瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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「一」から「十」に至る漢数字のモデル=原形は、『河図』と『洛書』にあると考えます。漢数字の「三」は、『河図』・『洛書』では、陰陽の陽を意味する白丸(白点)3個を、直線的に並べて記されています。これを文字で「三」と表記する時点で、より認識しやすい3本の横線で書かれたと考えます。また、「三」が示す3本の横線は、「易」の“八卦(はっけ)”を示しているものと考えられます。

“八卦(はっけ)”というのは、陽《―》もしくは陰《--》を意味する線を三本重ねてできる8通りの組み合わせのことです。「易」を八卦(はっけ)とも称するのは、これに由来します。そして、八卦(はっけ)を上下に並べたものが易卦(えきか)でありまして、その組み合わせが64通りになることから六十四卦と呼ばれます。

このように、“八卦(はっけ)”は“六十四卦”で構成される「易」の基本であり、「三」という漢数字にも、その意味が込められているのです。漢和・漢字の辞典には、「三」という漢字を使った熟語が多くあります。

 その一部を列記するだけでも、「三界」、「三計」、「三省」、「三権」、「三元」、「三綱」、「三才=(天・地・人)」、「三上」、「三世」、「三尊」、「三多」、「三知」、「三」、「三本」、「三昧」、「三位一体」、「三楽」等など、多く挙げることができます。

 そして、これらの熟語の多くに、「三」種類の要素、要件、条件・バランスなどのニュアンスが込められているのです。というわけで、「三」という漢字は「易」の基本であるだけでなく、世の中に存在する多くのものの要素や要件を意味する漢字でもあるのです。

 「三」は一を3つ重ねて表わした指示文字といわれています。また、三には多いという意味もあります〔再三〕。

 

・この世界の空間の次元数は3であるとひろく信じられています。縦、横、高さの3方向に広がりをもつ空間を3次元空間といいます。

・故障や障害の許されない重要なシステムでは、冗長性を高めるために正・副・予備の三重構成が取られる事が多いようです〔Fault tolerant system(フォールトトレラントシステム)といいます。〕

・ヘーゲル哲学の辨証法における統合の過程では、2から3を生み出すと言われています。〔原文:The process of synthesis in Hegelian dialectic creates three-ness from twoness

・日本の裁判制度は三審制であであります。

 

中国語では、三 sān は生 shēng に音が似ているので、四が死に似ているのに比べて、縁起の善い数字だと考えられているようです。

蘇軾は好奇心が旺盛でいろんなことに手を出しましたが、料理は自分の趣味にとどまらず、周囲の人々まで幸福にさせることができたとみえます。中でも評判がよかったのは豚肉を煮たもので、人々は東坡肉(トウポーロー)と呼んで、いまでも中国料理の定番として食べ続けているそうです。蘇軾はこの他に、鯉を煮て揚げたものや、風味に富んだ野菜スープなどを考案して、家族や友人たちを喜ばせたといいます。

蘇軾は「食猪肉」という次のような詩も作っています。

 

食猪肉  蘇軾

黄州好猪肉、     黄州の好猪肉、

価賎等糞土。     価賎にして糞土に等し。

富者不肯喫、     富者はあえて喫(くら)わず、

貧者不解煮。     貧者は煮るを解せず。

慢著火、少著水、   慢(そぞろ)に火を著し、少しく水を著さば、

火候足時他自美。  火候足るの時 他(かれ)自ずから美ならん。

毎日起来打一盌、  毎日起来して一盌(わん)を打ち、

飽得自家君莫管。  自家を飽得(ほうとく)するも君管するなかれ。

 

 黄州にはよいブタ肉がありますが、

 値段はゴミ・泥のように安い。

 お金持ちは食おうともせず、

 貧乏人も煮て食う工夫がない。

 ゆっくり火にかけ、水は少しだけにして煮てごらん。

 十分な時間じっくりと火がとおれば、それはおのずと旨くなる。

 毎日毎日(美味いし安いから)一碗づつ食べ続け、

 (ぶたのようなわしは)自分を食べたみたいに腹いっぱいになっているが、おまえさん、気にしなくていいよ。

【将東遊題壁(将〈まさ〉に東遊せんとして壁に題す)】 月性

男児立志出郷関  男児志を立てて郷関(ごうかん)を出ず

学若無成不復環  学若(も)し成る無くんば、復環(かえ)らず

埋骨何期墳墓地  骨を埋(うず)むるに何ぞ期せん 墳墓の地

人間到処有青山  人間到る処青山有り

 

(意訳)男子たるもの、志を立てて故郷を出るからには、学問が成就するまで二度と帰らない覚悟である。骨を埋めるのに、どうして故郷の墓に固執することがあろうか。広い世間には、どこへ行っても青々とした墓地があるではないか。

 

※ 結句の「人間」は、普通『じんかん』と読んで、人の間(あいだ)のことと解釈されていますが、意味としては『にんげん』としてもいいでしょう。むしろ、個人と考えたほうが旅立つ者を鼓舞してくれるかもしれません。

人間(にんげん)=人、人間(じんかん)=世の中・世間


蘇軾が獄中で死を覚悟し、弟の蘇轍に贈った詩二首のうちの二つ目です。自分が死んだ後に妻子が路頭に迷わぬよう、面倒を見て遣ってほしい、そんな気持ちが伝わってきます。

 

  柏臺霜氣夜淒淒  柏臺の霜氣 夜淒淒たり

  風動琅儻月向低  風は琅儻を動かし 月は低きに向ふ

  夢繞雲山心似鹿  夢は雲山を繞(めぐり)り 心は鹿に似たり

  魂驚湯火命如鶏  魂は湯火を驚かし 命は鶏の如し

  眼中犀角真吾子  眼中の犀角 真に吾が子

  身後牛衣愧老妻  身後の牛衣 老妻に愧づ

  百歳神游定何處  百歳の神游 定めて何れの處ぞ

  桐郷知葬浙江西  桐郷は知る 浙江の西に葬らるると

 

御史台(柏臺)には霜の気配が忍び寄り夜が寒々と更けわたる、風が緊縛の縄を吹き揺らし、月が西の彼方へと沈んでいく、夢はふるさとの山々を駆け巡り、まるで鹿になった気分だ、魂は死を恐れ、鶏のようにはかない命を嘆く

 まぶたの裏にみるわが子は賢い相、死後に妻子たちに待っているだろう極貧を恥じるばかり、自分の死後に魂はどこをさすらうのか、わが死体が浙江の西に葬られることだけは、みんな知っているようだが

蘇軾は元豊2年(1079728日に逮捕され、818日に御史台の獄に投ぜられます。だが獄中の蘇軾は、そんなにひどい待遇は受けなかったといいます。というのも、獄卒の一人が蘇軾を非常に尊敬していまして、彼のために何かと便宜を図らってくれたからだということです。そのひとつに、毎夜足を洗う樽を持ってきてくれたことがあげられます。そしてこれは今でも四川人の風習とされているものであるといいます。

 獄中の蘇軾を息子の邁が毎日のように見舞い、食べ物などを差し入れました。その邁との間で、蘇軾はひとつの取決めをしていました。普段は野菜と肉を差し入れ、何か悪いことが起きたら、魚をそのしるしに送るというものだったということです。ところがある日、邁は用事ができたために差し入れを友人に頼みました。その友人は魚を差し入れたが、秘密の取決めのことは何も聞かされていなかったので、何も言わずに魚を贈ってしまいます。送られた蘇軾は、てっきりそれが自分の運命に悪いことが及んでいることの証拠なのだと勘違いしてしまいます。そこですっかり死を覚悟するとともに、その気持ちを二片の詩にして弟の蘇轍に送ったのです。〔南宋の葉夢得(しょうぼうとく)の『右林避暑録話』の説話より〕

 

予以事繋御史台獄獄吏稍見侵自度不能堪死獄中不得一別子由故作二詩授獄卒梁成以遺子由

 予事を以て御史台の獄に繋がる、獄吏稍や侵さる、自ら度る、堪ふる能はずして獄中に死し、子由に一別するを得ざらんと、故に二詩を作り、獄卒梁成に授け、以て子由に遺る

其一

  聖主如天万物春  聖主天の如く 万物春なるに

  小臣愚暗自亡身  小臣愚暗にして 自ら身を亡ぼす

  百年未満先償債  百年未だ満たざるに 先ず債を償い

  十口無帰更累人  十口帰するところ無く 更に人を累せん

  是処青山可埋骨  是(いた)る処の青山 骨を埋む可し

  他年夜雨独傷神  他年の夜雨 独り神を傷(いた)ましめん

  与君世世為兄弟  君と世世 兄弟と為りて

  又結来生未了因  又来生 未了の因を結ばん

 

    聖天子の恵みは広大で 万物は春のようだ

    愚かな臣下である私は  自ら身を滅ぼそうとしている

    人生百年にも満たない内に 罪をつぐなうことになり

    家族十人は頼るあてもなく  君に面倒をかけるだろう

    わたしの骨は  どこの山に埋めてもよいが

    君は雨の夜に ひとりで心を痛めるだろう

    いつの世にあっても 君とは兄弟に生まれ合わせて

    終わりのない因縁を 結びつづけていようではないか

 今朝は蘇軾の「石蒼舒の酔墨堂」という漢詩を紹介します。蘇東坡は四川省の峨眉山のあたりに生まれた文人官僚で、政治的な抗争に巻き込まれて、二度も流罪に会い、最後は海南島に流されてしまいます。そのような波乱の生涯を送った人物ですが、その詩も書も、一貫して突き抜けたところがありました。中国の文人たちのなかでも、蘇東坡ほど人生の栄達と悲嘆を体験しつくした人はいないでしょう。この「石蒼舒酔墨堂」という詩にはそんな境涯がよくあらわれていると思えます。「石蒼舒」というのは、蘇東坡の友人の名前で、古い筆跡の収集家であったということです。その友人を訪ねたときの詩で、半分はふざけて「石蒼舒の酔墨堂」を揶揄(からか)って作ったものだといわれています。蘇軾34歳の作だといいます。

 

石蒼舒酔墨堂(石蒼舒の酔墨堂)  蘇軾

人生識字憂患始  人生 字を識るは 憂患の始め

姓名粗記可以休  姓名 粗(ほ)ぼ 記すれば 以て休(や)む可し

何用草書誇神速  何ぞ用いん 草書の神速を誇るを

開卷戃怳令人愁  卷を開けば戃怳(しょうきょう)として人をして愁えしむ

我嘗好之毎自笑  我嘗て之を好み 毎(つね)に自ら笑う

君有此病何能瘳  君に此の病有り 何ぞ能く瘳(いや)さんや

自言其中有至樂  自ら言う 其の中に至楽有りて

適意無異逍遙遊  意に適すること逍遙の遊に異ること無しと

近者作堂名醉墨  近者(ちかごろ) 堂を作りて醉墨と名づく

如飲美酒消百憂  美酒を飲んで百憂を消するが如しと

乃知柳子語不妄  乃ち知る 柳子の語の妄ならざることを

病嗜土炭如珍羞  病んで土炭を嗜んで珍羞の如しとす

君於此藝亦云至  君 此芸に於いて 亦た至れりと云う

堆牆敗筆如山丘  牆に堆(つ)める敗筆は山丘の如し

興來一揮百紙盡  興来って一たび揮えば 百紙盡く

駿馬倏忽踏九州  駿馬 倏忽(しゅっこつ)として 九州を踏む

我書意造本無法  我が書は意造にして 本 法無し

點畫信手煩推求  点画 手に信せて 推求を煩わす

胡為議論獨見假  胡為(なんす)れぞ 議論 独り仮されて

隻字片紙皆藏收  隻字 片紙 皆藏收せらる

不減鍾張君自足  鍾・張に減ぜざるは 君自ら足れり

下方羅趙我亦優  下 羅・趙に方(くら)ぶれば 我も亦優ならん

不須臨池更苦學  須(もち)いず 池に臨んで更に苦学することを

完取絹素充衾裯  絹素を完取して 衾裯(きんちゅう)に充てよ

 

訳〕 人生、文字を覚えることから苦しみが始まる。項羽が云ったように自分の姓名が書けたらそれで良い。/草書をさらさらと書いて神速を誇るには及ぶまい。巻を開いても何と書いてあるのやらおろおろと人を悩ませる。/とはいえ、僕も書が好きで自分ながら可笑しいのだが、君は殆ど病気といってもいいほどで治しようがない。/いつもこの楽しみにかなうものは無いと云い、自由無礙の理想郷(荘子)に遊んでいるようだとさえ云う。/最近、書斎を作って酔墨堂と名付けたのも、美酒を飲んで心配事を洗い流すのと同じだからだそうだ。/そうしてみると、柳宗元の言葉もでたらめではない。土や炭を食べてご馳走のように感じる病気があるという。/君がこの芸術に打ち込んだのもその極地だよ。ちびた筆は垣根に山と積まれている。/興に乗って一度筆をふるえば百枚も書き尽くす。まるで駿馬が一瞬にして全国を駆けめぐるようだ。/僕の書などは勝手なくずし書きでまるで法則に則っていない。一点一画、でたらめ書きであれやこれやと解読に人を悩ませる。/それをどうしたわけか評価していただき、一字の切れ端まで収集して下さっている。/君は鍾繇・張芝にひけをとらない腕前、僕も羅暉・趙襲ぐらいになら負けはしないけど。/今更、張芝のように池のそばで池の水が黒くなるまで習字をする事もあるまい。白絹はそのまま取っておいて、布団の表にでもしたまえ。

 今朝の朝日新聞より

「授業、まず家で」試行へ 動画見て予習教室では応用 佐賀・武雄市が「反転授業」―― 佐賀県武雄市教育委員会は小中学生全員に1台ずつ配るタブレット端末で「反転授業」に取り組む方針を決めた。子どもは授業の動画を入れた端末を持ち帰り、家で宿題として予習。実際の授業ではわからない点を教え合ったり、議論しながら応用問題を解いたりし、学力の定着を目指す。11月貮小学校1校で試行し、順次広げる。/反転授業は、これまで学校の授業で教えてきた基礎的な内容を家で学び、家で取り組んでいた応用課題を学校で学ぶよう「反転」させる方法だ。米国で2000年代から広がった。日本では教員個人が取り組んでいる例はあるが、自治体単位で導入するのは初めて。/武雄市は10年度から、小学校2校の46年生に11台ずつiPadを貸与し授業で使っている。来年4月には小学生全員、15年春には中学生全員にタブレット端末を配る予定で、計約4200台を貸与する。/反転授業は先行して端末を使っている市立武内小で理科と算数の一部単元を選び、11月から始める。実証実験を重ねながら全校に順次広げ、全教科で試みる。/端末に入れる授業の動画は、まずは塾や出版社の開発したものを利用。それを参考に学校現場でもつくり、増やしていく。/市教委の目指すイメージはこうだ。まず教師自らが教科書をわかりやすく説明する動画を撮影する。教材映像専用のサーバーから選んでもよい。それらを10分ほどの映像にし、子ども一人ひとりの端末に入れる。理解度チェックの簡単なテストも入れておく。/子どもはその端末を持ち帰り、自宅で動画を見て問題を解くのが宿題となる。保護者の携帯電話には、宿題の内容を連絡し、家で勉強するよう促してもらう。/そして実際の授業。教師はまず全員の端末のデータを集め、予習をしてきたか、テストの出来具合はどうかをチェック。そのうえで、多くの子がつまずいている箇所を説明する。子どもがわからないところを教えあったり、1人の解き方を全員の端末で見て共有したり、学んだことを議論したりする場面をつくる。/授業後は、レベルに応じた復習問題をまた端末に入れて持ち帰らせ、わかっているかどうか確認する。/市教委が狙うのは、一人ひとりの理解度をその都度確認して進むことで、落ちこぼれをつくらないようにすること。もう一つは子どもが話し合い、教え合う対話型の授業でコミュニケーション力を養うことだ。

 ■自分のペースで学習、保護者の協力不可欠 : 反転授業の導入は、ICT(情報通信技術)が授業方法を変える可能性を帯び始めたことを意味する。/反転授業の長所の一つ目は、一人ひとりが自分のペースで学べることだ。説明の映像を家で見ることで、わからない子は何度でも繰り返し勉強でき、理解の早い子は、早い再生速度で聞くことができる。/二つ目は、それに続く教室での授業で議論したり、知識を応用する課題に取り組んだりと受け身ではない活動ができることだ。結果として、子どもの学習時間は増えることになる。/10月から市教委の教育監としてICT教育に取り組む代田昭久・東京都杉並区立和田中前校長は「教員や家庭の協力を得ながら、落ちこぼれをつくらない公教育を目指したい」と話す。

 ただ、課題も大きい。/一つ目は子どもがどこまで意欲を持って予習に取り組むかだ。教材の魅力を高めることがカギを握る。/二つ目は低学年ほど、大人が映像を見るよう促す必要があり、保護者の協力が欠かせないことだ。家庭環境の厳しい子どもには、放課後に学習の場を設けるなどの工夫が要る。/三つ目は教師が「教え込む人」から、「子どもとともに考え、話し合う人」へという、役割の変化にどこまでついていけるかだ。/他の自治体に広がるかどうかも未知数だ。反転授業の導入には1人1台の端末が必要だが、大規模な自治体の場合、財政負担が重くなる。佐賀県は来春入学の県立高校の全新入生に5万円でタブレット端末を購入してもらう。だが、自己負担が重いと負担撤回や軽減を求める声が出ている。

 ◆基礎と活用、両立 : 山内祐平・東京大学大学院情報学環准教授(学習環境デザイン論)の話 「反転授業」は、近代の学校の基本である一斉授業のスタイルをICTを用いて変えるものだ。10年後の教室では本命になり得る。武雄市の目指す方向性を評価したい。これまでの学校教育は基礎知識の習得か、活用力重視かの間を振り子のように動いてきたが、このスタイルだと両立できる。教材をどう充実させるか、教員がどこまでついていけるか、保護者の理解をどう得るか、といった課題もある。教員同士で経験を共有し、一歩一歩進めてほしい。

 ◆キーワード :<反転授業「Flipped Classroom」>

 教室で受けていた授業の動画を、自宅でタブレット端末やパソコンを使って視聴し、家で学んでいた応用問題などは教室で取り組むスタイル。ICT(情報通信技術)の進歩で可能になった。米国では2000年代から、オンラインの無料講座を活用する形で小中高に広がり、さらに大学で拡大している。 (朝日新聞朝刊 2013924日)

 旧約聖書の『伝道の書』に「智恵多ければ憤り多し」と言う言葉があります。知恵がつけばつくほど、世の中の矛盾や欠点も見えるようになり、憤慨することも多くなるということでありましょう。

 はてさて、爺の周りにも何かと言えば、世の中の矛盾を見つけ出しては、怒ってばかりいる人がいます。いやはや、爺の知っているほとんど人達がそうではないでしょうか。爺もよくよく振り返ってみると、世の中の出来事に憤ってばかりいたように思えます。

 

 老子様は次のようにおっしゃっています。

 

老子:道経:異俗第二十

絶學無憂。唯之與阿、相去幾何。善之與惡、相去何若。人之所畏、不可不畏。荒兮其未央哉。衆人煕煕、如享太牢、如春登臺。我獨怕兮其未兆、如孾兒之未孩。乘乘兮若無所歸。衆人皆有餘。而我獨若遺。我愚人之心也哉。沌沌兮。俗人昭昭。我獨若昬。俗人察察。我獨悶悶。忽兮若海、漂兮若無所止。衆人皆有以。而我獨頑似鄙。我獨異於人、而貴食母。

学(がく)を絶(た)てば憂いなし。唯(い)と阿(あ)とは、相(あい)去ることいくばくぞ。善と悪とは、相去ることいかん。人の畏(おそ)るるところは、畏れざるべからず。荒(こう)としてそれいまだ央(つ)きざるかな。/衆人煕煕(きき)として、太牢(たいろう)を享(う)くるがごとく、春台に登るがごとし。われひとり怕(はく)としてそれいまだ兆(きざ)さず、嬰児(えいじ)のいまだ孩(わら)わざるがごとし。乗乗(じょうじょう)として帰(き)する所なきがごとし。衆人はみな余りあり。而(しこ)うしてわれはひとり遺(わす)るるがごとし。われは愚人(ぐじん)の心なるかな。沌沌(とんとん)たり。/俗人は昭昭(しょうしょう)たり。われはひとり昏(くら)きがごとし。俗人は察察(さっさつ)たり。われはひとり悶悶(もんもん)たり。忽(こつ)として海のごとく、漂(ひょう)として止まるところなきがごとし。衆人はみな以(もち)うるところあり。而(しこ)うしてわれはひとり頑(かたくな)にして鄙(ひ)に似る。われはひとり人に異なりて、母に食(やしな)わるるを貴(たっと)ぶ。

訳) 学ぶことを止めれば,悩みも消える。「惟(はい)」というのと、「阿(ああ)」というのとではこの隔たりはどれほどであろうか。善〔美しい〕と言ったり、悪〔醜い〕といったり、その隔たりもどれほどあろうか。人びとの慎むところは〈こちらも〉慎まないわけには行かないが、さても広々として〈どこまで従ったらよいのか〉果てしもないことだ。

 多くの人はうきうきと楽しそうにして、まるで大御馳走を受けているようであり、春の日に高台から見晴らしているようだ。わたしはひとりじっと静かにして、何の兆しも見せず、ぼんやりまろやかでまだ笑うことも出来ない赤ん坊のようであり、疲れ果てた有様で身を寄せるところもないかのようでようだ。さてもわたしは愚か者のこころなのだ。

 世俗の人びとは〔智恵で〕輝いているが、わたしだけはひとり〔無知で〕暗いのだ。世俗の人びとは利口ではっきりしているが、わたしだけはひとりもやもやしているのだ。ゆらゆらと動いて大海原のようであり、風の吹くままにしてとまれないようなもののようだ。多くの人はみな役に立つのに、わたしだけはひとり融通のきかない能無しだ。わたしだけひとり、他人と違っている。そのようにして母〔なる根本の「道(タオ)」に養われることを何よりも大切にしているのだ。

 今朝の朝日新聞より

 高校生・太宰、左翼の証し 文芸誌「戦旗」購読の記録 プロレタリア文学、創作の足場紙面で読む ―― 作家太宰治「190948、本名津島修治)が旧制弘前高校在学中、伝説的な左翼文芸誌「戦旗」を購読していたことがわかった。大学時代の非合法の左翼活動については本物ではないと見る研究者もいたが、プロレタリア文学にじかに触れたことを示す資料が初めて見つかったことで、高校時代からの傾倒が裏付けられた。/斉藤利彦学習院大教授(教育史)が「官立弘前高等学校資料群」(弘前大付属図書館所蔵)を調べる過程で発見した。太宰の友人らが30年、治安維持法違反で逮捕された時の調書に、リーダー格の生徒らが「戦旗」を「津島」に配り集金したことが明記されていた。同図書館の長谷川成一館長によると、当時「津島」姓の生徒は太宰だけ。逮捕者は放校や退学処分になった。太宰が逮捕されなかったのは、青森県有数の資産家で県会議員の兄の存在が影響したのかもしれないという。調書は特高警察の尋問調書を写し取ったものとみられる。/〔戦旗〕は28年創刊。プロレタリア文学を代表する小林多喜二「蟹工船」や徳永直「太陽のない街」などを掲載。中野重治や大宅壮一らが執筆陣に名を連ねた。31年末まで続いたが、多くが発禁になった。/太宰は高校時代に実父をモデルに地主の腐敗を描いた「無間奈落」などを書いた。斉藤教授は、太宰が29年の「弘高新聞」文芸時評で「太陽のない街」を取り上げていたことも指摘。「危険を冒しても時代とつながろうとしていた。大地主の家に生まれた自己の存在について葛藤、プロレタリア文学を創作活動の足場にしようとした」とみる。/太宰は東京帝大進学後、非合法の左翼活動に参加するが、兄の説得や自殺未遂事件、結婚の破綻(はたん)も原因となりのちに離脱。その挫折と罪悪感は作品にも反映されている。太宰研究の第一人者、山内祥史神戸女学院大名誉教授は「太宰は真剣に左翼思想を持っていたと思われるが、文学的に自分を売り出す手段としただけとみる説もあった。今回の発見は、高校時代に実際に左傾していたと証明される貴重な資料だ」と話す。 (朝日新聞 2013921日)
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