瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 今日も朝から蒸し暑く感じます。いやはや、この暑さは年寄りには堪えます。歳は取りたくないものです。
 まだまだ、自分は若いと思っていましたが、最近は歳を感じることが多くなりました。まっこと、歳月は人を待たずです。


 「歳月は人を待たず」は人生のはかなさを説き、時に及んで行楽すべしと詠う陶淵明の詩の中にあり、かなり有名なものてす。特に最後の四句は人口に膾炙(かいしゃ)してこられました。爺が中学・高校の頃は意味を取り違えて、「歳月は人を待たないから、寸刻を惜しんで勉強すべし」というふうに、教えられてきました。それは「勉励」を、普通に言う勉強と受け止めたためでしょうが、ここでいう「勉励」とは「行楽に精を出すこと」をいうのだそうです。爺たちは長い間陶淵明の意に反して間違った解釈をしていたものです。
 


  雜詩其一   (とう)(せん



)


  人生無根蔕   (じん)(せい)(こん)(てい)なく


  飄如陌上塵   (ひょう)として(はく)(じょう)の塵の如し


  分散逐風轉   (ぶん)(さん)し風を()って(てん)


  此已非常身   ()(すで)に常の身に非ず


  落地爲兄弟   地に落ちては(けい)(てい)と爲る


  何必骨肉親   何ぞ必ずしも(こつ)(にく)の親のみならんや


  得歡當作樂   (かん)を得ては(まさ)に樂しみを()すべし


  斗酒聚比鄰   ()(しゅ) ()(りん)(あつ)めよ


  盛年不重來   (せい)(ねん) 重ねては來たらず


  一日難再晨   一日 再びは(あした)なりがたし


  及時當勉勵   時に及んで(まさ)(べん)(れい)すべし


  歳月不待人   (さい)(げつ)は人を()たず


 


  訳) 人の命には木の根や果実の蔕(へた)のような、しっかりした拠
    り所がない。まるであてどなく舞い上がる路上の埃(ほこり)のよ
    うなものだ。風のまにまにあちらこちらへ吹き飛ばされて、この身
    は、最早元の姿を保ちえない。
     そんな世の中に生まれ出たからには、すべての人が兄弟のよう
    なもの。肉親だけに限る必要はさらさらない。嬉しい時には、心
    ゆくまで楽しみ、酒をたっぷり用意して近所の仲間と一緒に飲む
    がよい。
     若い時は二度とやって来ないし、一日に二度の朝はない。楽し
    める時には、楽しもう。
     時というものは人を待ってはくれないぞ。


 今朝も朝から蒸し暑く感じます。手元の温度計は気温29℃、湿度74%を示しています。
 のろのろ台風12号が福岡を直撃しそうです。福岡の甥の家族が心配です。
 ウェブニュースより
 台風12号、長崎市付近に上陸 ―― 九州の西の海上を北上していた台風12号は5日午前1時過ぎ、長崎市付近に上陸した。
 気象庁は、九州北部などで、高波や土砂災害、河川の増水などへの警戒が必要としている。
 台風12号は5日午前0時現在、中心気圧は996ヘクト・パスカル、中心付近の最大風速は20メートル、最大瞬間風速は30メートルで、5日午前9時に佐賀県唐津市付近に達する見込み。

 4日は九州南部で大雨が降り、鹿児島県志布志市で1時間に66.5ミリ、宮崎県西米良村で63ミリの雨量を観測。6日午前0時までの24時間に予想される雨量は、近畿で180ミリ、九州北部、四国、東海で150ミリなど。  (2016年09月05日 01時41分 Copyright © The Yomiuri Shimbun)

 シドニー在住の姪Mihoちゃんより返信メールが届きました。曰く、
2016年9月5日21時23分着信 Re: 伯母さんからのメール
 浅草サンバカーニバルはどうでしたか?
 私が小さい時に暑い夏におばさんが連れて行ってくれたのをとても思い出します。
 綺麗なお姉さんたちがきらびやかな格好をして踊っているのがとても印象的でした。
 こちらは、少しずつですが暖かくなってきました。
 オーストラリアは、一応、春という暦はあるのですが、とても時期が短くてすぐ夏になってしまいます。日本の四季がとても綺麗だということをこちらに来ると改めて感じます。
 9月ははるなの誕生日で、こちらの親戚と一緒にバーべーキューパーティーをやります。
 色々と料理の用意が大変なのですが、少しずつ準備をしています。
 なかなか体が治るのは時間がかかりますね。マットもまだくしゃみをするだけで痛みを感じています。
 おばさんも早く完治してくれてるといいですね。リハビリを頑張ってください。
 おじさんも無理せず毎日をお過ごしください。 Miho


 


また、藤沢市在住のMY氏からも、返信メールが届きました。曰く、
2016年9月4日22時35分着信 RE: 日本におけるシェークスピア
 日高 様
 N君と違いシェイクスピアに始まり現在の新劇に至る日本の演劇の歴史など全く無知な私にとって大変わかりやすい解説を読ませていただき有難うございます。
 シェイクスピアの作品をあの時代にこれほどまで生涯をかけて翻訳し研究した坪内逍遥という人は凄い人だなと正直驚きます。また川上音二郎一座が「ハムレット」を欧米にて上演したとのことにも驚きます。
 戦後間もない時期に門中の講堂で前進座の「ベニスの商人」を観たときのことは今でも覚えています。
 西洋の劇を日本語にして日本人の役者が演じたことに先ず驚きました。何しろそれまでは生の芝居など一度も観たことがなかったのですから。今風に言えばカルチャーショックを受けたわけです。
 それにしても何故、突然お役人はこのような芝居を中学生に見せたのか真意がわかりません。GHQの占領政策の一環だったのかもしれないなと思ったりもしますが。
 何の考えもなく纏まりもない駄文となり失礼しました。
 今日は又一段と蒸し暑い一日でした。お身体にはくれぐれもお気を付けください。 Y


 


 Kanami女史から返信メールが届きました。曰く、
2016年9月3日15時43分受信  Re: 先日はわざわざ迎えに来てもらって有難う
 日高先生
 こんにちは。メールありがとうございました。
 先日は久しぶりに先生にお目にかかる事ができ、とても嬉しく感じました。
 私は塾生の中では「チビ」なので、12月の忘年会は大先輩がたくさんいらっしゃって、若干気おくれしますが、Hitoちゃんを囲む会は非常に楽しい時間を過ごすことが出来ました。
 掃除、洗濯、など家事は好きなので、なにかあればお電話下さい。参上いたします!
 (料理は献立を考えるのは苦手ですが、食材を切ったりするのは好きです)
 ブログ、拝見しました。妹も先生方の事が気になっていたのですが、お忙しいだろうから、と遠慮気味。道でばったり先生にお会いするなんて、妹はラッキーです。
 まだ暑く、不安定な天気が続きそうですが、ご自愛ください。 Kanami

 恐らく、久し振りにパソコンを開いて爺のメールを見て、返信したものでしょう。

 爺のメールで思いついたのか、昨日の夕刻近くKanami女史から電話があり、婆様が受話器を取りましたが、「山梨から葡萄が届いたので、今から持参する」ということでした。


 まもなく、Kanami女史が来訪。山梨からの葡萄と手作りの辣韭(らっきょう)漬けを戴きました。


 


 20分ほど話し込んで帰宅しました。

 今朝は横浜のIN氏にメールを貰ったままになっているので、その返信を兼ねてメールしてみました。曰く、
2016年9月4日6時25分発信 CC:MY  題:日本におけるシェークスピア
 朝晩はいくらか涼しく感じるようになりましたが、まだまた暑い日が続きますね。
 毎度のことですが野崎君の演劇通には頭が下がります。
 N君からのメールに「終戦直後、なぜあんなにシェークスピアブームが起こったのだろうね。」とあったので、私も少々演劇の歴史を紐解いて見ました。
 日本でシェークスピアの翻訳は1884年逍遥の「ジュリアス・シーザー」が最初であるといわれています。1903年川上音二郎・貞奴(写真添付)一座が「ハムレット」を上演、欧州・米国を巡回し話題になったそうです。シェークスピアの第1人者を任ずる逍遥としては、「芝居は面白ければよいと言うものではない、原作に忠実さが求められる」と自ら文芸協会を組織したといわれます。その一座で1908年「ベニスの商人」「ハムレット」などを上演しています。逍遥はシェークスピアの王族関連演劇に日本の近松門左衛門の歌舞伎・浄瑠璃との類似性を見出していたといいます。何とかして日本に演劇を定着させよう、そのためには歌舞伎・浄瑠璃流にアレンジしたほうが日本の風土に西欧流の演劇が根付くと言う信念があったのでしょう。ギリシア・ローマ劇では日本の文化にそぐわない――、シェークスピア物に限るという判断だったようです。

 しかし脱アジア入欧米の時代、あまりにも古臭い歌舞伎的なスタイルのシェークスピア物はだんだん厭きられてきたのでしょう。逍遥の弟子、島村抱月は英・独に留学し演劇を学び、帰国して松井須磨子(写真添付)と「芸術座」を結成します。逍遥のような伝統演劇に反して西洋の近代劇を模索して、「新劇」と言われるようになります。出し物はトルストイの「復活」、イプセンの「人形の家」などがそのレパートリーであったといいます。

 大正・昭和の前半はシェークスピアの演劇は陰を潜めたようですが、シェークスピア物語は書斎に忍び込みます。夏目漱石はイギリス・ロンドンに留学中、シェークスピアに熱中したといいます。日本に帰って東大で英文学を講義しますが、取り上げた作品はシェークスピア物が多いといいます。「マクベス」「リア王」「ハムレット」などの評論を行い、小説「倫敦塔」を著しています。その他「虞美人草」はシェイクスピア流儀であるといわれいます。大正時代中等教育を受けた層を中心として、安価な岩波文庫などでシェークスピア物が読まれるようになります。教科書にも取り上げられシェークスピアは「教壇と書斎にシェークスピアが現われた」というほど日本に定着したようです。
 戦前も太宰治の「新ハムレット」(1941年)など悲劇を道化にすりかえたシェークスピアの新解釈の創作が行われていたといいます。戦後1955年福田恒存訳・演出の「ハムレット」が文学座で上演されたのは福田時代の先駆けとして評価されているようですね。訳・演出もさることながら芥川比呂志や杉村春子など役者がそろって好演したこともあるといいます。1958年には「マクベス」、1963年には「真夏の世の夢」と劇団「雲」で上演され、福田シェークスピア物は続きました。逍遥と違ってリズミカルなセリフのテンポ、「詩」「祭祀」「神話」を取り入れ、また新劇の近代的・合理的・リアリズムとはやや距離をおいた演出など、戦後世代の感覚にマッチした大衆受けする演出が成功の理由であるといわれているそうです。
 この100年間日本ほどシェークスピアを多様に解釈した国はないといわれているそうです。何はともあれ、恐らくそれは世界一の寺子屋教育?の伝統を引き継いだ初等教育のおかげでシェークスピア物を多くの日本人が読んで理解し、演劇・映画などで作品を堪能したことで翻訳者・脚色者・演出者のやる気が大いに高まった事もあるのでしょうかね。
 N君にはこんなこと初めからご存じだとは思いながらついついパソコンのメール復調に調子づいて、様にならぬメールを打ち込んでしまいました。ごめんなさいね。
 ではまた。奥様ともどもご自愛ください。  日高 節夫

 IN氏から早々と返信めーるを戴きました。曰く、
2016年9月4日10時15分着信 Re: 日本におけるシェークスピア
 日高節夫様
 日本でのシェークスピアについてのご教示ありがとう。
 わたしがシェークスピアの戯曲に関心を示したのは、たまたま我が家に戦後、焼け残りのシェークスピア全集があったから、ほかにそれしか読む本がなかったからという情けない? 状況だったことによるのです。本を読みたくて図書部に入ったのもそういうわけでした。
 何度も書くように、わたしの演劇道の手ほどきは、同期のH君なのです。彼は、当時、演劇評論家の三宅周太郎氏の書いた『演劇〇〇年史』をすでに持っていました。三宅周太郎は当時すでに一世を風靡する演劇評論家で、わたしはH君からこの本を貸して貰うまではその存在を知りませんでした。
 この本は、明治以降の演劇の推移、変転を戦後の新しい目でまとめたものでした。明治以降の日本の演劇界を、オッペケペ節の川上音二郎に始まると位置付けているものですから、歌舞伎に思考の大半を占められていた私にとっては、現在ほど、「政治批判が、演劇の始まり」という考え方がよく理解できないところがありました。
 演劇は、あくまでも商業演劇(木戸銭をとって、芸を見せ、観客を満足させ、関係者もカネを儲ける生業)が主流だとおもっていましたから、政党政治の宣伝手段が演劇の始まりという主張には、子供心に100%賛成できないところがあったのです。そんなときに河竹繁俊さんの本が出ました。タイトルは忘れましたが、その本には『日本の芸能の根源は四つある。奈良時代の雅楽・舞楽、室町時代の能楽、江戸時代の文楽人形浄瑠璃と歌舞伎だ』というのです。
 わたしはこれに飛びついて、四つを学ぼうと無謀な決心をしたのです。門司には何にも関連する資料がないのにです。
 退職後にようやく、正面切って、この日本の四大芸能を調べようという気分になったのです。


 色々ありましたが、退職後の人生で、十分に堪能できたのは雅楽・舞楽と文楽・歌舞伎だけで、能楽は職場のお謡いの同好会に入って「竹生島」と「羽衣」を二本上げただけでサボってしまいました。
 そんな浮気心の私が、ふと見る気になったのが、前進座の国立劇場定期公演の「ベニスの商人」と「鳴神」だったのです。
 手帳で調べてみますと、1997年5月16日とありますから、平成9年のことでした。
 前進座の全国巡演も、たしか、戦後、早い時期に朝日賞をもらったのではなかったでしょうか。


序でながら、前進座といえば、門司にもう一度巡回公演に来たことがありました。その頃の記録は何もありませんので、日時は分からいませんが、場所は錦町小学校講堂。演目は『ああ無常』


 ジャンバルジャンは中村翫右衛門でした。このとき、どういう経過かわかりませんが、わたしは学校新聞の取材で、H君と一緒に、 翫右衛門の楽屋にインタビューに行きました。
 講堂に隣接する教室が楽屋になっていて、そこでジャンバルジャンに扮装をしたまま、食事のパンを炭火の四角い火鉢で焼いていました。わたしは、すぐにインタビューに取り掛かろうと、質問を投げかけたんですが、翫右衛門は、「いまから、パンを食べますから、ちょっと待ってください」と押しとどめられたのです。
 一緒に行ったH君は、その態度に少しお冠で「なんだ、ひとを待たせて飯を食うとは…」といっていました。わたしの質問は、戦前の焼ける前の明治座公演で、終演後、腹いっぱいエビフライを食うのが楽しみだったという古い想い出を、焼け残りの「主婦の友」かなんかで読んで、それをぶつけたものですから、相当、頓珍漢な質問だったろうと、今振り返って冷や汗が出ます。
 そんな想い出があったものですから、19年前の東京公演を思い出したのです。長々とつまらない思い出ばかりですみませんでした。
 早く、奥方の腰の疾患が回復されますように願っております   IN


 


 Chabo女史にパソコンからのメールが届かないので、携帯でメールしてみました。曰く、
2016年8月16日12時16分発信 題:ご無沙汰しています。


パソコンでメールしましたが、届かないので、携帯からメールします。最近は朝少し早く起きてブログの更新をしています。近況はブログでご覧ください。
 まずはお知らせまで。   日高節夫

 早速携帯へ返信メールが届くとともに、爺のブログにChabo女史のコメントがつきました(9月1日のブログの前半)。そこで、携帯で、メールしました。曰く、
2016年9月2日9時44分発信 題:ブログへのコメント有難う
 早速ブログへのコメント有難う。9月に入ってもまだまだ暑い日が続くようですね。涼しくなったらKayoちゃんとお出かけください。
 ところで、先日以来貴方の登録アドレスでメールを送っているのですが、拒否されてしまいます。ついでの時にでも私のパソコンにメールしてみてください。
 何だか自分勝手なことばかりお願いして申し訳ありません。 日高節夫

 再び、ブログへのコメント(9月1日のブログ後半)がありました。携帯にもメールが入り、パソコン故障で爺のアドレスが判らなくなったとのことです。早速メールでアドレスを報せて、交信が可能になりました。


 


 今朝パソコンを開くと福岡の甥からメールが入っていました。曰く、
2016年9月3日0時7分 RE: ご無沙汰しています
 HNです。メール有難うございました。叔父さんたちに会いに行かなくてはと思いながら失礼しています。おばさんが快方に向かっているとの知らせは何よりです。
 またブログにもご迷惑と思いますが、こちらの健康情報をかねて書き込みさせてもらいます。
 そのうちEri夫婦をつれてお伺いします。そのときはよろしくお願いします。 では。
 


 返信メールではなく、甥のアドレスでメールを送ってみました。曰く、
2016年9月3日6時33分発信 題:4人目の孫でおめでとう
 貴兄のアドレスでメールしてみます。
 4人目の孫で貴兄達夫婦もすっかりお爺ちゃん・お婆ちゃんですね。大変喜ばしい事です。おめでとうごさいます。
 私は当分おさんどん生活が続きそうです。 日高 節夫

 このメール、送信済みアイテムに入ったので、うまく送れたと思います。

 今朝のウェブニュースより
 森組織委会長 小池都知事に「築地移転延期」でイチャモン ―― 東京五輪組織委員会の調整会議が2日、都庁で開かれ、小池都知事が築地市場の移転延期などを報告した。これに対して組織委の森喜朗会長が、築地市場跡地で五輪までの開通を目指す環状2号線の建設について「五輪までにやるならやる、やらないならほかにどういう方法があるのか示してもらいたい」と注文。都政改革本部の五輪予算の検証でも「五輪準備は順調に進んでいるので、支障のないようにやってもらいたい」と畳み掛けた。

 五輪招致委員会がシンガポールのコンサルタント会社に支払った2億円余の使途不明金疑惑は当事者への聴取もできないまま打ち切り。招致委は「疑念は払拭できた」と頬かむりだ。こんな調子で「準備は順調に進んでいる」とはよく言うよ。   (日刊ゲンダイ 2016年9月2日)

2億円使途は不明のまま 東京五輪招致「違法性ない」JOC報告 ―― 二〇二〇年東京五輪・パラリンピックの招致を巡る金銭授受疑惑で、日本オリンピック委員会(JOC)の外部識者による調査チームは一日、日本の招致委員会がシンガポールのコンサルタント会社に二億円余を支払った契約に違法性はないものの、手続きの透明性には問題があるとの報告書を公表した。JOCは「疑念は払拭(ふっしょく)できた」として調査を終えるが、支払先への聞き取りはできず、疑惑の全容に迫ることはできなかった。


■接触不能
 「タン氏から先の流れが今のところ何も分かっていない」。調査チーム座長の早川吉尚・立教大教授は記者会見でこう述べた。タン氏とは、招致委が二億円余を送金したコンサル会社「ブラックタイディングス(BT)」代表のイアン・タン氏だ。チームは招致委理事長だった竹田恒和氏ら三十四人に聴取。一方、タン氏らへの聞き取りは「試みたが接触できなかった」。
 調査報告書では、BT社への支払いは東京への投票を国際オリンピック委員会(IOC)委員に働き掛けるロビー活動や、成功報酬として必要だったと認定。フランスの検察当局は、この一部がBT社から国際陸上連盟会長でIOC委員(いずれも当時)のラミン・ディアク氏側に渡ったとみて捜査中だ。
 ラミン氏の息子パパマッサタ氏はパリで高級腕時計など千六百万円相当の買い物をし、代金の一部はBT社から振り込まれたと海外などで報道された。調査報告書では二億円余の使い道が不明なまま、「日本側の関係者には贈賄の認識がない」と結論付けた。
■状況証拠
 調査チームは「BT社の活動実態はあった」とした。根拠の一つは、BT社が招致委に提出した三十七ページの報告書。「IOC委員の投票行動が書いてあった。さまざまな活動をしていたと予測される」と早川座長。いわば状況証拠の積み重ねだ。調査報告書には「相応のロビー活動を行っていたことが推認される」と記された。
 BT社への支払いは二回に分けられた。招致委の事務局長らは成功報酬的な二回目の支払いがあることを事前に竹田氏に説明せず、調査報告書では手続きの透明性に「一定の問題がある」と指摘した。
■捜査待ち
 調査チームはシンガポールを訪ね、フランスの弁護士を通じて検察当局の動きを探ったが、情報はつかめなかった。早川座長は「強制捜査権のない中、これ以上の解明は難しい。フランス当局がどこまで捜査を進めるのか、全貌が解明されるのを願っている」と答えた。
 第三者委員会制度に詳しい郷原信郎弁護士は「コンサルタントらに接触できなかったにもかかわらず、招致委に違法性の認識がなかったから問題ないと言い切っている。招致委側の弁解を聞いただけの調査だ」と話した。
◆報告書で明らかにならなかった点
 ▼招致委からブラックタイディングス(BT)社に支払われた2億円余は何に使われたのか
 ▼BT社のどんなコンサル活動が東京の招致成功に結び付いたのか
 ▼BT社代表のイアン・タン氏とIOC委員だったラミン・ディアク氏らとの関係  (東京新聞 201692日 朝刊)


 


 


 福岡の甥に登録してあるアドレスで何度発信しても、届かないので、かつて甥から受信したメールの返信メールとして、発信してみました。曰く、
2016年9月2日5時52分発信 題:ご無沙汰しています
 大変ご無沙汰しました。パソコンをウィンドウズ10に替えてどうも調子が悪く、ここ1年半ほど他からのメールは届くのですが、送信したメールが相手に届きませんでした。
 最近、やっと修復できたので、テスト送信を兼ねてメールします。
 Eriちゃんが12月出産だそうで、おめでとうございます。
 Michikoの具合は徐々にですが快方に向かっているようです。でもおさんどんはまだまだ続きそうです。
 最近は少しだけ早起きをして、ブログの更新をするようにしています。
 まずは、パソコンのメール復調のお知らせを兼ねて、ご機嫌伺まで  日高 節夫

 うまく「送信済みアイテム」に入ったので、送信できたようです。

 今朝のウェブニュースより
 「都政改革」始動 初会合で小池知事「都民ファーストで」 ―― 東京都の小池百合子知事は一日、都や関連団体の業務を点検し、改善策を検討する「都政改革本部」を設置し、初会合を都庁で開いた。都の情報公開のあり方や二〇二〇年東京五輪・パラリンピックの開催費用などについて調査する。小池知事は「都民ファースト、情報公開、税金の有効活用という三つの視点から、前例にとらわれず全庁横断で、都政の透明化をはじめとする大改革を進めたい」と語った。
 二日で小池知事の就任から一カ月になるのを前に、選挙公約に掲げた都政改革が始動した。本部長には小池知事が就任し、副知事や都の全局長が参加するほか、外部委員として上山(うえやま)信一慶応大教授ら有識者十四人が特別顧問や特別参与などに名を連ねた。初会合は都庁ホームページで、インターネット中継された。

 小池知事は会議の冒頭、「選挙で訴えた都政改革を有言実行していく上で、この本部は大変重要な役割を担う」と説明。都職員に向けては「GHQ(連合国軍総司令部)として乗り込むわけではありません。改革の担い手は皆さんであり、主権回復のため、都民のために目標を共有したい」とも述べ、自律的な取り組みを促した。
 本部では、情報公開のあり方と巨額の開催費用が見込まれる五輪・パラリンピックに関する二つの調査チームを設置した。情報公開は「都民目線で都政を運営するインフラ」と位置づけ、すべての情報を原則公開する方向で検討する。
 五輪関連では、小池知事は「素朴な疑問として都民の負担はどうなるのか。見えないところで何かが決まることに、都民は不安を抱いている」と指摘。調査チームでは、費用対効果や競技施設の規模、予算などの妥当性に関して、国や組織委にも聞き取りをする方針で、情報を整理し九月中に中間報告する。
 本部の統括役となる上山教授は、大会運営や開催準備に関して「都と国、組織委の費用分担など、分からないことがかなりある。組織委、国を含め、全体像をはっきりさせる必要がある」と語った。  (東京新聞 201691 1356分)


 


 昨日のブログが調子悪く、一旦消去して更新し直しましたので、日付が今日(9月1日)のブログになりました。ご了承ください。

 今日からまた、暑い夏日が続くようです。テレビ報道によれば、11月7日築地市場の豊洲移転が延期されることになるということです。 ウェブニュースより
 「小池劇場」幕開け=築地移転延期、次は五輪予算 ――  就任から1カ月を迎える小池百合子東京都知事が31日、都政の重要課題をめぐり最初の大きな決断を下した。11月7日に予定されていた築地市場(中央区)の豊洲新市場(江東区)への移転延期の表明。都議会や市場関係者らを巻き込み激論が交わされるのは必至で、「小池劇場」が幕開けした。
 小池氏が移転延期に踏み切った最大の理由が新市場の安全性だ。都幹部は「過剰とも言える安全対策を積み重ねてきた」と説明するが、年明けに判明する地下水の水質調査の結果を待たずに、移転日を決めた都に小池氏は不信感をあらわにしてきた。
 一方、移転準備を進めてきた都庁の関係者には戸惑いが広がる。特に懸念されるのが、2020年東京五輪・パラリンピックで選手や観客を輸送するのに必要な幹線道路となる環状2号建設への影響だ。
 環状2号は、築地市場の跡地を通る計画で、移転の遅れで五輪までに開通できない可能性が出てきた。小池氏は先週、事務方に「延期しても五輪に間に合う方法を考えてほしい」と対応を指示したが、現時点で改善策は浮かんでいないという。
 「小池都政では『既定路線でしょ』という考え方はとらない」と述べ、改革への強い決意を示した小池氏。次の改革のターゲットに位置付けるのが、全体で2兆~3兆円に膨れ上がるとも言われる五輪の予算だ。
 1日に発足する「都政改革本部」を舞台に切り込む方針。28日に開会する都議会の前に中間報告を公表する予定だが、巨額の費用を投じる競技施設の建設をめぐりささやかれる利権の問題などにどこまで踏み込めるのか、都民の関心が集まる。

 ただ、都議会からは早速、今回の移転延期について「大きな混乱を招きかねない。十分な説明責任を果たすべきだ」(公明党の長橋桂一幹事長)と批判の声が上がっている。小池氏と緊張関係にある最大会派自民党は様子見の姿勢だが、議会関係者は「本会議だけでなく、委員会にも知事を呼んでこの問題をただすこともあるのではないか」と指摘。小池氏にとって最初の正念場となりそうだ。  jojocom 2016/08/31-20:04


 今朝は気温26度、湿度61%で陽も当たっていて、爽やかな朝です。

 この爺にブログを勧めてくれたchabo女史とも随分交信していないので、メールしてみました。曰く、
2016年8月29日20時12分発信 題:最近の様子は如何
 大変ご無沙汰してしまいました。
 2014年1月に、パソコンをwindows10に替えて以来、調子が悪く、メールは他所から来るものは入るのですが、こちらから発信しても相手に届かず、1年半以上そのままになっていましたが、最近塾友のHitomiちゃんが直してくれて、メールが相手に届くようになりました。
 私も昨年の2月胃癌手術で、胃袋を半分ほど除去しましたが、以来調子が良くなくず~っと医者の世話になっています。それに、今年に入ってからは婆様が圧迫骨折で、私が「おさんどん」をすることになり、いまだに続いています。
 と言う訳で、ブログの方もお留守になりがちでしたが、最近は大分慣れてきたので、少し早起きをしてブログの更新をするようにしています。
 kayoちゃんとは連絡していますか。また、一緒にそのうち話に来てくださいね。
 貴女のブログを開いて見た所、3月24日で、更新なしになっていました。まあ、私と同じように母上の介護などでお忙しいのだろうと推察しています。
 メールの復調のお知らせを兼ねまして、ご機嫌伺まで   日高 節夫

 このメールは、爺のパソコンに登録してあるアドレスで何度やり直しても相手に届かず、またもやメール送信不能に陥ったかと、パソコン復調の際テスト送信したkanami女史にメールしてみました。曰く、
2016年8月30日10時57分発信 題:先日はわざわざ迎えに来てもらって有難う
 先日はHitoちゃんを囲む会に誘ってもらい、その上迎えに来てもらって有難う。遅ればせながらお礼申し上げます。
 ブログにも書いたとおり、先日偶然知香ちゃんにお会いし、わざわざ家まで婆様の見舞いに来て頂きました。そのとき、いっぱい野菜もいただき大いに助かりました。
 30分ほど話して、塾に行っている娘さんを迎えに行く時刻になり帰宅されました。娘さんは、知香ちゃんにそっくりになられたとか嬉しそうに話していました。
 最近は少し早起きをしてブログの更新をするようにしています。なにか記事になるようなことがあればお知らせください。
 大変遅くなりましたが、先日のお礼旁、近況のお知らせまで 日高 節夫

 これはうまく届いたらしい。Kanamiちゃんの妹のChikaちゃんにもメールしてみました。曰く、
2016年8月30日13時37分発信 題:先日は有難う
 遅ればせながら、先日は有難う。
 沢山の野菜を戴いて大変調法しています。いんげんの料理など及びもつきませんでしたが、パソコンのレシピで胡麻和えにしたり、マヨネーズ和えにしたり、はたまたロースの薄切りで巻いて酒蒸し焼きにしたりして、料理の範疇が広がりました。キュウリ・ナス・トマトも色々な方法で料理して大助かりです。
 昨日は、言問橋西詰の5差路の所にある九州野菜の売り場の親父さんに「塾長さん」なんて呼ばれて吃驚しました。知香ちゃんや母上はお得意さんだそうですね。
 おさんどんに慣れて、今は少々早起きをして、ブログ更新をやっています。
 何かニュースがあったらお知らせください。
 また、話に来てね。 まずは、婆様のお見舞いのお礼まで  日高 節夫

 これも送信済みアイテムに入ったから届いたのでしょう。
 SekiちゃんやNaruちゃん福岡の甥などにメールしてみましたが、これらのメールはすべてwindows live メールに、「差出人の電子メール アドレスが拒否されたため、メッセージを送信できませんでした。」と表示されます。
 長期間これらのアドレスを用いなかった間に、アドレス変更をしたのかも知れません。

 昨日は、ライフまで買い物に行きましたが、言問通りと馬道通りの交差点あたりから急に雨かが降り出し、びょしょ濡れになってしまいまました。ライフで買い物を済ませ表に出るとすっかり雨は上がっていました。


 言問い通りの浅草寺僧房の路地の入口の辺りでO夫人に逢い、しばらく立ち話しました。


 


 


 

 今朝は雨模様。気温27℃・湿度79%。迷走台風10号の行方が気になります。
 どうやら東京への直撃は避けたものの、東北地方に上陸するようです。
 ウェブニュースより
 台風10号 きょう午後にも東北地方に上陸のおそれ ―― 強い台風10号は関東の南東の海上を北上していて、これから進路を西寄りに変えて暴風域を伴ったまま関東や北日本に近づき、30日午後にも東北地方に上陸するおそれがあります。暴風や高波に警戒するとともに、気象庁は、東北では記録的な大雨になるおそれがあるとしていて、土砂災害や川の増水や氾濫にも警戒が必要です。

 気象庁の発表によりますと、強い台風10号は、30日午前5時には千葉県銚子市の南東、およそ350キロの海上を1時間に20キロの速さで北へ進んでいるとみられます。中心の気圧は965ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は35メートル、最大瞬間風速は50メートルで、中心の東側170キロ以内と西側70キロ以内では風速25メートル以上の暴風が吹いています。
 台風はこれから進路を北西に変える見込みで、暴風域を伴って強い勢力を保ったまま関東や北日本に近づき、30日午後にも東北地方に上陸するおそれがあります。
 東日本や北日本では台風が接近するため次第に雨が強まり、雷を伴って1時間に50ミリ以上の非常に激しい雨が降り、局地的には1時間に80ミリの猛烈な雨が降るおそれがあります。30日の夕方までに降る雨の量はいずれも多いところで、東北で350ミリ、関東甲信で200ミリ、北海道と北陸で150ミリと予想されています。その後、30日の夕方から31日の夕方にかけては、東北と北海道で100ミリから200ミリの雨量が予想され、特に東北では平年の8月の1か月分の雨量を超える記録的な大雨となるおそれがあります。
 東日本や北日本では31日にかけて風が強く、波の高い状態が続き、北日本では太平洋側の海上を中心に猛烈な風が吹き、広い範囲で暴風が吹く見込みです。30日の最大風速は、東北で35メートル、北海道で30メートル、関東で23メートル、北陸で20メートルで、最大瞬間風速は30メートルから50メートルに達すると予想されています。
 波の高さは東北で10メートルの猛烈なしけになるほか、北海道と関東で8メートル、東海で6メートルと予想されています。また、東北の太平洋側は1年で最も潮位が高い大潮の時期にあたり、30日の夜を中心に高潮のおそれがあります。
 また、上空の寒気と台風からの湿った空気の影響で、東海や関東など東日本では大気の状態が不安定になり、各地で強い雨が降っています。埼玉県ではこれまでに降った雨で土砂災害の危険性が非常に高くなり、土砂災害警戒情報が発表されている地域があります。
 気象庁は、土砂災害や川の増水、低い土地の浸水、それに暴風や高波、高潮に警戒し、落雷や竜巻などの突風にも十分注意するよう呼びかけています。また、雨や風が強まる前に、避難場所をあらかじめ確認するなど安全を確保するとともに、屋外での作業や不要な外出を控えるよう呼びかけています。 (NHK NEWS WEB 8月30日 5時03分)


 


 塾友のHitomi女史は28日にはシアトルへ帰るとの言うことなので、在日中にお世話になったこともあって、メールを入れておきました。曰く、
2016年8月28日10時40分発信 題:今頃はシアトルかな
 28日に帰国と聞いていましたのでメールします。
 先日はいろいろと有難う。お蔭で方々にメールできるようになり、助かりました。


 若い人たちの間でムサイ爺がお邪魔だとは思ったのですが、皆が喜んで迎えてくれて大変嬉しかったです。
 家族そろって折角訪ねていただいたのに、パソコンの不具合の調整で写真を撮るのを忘れてしまい残念です。息子さんもすっかり大きくなってお母さんの背を遥か越してしまっていた事にはびっくりしました。娘さんも女らしく美人の陰が見えてきましたね。旦那さんもすっかり日本語が上手になられましたね。
 ずいぶん昔の写真ですが、臨海での写真を添付しておきます。
 Hitoちゃんの隣のMakkouこと、KK君は、いまは自衛隊員で、去年の『はきだおれ市』に、家の手伝いをしているところを花川戸公園で出会いました。その時の写した写真も添付しておきます。弟のI君も元気です。

 もう一人のT君は今はどうしている事やら、音信不通です。
 これからも、何かにつけ、塾友たちの消息をお知らせしたいと思っています。
 また、メールします。Hitoちゃんからのメールもお待ちします。
 取り敢えず、本日はこれまで。 日高 節夫

 朝パソコンを開くと、IN氏よりメールが入っていました。曰く、
2016年8月28日20時16分受信 題:前進座の鳴神
 日高節夫様
 前進座の芝居で、シェークスピアの「ヴェニスの商人」と「鳴神」をみたという話の続きを書いてみよう。
 門司中学の講堂で観た「ベニスの商人」では、ひとりだけ瀬川菊之丞といううまい役者がいたのを覚えている。私がそんなに役者を見る目があったわけではない。クラスは違うが歌舞伎通の浜田君が、「あの芝居で、瀬川菊之丞がいちばんうまいね。せりふ回しも、演技も断然いい」というのでその役者が瀬川菊之丞と呼ぶ役者だと知っただけ。
 そういえば、シャイロックやポーシャ姫以外、大切な狂言回しをする脇役の存在があった。ユダヤ人のシャイロックから、友人のために借金をして友人に用立てたアントニオではない。バッサニオではなかったろうか。
 その瀬川菊之丞、演技も台詞も朗々として明るい発声で、演技は観客を引き付けた。浜田君は、この役者を前から知っていたのか、当日、初めてお目にかかったのか、ついぞ聞く機会がなかった。
 「歌舞伎人名事典」で引いてみると、明治40年生まれ、昭和7年前進座に参加、8月、新橋演舞場で初演とある。そのまま、舞台に出続けて、昭和51年10月30日初日の大阪中座「新門辰五郎」の小鉄役で出演中11月3日大阪梅田のホテル阪神で心臓麻痺で死去とある。
 昭和7年というから私の生まれた年に前進座に参加した役者、門司中学で「ベニスの商人」を演じたのは39歳頃の脂の乗り切った盛り、大劇場ではない田舎の中学の講堂で、巡回演劇の場であっても、戦争中の情報局や警察官の臨検を気にしなくてよい戦後の自由主義の芝居の場はさぞかしやりがいがあったろうと思います。
 ここまでは蛇足。「歌舞伎十八番 雷神不動北山桜〈なるかみふどう、きたやまざくら)」(通称 鳴神)も当日、同時上演していました。すこしくどいが、粗筋を書いておきます。
 《高僧・鳴神上人は、帝が皇子誕生の祈祷が成功すれば、鳴神上人の住んでいる北山に道場をつくると約束したにも拘わらず、皇子が誕生しても約束が叶えられず、怒って世界の龍神龍女を岩屋の滝壺に行力で封じ込めてしまう。そのため、雨が一滴も降らぬようになり農民は大弱り。朝廷では対策を練り、雲の絶間姫(くものたえまひめ)という宮中で第一の美女を、夫に死別した女が亡夫の衣類を洗濯しようと水を求めてこの山奥まで分け入ってきたという設定で、差し向ける。鳴神上人に近づき、色仕掛けで堕落させて、密法の注連縄を切る。そのために龍神龍女が八方に散り、雨が降る。絶間姫にしたたか飲まされて不覚を取った上人は、弟子たちから起こされて、自分の行法が破られたことを知り、荒れ狂って絶間姫の後を追う。》(芝居はこのような場合、あとから追っかけてつかまえられたためしがありません)

 雲の絶間姫は美しい女形で、物堅いお上人様を落とすために、夫とのなれそめを語る川渡りの所作で、裾をぐっとからげて見せる。二人の弟子の堕落坊主、白雲坊、黒雲坊を相手に悩殺するものですから、すっかり破戒坊主になってしまうのです。
 ところがこの時ばかりは、役者が汗っかきだったせいか、段々、紅の化粧が溶けて頬から顎から流れ落ちてきて、気の毒でした。普通の芝居ですと黒子の後見が直すのでしょうが、この時は手が足りなかったのか、花道を引っ込むまで、血だらけの絶間姫で、役者には気の毒な結果でした。


 前進座の役者諸君が特別に安い化粧品を使っているわけでもないのでしょうが、あんなに顔が血だらけの雲の絶間姫は初めて見ました。
 熱演の結果ああなったのでしょうが、やはり役者たるもの、黒子の後見にちゃんと見てもらって、メークを直したほうがよかったなあと思ったのでした。
 この鳴神という芝居は、まことに皮肉なストーリーで、厳しい修業を積んでも女体に迷って凡夫に還るというテーマは生臭くて、数日前にもあった芸能界のおかしくて、かなしい現実を思い出しました。
 長々と駄弁を弄してすみませんでした。暫くは口をつぐんでおきましょう。  IN


 


 横浜のIN氏よりメールが入りました。曰く、
2016年8月27日午前11時9分 Re:前進座と「ベニスの商人」
 日高節夫様
 メール快調のご様子、よかったですね。
 最近の毎週一回、水泳の後、揉んでもらっているマッサージ師の29歳の若者が、何か言うと「良かったでーす」と返すものだから、私まで口癖が移って「そりゃあよかったね」というようになってしまいました。
 今年一年、「シェークスピア没後400年」になるとかで、何かとこの大劇作家のことをテーマにした出版が多いですね。
 あまり新発見はないようだが、それにしても、終戦直後、なぜあんなにシェークスピアブームが起こったのだろうね。
 君の母校の早稲田大学に演劇博物館があって、私も何度か展覧会を観に行って、その都度、裸の六代目尾上菊五郎の「鏡獅子」の試し彫りを見ました。あの演劇博物館は、エプロンステージ(舞台が、客席の中に、エプロンのように突き出ているから)も建物もイギリスのシェークスピアの時代のグローブ座を模して作ったと聞いています。

 シェークスピア全集は我が家にもあって、幸い戦災を免れたものだから、戦後、物のない頃、これと「主婦の友」の付録で、料理の作り方のグラフ雑誌を読みふけった。読めば読むほど、空腹を刺激して、ひどい逆効果であったことを思い出します。
 シェークスピア劇は、戦後すぐ、門司中学の講堂で、「ベニスの商人」を巡回演劇で見せられました。このとき、わたしは低学年でしたから、床の上に座って下手(舞台に向かって左側)の幕側で、背景代わりの情景幕がたくられているあたりの床上に胡坐をかいて観た記憶があります。だからシャイロック役の河原崎長十郎が、アントニオーの胸元をつかんで床に膝まづかせ、ナイフを振りかざして胸の肉を切り取ろうとするあのシーンを、すぐそばで見ました。その時のポーシャ姫がだれだったのか、ことによったら夫人の河原崎静枝だったか、その辺ははっきりしません。
 10年ほど前にまだ、国立劇場で、毎年、前進座の定期公演が行われていたころ、「ベニスの商人」と「歌舞伎十八番 鳴神」と二本立て公演がありました。門司中学時代が懐かしくて、半蔵門まで出かけました。河原崎長十郎はむろんのこと、路線の対立で盟友の中村翫右衛門も死んでしまった、それこそ二世、三世の時代です。
 そこで法廷の場だけでない、金銀鉛の箱を開けてポーシャ姫と結婚させる男を選ぶという、まるで歌劇「トーランドット」みたいなシーンもあることを思い出しました。この金銀鉛という箱は、ことによったら後年、オリンピックのメダルもこの芝居の原作からヒントを得て、鉛よりも変形しにくい銅にして、五輪メダルの金属にきめたのではないだろうかと、勝手に想像しているが、鉛が銅になったとは考えにくいね。
 まあそういうことで、門司中学の講堂で見た前進座がシェークスピア劇見物の筆下ろしでした。
 国立劇場の前進座「鳴神」はまた書きます。
 どうぞお元気で。 台風がまた迷走し始めています。ご尊家に被害が出ませんように…。 IN
 


 昨日は午後1時より馬道通りから雷門通りにかけてサンバカーニバルが催され、久し振りに見物に行こうと思っていましたが、出かける段になって急に雨が降り出し、テレビのJcomの実況放送で我慢しました。


 ウェブニュースより、


 第35回浅草サンバカーニバル 写真特集 ――  東京・浅草の夏の風物詩「浅草サンバカーニバル」が27日、東京都台東区の雷門周辺で行われた。あいにくの雨の中、華麗な衣装をまとったダンサーやきらびやかに装飾した山車がメイン通りに登場。打楽器隊の強烈なサンバのリズムに合わせ、ダンサーらが情熱的な踊りを披露した(20160827日) 【時事通信社】


 


プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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