り分けにおいてはるかに大きな権力を行使しているという。また、退職すれば、出身官庁が所管する団体や関連法事に再就職できる「天下り」の特権もある。
 官僚が特権をにぎる状態は、日本では7世紀に唐の科挙を元とする Merit System (能力に応じて一定の専門知識が求められる登用制度)が導入されたことに溯る。
 第2次世界大戦後、戦前のエリート政治家らが追放された日本の復興は、官僚たちの手に委ねられ、東洋の奇跡といわれた高度経済成長を果たしたのである。1955年から官僚たちはほぼ一貫して政権与党の座にあった自民党と、大企業と tug を組んだのである。この政・官・財の協力関係はやがて「鉄の triangle 」と呼ばれた。この過程で官僚機構は干渉の余地を許さない強大な権力組織となり、国民への説明責任を殆んど果たさない存在となった。その結果、日本は世界有数の規制社会に突入したというのが、大方の評論である。汚職、予算の無駄遣い、「消えた年金」問題などの管理不行き届き等々、不祥事件が明るみに出る度に官僚ははげ神槍玉に挙げられるが、一向に埒が明かないというのが現状である。
39327716.JPG 鳩山首相は100人以上の国会議員を副大臣や政務官として各省庁に送り込み、行政を監督するとの方針を掲げている。また、官邸に予算の骨格策定や外交上の声明作成などを任務とする首相直属の「国家戦略局」を設置した。
 専門家の意見は分かれる。「戦後復興という目的を既に達成し、創造的思考が求められるようになった現代において、官僚の時代は間もなく終わりを迎えるだろう」と見る一方で、「官僚機構はなかなか死なない。民主党の行政改革は行き詰まるだろう」との意見も根強い。「日本のエリートである官僚をいかにうまく使うかがポイントだ」と指摘している学者もいる。
 台風18号の襲来で、急に気温が下がった。テレビのニュースによると北海道では平年よりも14日も早い9日に初雪が降ったという。その所為(せい)かどうかは判らぬが、今日は寝起きからずーっと腰が痛い。とうとう徘徊はお休みした。
 台風18号で、本日も外出ならず。起き抜けにパソコンを開くと横浜のN氏よりメールが入っていた。先日甥から依頼されたEちゃんのブログ集の冊子作成の試作品を送った感想が届いていた。
「日高節夫様/先日は、君のブログ集Ⅶ、Ⅷと、博多の甥御さんのご長女の才媛のブログ集『この風景の中で』をお送りくださってありがとうございました。/昨夜、全部読了。/どれも力作でした。君のブログについては別の日に書きますが、今日は大叔父にあたる君が、甥御さんから依頼を受けてまとめた、JICAの才媛のブログについて書くことにします。/時代錯誤の表現ですが、「いやまあ、女だてらに、ようまあアフリカくんだりまで行くものよ」というのが、第一の感想です。そして、次の感想が、「日高家の系譜を引く女性のなんと強いことよ」です。/(中略)/私は、アフリカについては全くうといのです。/1985年3月から一ヶ月間、まだ大学5年生になる前の息子が、春休みにケニアに行った滞在所見しか聞いたことがないのです。もう20年も前の旅人ですから、かなり見当はずれの感想だろうと思いますが、それほどうといのです。/でも、そのケニアの北、エチオピアの西、青ナイルと白ナイルが合流する国くらいの知識は変わらないでしょうから、「えらいところに行ったもんだ」という感想は大半の日本人の爺婆が抱く感想でしょう。/だから、第一印象は、「女子の身でえらいもんだなあ」というものでした。/息子のケニアの印象は悪くはありませんでしたが、首都のナイロビは高地にあるから涼しくて、治安の悪さにさえ気をつければ大丈夫というものでしたが、その治安の悪さというのがすごい。/タクシーに乗ったら腕時計を嵌めている腕を窓から出していけない。腕時計欲しさに、鉈で腕を斬り落とされるから、車に乗ったら腕を窓から出すなというようなものでした。/ナイロビから列車で、インド洋の海岸のモンバサという町まで行ったのですがこのときがいちばん暑さがひどくて、復路は飛行機に乗ったといってました。/そんな国の北側にあるスーダンの南の町ジュバに滞在する大和撫子は、形の変わった日本国の国威発揚になるのでしょうね。/「ワウでイタリアのNGOが運営する職業訓練センターの中の様子」という説明のある写真を見て、“Don Bosco VTC Wau”の看板が気になりました。/どこかで、このドン・ボスコという名前を見た記憶があったのです。/あれこれ頭をひねった結果、近くの私立中学・高校のサレジオ学園の構内に、この人の胸像があったということです。/このサレジオ学園という私立中高は、15年くらい前までは田園都市線の鷺沼駅から歩いて程近い(大して近くもなかったが)ところに開設されていた学校でしたが、私たちが今のところに引っ越してきた頃に、わが家から徒歩10分くらいの距離に中高の校舎を移転してきました。学園祭のオープンキャンパスの時に見に行ったら大きな胸像があって、「この学校も、やっぱりカトリックの系統か」と思ったのですが、このブログ集を読んだ直後に調べてみたら、Don Giovanni Bosco(ドン・ジョバンニ・ボスコ)1815~88 とある。イタリアのカトリック司祭で、サレジオ会の創立者。北イタリアの貧しい農家に生まれ司祭となったとある。」
db13a409.JPG N氏の感想はまだ続く。曰く「スーダンも、日本も、ひとしくサレジオ会の教育機会に組み込まれるのかと、彼ら(イタリア人)の信仰心からくる活動の普及度に驚く。息子のアフリカとブラジル滞在中の感想で、「親父、ドイツは医療活動が世界の隅々まで行きわたっていてすごいぞ」といっておりましたが、ドイツだけではなくて、イタリア系(というよりローマ・カトリック系)の支援活動は日本の遠く及ばないところにあるのですね。/信仰から発し、カトリックの布教活動の一環としてある教育機関は日本でも珍しくありません。鹿児島のラサール高校も看板だけ見に行ったことがありますが、日本人は、これらキリスト教関係の学校を、東大突破のためのプロセスとのみ見て、まず改宗することはないでしょう。同じサレジオ会の教育活動でも、スーダンでのドン・ボスコ職業訓練校とサレジオ学園中学高校とは、だいぶ趣が違うようですね。/それにしても、運動場に大きなドン・ボスコの肖像画を張り出していて、やっぱりこれはキリスト教の普及活動の一環だよね。/JICAといえば、わたしが昔、勤務していた新宿三井ビル支店の上層階にオフイスがあって、外務省の最大の外郭団体でお得意さんだった。/いずれにせよ、女性の身で、このような悪疫瘴癘の地に、希望して赴任するとは若者の鑑です。/でもご両親、とくにお父上は心配で、心配でたまるまい。ちょうど関西のS君のように、女だてらにイラクに行ったりするのと同じ状況だから、神に祈りたくなる心境とお見受けする。幸い、割に頻繁に帰国できるようだから、精々ご帰国の節は、大叔父にあたる君は、ご馳走でもしてさしあげてください。/ブログ集を読んでちょっとと思った感想を、長々と書いてしまいました。お許しあれ。(以下略)」
 先日本棚の隅から取り出してきて拾い読みした論語の子罕(しかん)第九に「後生(こうせい)畏(おそ)るべし。いずくんぞ来者(らいしゃ)の今に如(し)かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆるなきは、これまた畏(おそ)るるに足(た)らざるなり。」とある。まあ、Eちゃんの20年、30年後はどんなになっているんだろう。爺はその頃は娑婆ともおさらばしているだろうが、それまで黙って見守ってやるしかない。
c7bdae4f.JPG 10月6日(火)に北九州市門司区で爺の高校時代の同期生の集まりである「水門会(みなとかい)総会」があった。爺は欠席したが、東京からは6名が参加したらしい。午後MY氏からメールが入り、総会の写真と出席者の名簿(省略)が添付してあった。メールに曰く、「日高 様・野崎 様/関東地区からの出席者については岸本君の電話ですでにご承知のことと思いますが、出席者全員の名簿と記念写真を添付します。/例年のごとく約2時間賑やかに懇親が大いに盛り上がりました。その間数人のスピーチがありましたが、大塚君は医者の言うことや薬を信用しないで好きなように余生を送ること。ストレスが一番悪いから気をつけよと話があった。/この一年間で物故者は木村博幸君と園田和歌夫君の二人のみとのこと。/夫々、奥様からお酒が送られてきていた。/お終いは恒例の校歌斉唱(成富の指揮により)で幕を閉じた。/以上簡単ですが報告まで。」
 ヤント君、どうもありがとう。
 台風18号の影響だろうか? 朝から雨。それに気温も15℃と低い。勿論、徘徊は取り止め。
e60add7b.JPG 今回の2016年オリンピック開催地がリオデジャネイロに決まったことは当然のことであり、オリンピックの理念に合うものだと考える。まずは、大変喜ばしいことであり、祝うべきことではある。東京は財政面や大会運営の実績などでIOCの信頼感があったというが、「環境に配慮した五輪」に力点を置いたコンセプトがインパクトに欠け、64年大会以来の五輪は実現しなかった。今後は20年五輪招致への再挑戦が焦点となるが、IOCの調査では支持率は55.5%にとどまっているという。いかにして五輪実現に市民の理解を得るかなど、課題は山積している。東京が20年五輪に名乗りを上げるかは微妙な情勢である。米国や日本は、オリンピック以外でその存在感を示すべきであり、シカゴと東京が落ちても仕方がないことであった。石原都知事にとっては、その引き際が到来したことを暗示する。東京都にとっては、本来はオリンピックよりも国家的に重要な懸案が山積みしているのである。祭りは終った。そして、もう都民は騙されないであろう。
 それにしても今日のニュースによると児戯にも劣る石原知事の腹いせ発言(負け惜しみ発言)は一体どういうことなのだろう。理解に苦しむのである。先ずはリオの勝利を祝福し、次回を期すというのが然るべきではないだろうか。自分の失敗をこんなことに転嫁するとはまことに以ってお話にならない。
 【コペンハーゲン共同】2016年夏季五輪開催都市に選ばれたリオデジャネイロは5日、国際オリンピック委員会(IOC)総会での選定について不適切な発言をしたとして、東京都の石原慎太郎知事を批判する声明を発表した。石原知事の報道陣に対しての発言としているが、具体的にどの発言かには言及していない。
 声明では「(発言は)遺憾であることに加えてIOCのルールに反する」と指摘。「石原知事の失望させるような態度に驚いており、リオは6日にIOCに正式に通知する」としている。(2009/10/06 10:53 【共同通信】)
負けた腹いせでもないだろうが、石原都知事が招致レースの「舞台裏」を明かした。
「例えば(リオデジャネイロの招致に成功した)ブラジル大統領は、かなり思い切った約束をアフリカの諸氏にしたという。フランスのサルコジ大統領が、戦闘機を買ってくれるならブラジルに入れると言ったとかね。手続きの上では違反ではないという」と、際どい話をひとくさり。
正攻法に限界を感じたのか、「東京は政府をキャンペーンに組み込んでいなかった。不満がある。非常に勉強した」とも。再挑戦するなら、この経験が生きる?(2009/10/04-15:52 【時事通信】)
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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