瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 シェークスピアといえば、爺が小学6年生の時に使用した国定教科書「小学国語読本 尋常科用巻十二」に『リヤ王』という題で、小学生向けにハッピーエンドに変更されて掲載されていました。少し長くなりますが、国定教科書復刻版から転写しておきましょう。爺がこの教科書を用いたのは1943(昭和18)年の事でありますから、表記は旧(歴史的)仮名遣い、漢字も旧字体です。
 


リヤ王
       (一)
    リヤ王は、三人の娘、娘のむこ、重臣などを面前に呼んで言渡す。
リヤ王「予も大分高齢になったによって、以来めんだうな政治の事は若い者たちに任せ、身輕になって老後を送りたいと思ふ。そこで、今日は、我が王国を三分して、三人の娘たちに與へることとする。(臣下に)地図を持て。
 さて、娘ども。そなたたちの中で、誰が一番此のわしを大事に思つてくれるか、それを、そなたたちの口から聞きたい。其の上で、一番孝行の心ある者に、最大の恩恵を與へるであらう。先づ、姉のゴナリルから申せ。
ゴナリル「父上、私は口で申すことの出来ます以上に、父上を尊敬も致し、おいとしくも思ひます。此の世にある何よりも、どんな尊い寶よりも、いや、私自身の命よりも、父上を大切と存じます。この世に生まれたどんな孝行の子にもまして、眞心を父上に捧げます。
リヤ王「うむ。(地圖を指して)では、此の線から此の線までを、そなたに與へる。茂った森林、豊かな平野、魚に富む川、廣い牧場のある此の領域の領主と、そなたをするのだ。さて、二番娘のリガンは。
リガン「私の心持は、姉上と全く同じでございます。姉上は、私の思ってゐる通りをおつしゃいました。たゞほんの少しおつしやり足らぬところが違ひますだけで、私は、あらゆる幸福、一切の楽しみを犠牲にしましても、父上お一人にお仕へ申すのを仕合はせと存じます。
リヤ王「では、これがそなたの領地ぢや。廣さにおいても、値うちにおいても、決して姉のに劣りはせぬぞ。さあ、いとしい末のコーデリヤは何とだ。
コーデリヤ「あゝ、何と申し上げたものか、口先だけでは実行の伴なはない事は、私には申し上げられない。父上、私にはなんにも申し上げることがございませぬ。
リヤ王「なんにも。
コーデリヤ「はい。
リヤ王「なんにもない所からは、なんにも生まれぬぞ。改めて申せ。
コーデリヤ「私は、此の心にあることを口に出して言へないのでございます。私は、あなたを父上として大切に致すつもりでございます。
リヤ王「コーデリヤ、言方をつくろはぬと、身のためにならぬぞ。
コーデリヤ「父上のお言附けをまもります。子としての勤もいたします。
リヤ王「あいきやうのない言葉ぢゃ。たつたそれだけか。
コーデリヤ「………
リヤ王「それは本心で言ふのか。
コーデリヤ「はい。眞實でございます。眞實よりほかに、私は何もございませぬ。
リヤ王「勝手にしろ。其の眞實だけを持参金にして、どこへでも嫁入るがよい。残りの三分の一は、改めて長女と次女とにわけ與へる。
重臣「あ、もうし、それはあんまりではございませぬか。
リヤ王「弓は引きしぼつてある。矢先を避けろ。
重臣「私は謹んで申し上げます。末姫様は、決して御不孝なお方ではございませぬ。若し私の此の判断があやまつてをりますなら、どうぞ私の首をお召くださいませ。
リヤ王「いや、くどい、くどい、もう言ふな。さて、かう領地を二分して二人の娘に與へるからには、予は今後百人だけの家来をつれ、月代りに姉娘・妹娘の許へ参って、餘生を送ることにする。
(フランス王に)大王、末娘とのかねての婚約、あなたはそれをお果しになるおつもりか。御覧の通り、一切持参金なしの乞食同然、如何やうになされようと、あなた次第でござるが――。
フランス王「私は持参金と婚約は致しませぬ。コーデリヤどのの尊い眞實を寶に、どこまでも妃と致します。
リヤ王「よいやうになされ。娘は勘当でござるぞ。
フランス王「承知いたしました。
       (二)
     リヤ王、家来たちと狩から帰る。ゴナリルの召使に、
リヤ王「少しも待てぬ。早速食事の支度をしろと言へ。いや、もうすつかり疲れた。食事だ、食事だ。
     ゴナリル、むづかしさうな顔をして出て来る。
 どうしたのだ、娘。なぜ額に八の字を作つてゐる。近頃は、むづかしい顔ばかり見せるなう。
ゴナリル「どうも、無作法千萬なお附きの家来たちが、しよつちゅうのゝしり合つて、私の宅はまるではたご屋同然でございます。それも、きっと父上に取りしまつて頂かうと存じますのに、どうやら父上がしり押しをなすっていらつしやるやうに思はれてなりませぬ。私がとりしまりをすることになりまして、自然父上のごきげんを損ねるやうなことになるかと存じます。
リヤ王「それで、お前さんはわしの娘か。
ゴナリル「もし、そんな皮肉はごめんかうむります。父上は御高齢でいらつしやるから、御賢明でなくてはなりませぬ。父上、さつきも申しました通り、毎朝毎晩、お附きの百人の大騒ぎ、これには私もほとほと閉口致します。今日限り五十人にへらすことに、御同意を願ひます。
リヤ王「おのれ、よくも申したな。予の馬に鞍を置け。家来ども、集まれ。道知らずの恩知らずめ。もう厄介にならぬわい。わしには、まだもう一人の娘がある。あゝ、あゝ、後悔先に立たず、飼い犬に手をかまれた方がまだましぢや。
ゴナリル「どうなりともお好きなやうになさいませ。
       (三)
     リガンの家の門前で、召使に、
リヤ王「なに、御病気でお目にかゝれぬと。病気なら、父が病床へお見舞い申すと言へ。
     リガン出て来る。
 おゝ、来た。さうあるべきぢや。娘よ、姉めはひどい女ぢやぞ。不孝者の爪で、わしの心をかきむしりをつた。
リガン「父上、あなたには、姉上の眞心がよくおわかりにならないのだと存じます。
リヤ王「なんと。
リガン「私には、姉上が少しでもお勤をお怠りにならうとは思はれませぬ。あなたのお附きの者の亂暴に對して、或はお小言が出たかもしれませぬが。
リヤ王「わしの家来を五十人にへらしをつた。
リガン「五十人で結構ぢやございませぬか。おとなしく、姉上の所へお歸りあそばせ。
リヤ王「いや歸らぬ。決して歸らぬ。今日から、そなたの所で世話にならう。
リガン「私の所では、五十人の半分の二十五人にして頂きたうございます。それに、姉上の所へいらつしやつてからやつと二週間、私の方には、まだお迎え申す準備がしてございませぬ。
リヤ王「これや、不孝者のうは手ぢや。おゝ、神々もご照覧あれ、年も積もり、悲しみも積つて、見るかげもなくなった此の老いの果を、おのれ、不孝者め、今に世界中がひつくり返らないでゐるものか。
     外は次第に暴風、雷雨。
 出て行かう。あらしだ。あらしよ、吹け。雨よ、瀧つ瀬と降れ。雷よ、天地をつんざけ。
       (四)
     リヤ王が姉たちにぎゃく待されてゐることを探知したコーデリヤは、フランス王に従い、老父王のために軍勢を率ゐて英国に渡つた。ひどいあらしの翌朝、発狂した老人が荒野にさまよつてゐるのをフランス兵が発見して陣所に伴なひ、侍醫が手を盡して介抱する。それがリヤ王であった。
侍醫「いかが致しませうか。もう大分長くお休みになってをります。
コーデリヤ「萬事おためによいやうに取りはからつておくれ。
     王に近寄って、寝顔を眺め、
 おゝ、おとう様。私の力、侍醫の力、ありとあらゆる薬物の力で、姉上たちからお受けになったお心の痛みが、すつかり取れますやうに。たとへ、あなたがおとう様でないにもせよ、此の白い髪やおひげを見ては、御気の毒だと思はねばならないはずだのに、まあ、此のお顔を荒狂ふあのあらしにおさらしになつたとは。あのはためく雷に、すさまじい雨に。
     リヤ王、目を開く。
リヤ王「墓場から、わしを連出すとはあんまりぢや。はて、あなたは、天人ぢやな。
コーデリヤ「私を御存じございませぬか。
リヤ王「かうつと、わしは、いままでどこにゐたのかな。こゝはどこぢや。や、日がさす。手をつねると痛い。
コーデリヤ「私を、ようく御覧下さいませ。
リヤ王「どうか、なぶつてくださるな。わしは、ばかな、たはけた老人でござる。はて、お前さんは、どうやら見覺えのある方のやうだが、はつきりせぬ。笑つて下さるな、どうもわしの末娘コーデリヤのやうに思へてならぬ。
コーデリヤ「其のコーデリヤでございます。コーデリヤでございます。
リヤ王「涙を流して泣いて下さるのか。おゝ涙ぢや。お前さんは、わしをうらんでゐるはずだが。
コーデリヤ「なんでうらむわけがございませう。なんでうらむわけがございませう。
リヤ王「わしはフランスへ来てゐるのか。
侍醫「いや、御本國にいらせられます。
リヤ王「えい、だますな。
コーデリヤ「まだお心の亂れがお直りになってゐない。
     と歎息する。
侍醫「其の點はお心強く思し召しあそばしませ。激しい御亂心は、もうをさまりました。御后様には、奥へいらつしやつて、しばらくお會ひならぬ方がよろしうございます。こゝ二三日で、きつと御本復になりますから。


 


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