瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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ウェブニュースより
 土俵彩る業師=宇良、好調の序盤戦-大相撲名古屋場所 ―― 小さな業師が館内を連日沸かせている。東前頭4枚目まで番付を上げた宇良が、この日も鋭い勝負勘を見せた。
 頭を下げて潜り込もうとするが、顔面を何発も突かれて徳俵に後退。しかし、距離が開いた次の瞬間、栃ノ心が右足を前に出したところを逃さなかった。「うまく入れてよかった」。素早く右膝にしがみつき、足取りで土俵外へ追いやった。

 関学大時代から居反りなどの珍手で注目されたが、プロ入り後は考えを変えた。「作戦を練ってやっていくより、自分の力で攻め切れる相撲を取りたい」。簡単に力負けしないようにと力を磨き続けている。
 174センチ、137キロの小さな体でレスリング仕込みの相撲。八角理事長(元横綱北勝海)は過去の小兵力士を思い浮かべても「記憶にない」と言い、「勝負度胸もある」と高く評価。「慣れてしまえばいいけれど、稽古場でもやっていないだろうから」と取りづらさを想像した。
 鶴竜と遠藤が休場したため、横綱とも対戦する可能性が出てきた。「経験を重ねながらやっていきたい」。上位戦でも土俵に彩りを添えるか。  (JIJI.COM 2017/07/13-21:33)
https://www.youtube.com/watch?v=wIzJZwyOwfo
 


御嶽、玉鷲に相性抜群も「(玉鷲が)やりにくいだけ」/名古屋場所 ――大相撲名古屋場所5日目(13日、愛知県体育館)注目の関脇対決は御嶽海が玉鷲との相性の良さを発揮。対戦成績を8戦全勝とした。

 右喉輪を受けて押し込まれたが何とか持ちこたえ、右をのぞかせるとスピードを生かして走るようにして押し出した。難敵をお得意様にしているが「(玉鷲が)やりにくいだけで、僕はやりやすさは感じてないですよ」と涼しい表情だった。
 玉鷲は詰めの部分で強引に攻めて墓穴を掘った。「腰が高かった」と悔やんだ。

 「藤井四段人気」の正しい活用法とは ―― 将棋の最年少プロ棋士・藤井聡太四段(14)が11日、大阪市の関西将棋会館で指された「加古川青流戦トーナメント」3回戦で都成竜馬四段(27)を破り、ベスト8に進出した。この日も約40人の報道陣が詰めかけ、藤井フィーバーに陰りのない様子をうかがわせたが、経済効果研究で知られる関西大学の宮本勝浩名誉教授(72)は、これほどの活躍をみせても経済効果はそれほどではないと指摘。その上で「これだけの金の卵をうまく使って、好循環をもたらしてほしい」と提言。将棋界の発展と棋士のステータス向上を訴えた。

 藤井四段は2日に行われた竜王戦決勝トーナメント2回戦で佐々木勇気五段(22)に敗れて、デビュー以来の連勝記録が「29」でストップしたが、6日の名人戦・順位戦C級2組で中田功七段(49)に勝利してプロ通算30勝目。この日、対都成戦は3戦全勝となる白星で31勝目を挙げた。
 先手の都成四段が得意とする中飛車の展開に、関係者も「都成の勝ちの目も十分あった」。藤井四段は、そんなどちらに転ぶか分からない対局を130手で制した。終了後は「序盤から難しい将棋でした。最後はなんとか」とホッとした様子。再び連勝開始となったが「う~ん、はい、それは…」と多くを語ることはなかった。
 19日に誕生日を迎えるため、14歳最後の対局となったが「内容に関しては精査してみないと分からないが、結果勝てたのは良かった。1年前は3段リーグにいたが、周りの環境なども含めいろいろ変わった。自分でも成長できた1年だったのかなと思います。次の1年も強くなるように頑張りたい」と話した。
 淡々と振り返る藤井四段だが、やってのけてきたことは規格外。中学2年で史上最年少プロデビューというだけでも十分衝撃的なのに、デビュー後は無傷の29連勝で歴代最多連勝記録まで達成した。その活躍は、将棋のコンピューターソフト不正使用疑惑をめぐる騒動で、暗いイメージが覆いかぶさっていた将棋界に光を与えた。
 だが、これほどの活躍をみせても経済効果はそれほどではないというから意外だ。関西大学の宮本教授は「人気は先走っているが、ビジネスとしては成り立っていない。藤井四段の活躍ぶりを考えると、試算するのが申し訳ないくらい」と冷静に指摘する。
 「例えば、清宮幸太郎君(18=早実)が甲子園に出ると、何万人が移動、食事、グッズを購入し、1試合で4億円くらい動く。同様に先日、上野(動物園)のパンダが誕生しましたが、約270億円と試算しました。一方、将棋はお金を使うところが少ない。いくら、扇子やおもちゃが売れたり、将棋教室に通う子供が増えてるといっても、他の勝負事と比べると(規模が)小さい」
 その上で、宮本教授は藤井四段のCM出演や講演会の開催、一流ホテルでの将棋のパーティー開催など様々な具体例を提案し「真剣勝負、金儲けやない、もっと清潔なもんやと言われるかもしれない。でもね、これだけの金の卵がある。うまく使って将棋界の収入が増えれば、他の棋士の年収も高まる。そうなれば、子供の夢も膨らんで裾野も広がる。そんな好循環をもたらすような対応をしていただきたいですね」と連盟にハッパをかけた。
 当の藤井四段は将棋漬けの夏休みとなりそうだ。藤井四段が通う名古屋大学教育学部付属中学校によると「夏休みは21日から8月いっぱいまで」とのこと。早速、21日にも東京・将棋会館で行われる上州YAMADAチャレンジ杯の準々決勝に臨む。続いて24日には、第89期棋聖戦1次予選で西川慶二七段(55)と対戦。勝てば連戦で阪口悟五段(38)と対戦する。さらに、27にちには27日には平藤眞吾七段(53)との銀河戦も控えている。
 まさに、将棋漬けの日々だが、負けないのだから仕方のないこと。連盟関係者も「学業に支障をきたさないためにも、夏休みは多くの対局が組まれそうです」と話す。
 それでも、藤井四段は「実力をつけることが必要。実力向上すベく頑張りたい」と常々話しているだけに「将棋漬けドンと来い」なのかもしれない。中身の濃い夏休みとなりそうだ。 〔東スポWeb 2017713 1630 (2017713 1711分 更新)


ウェブニュースより
 藤井四段、名古屋場所観戦で白鵬と対面「横綱のように堂々とした将棋を指せるようになりたい」 ――  将棋の史上最年少棋士・中学3年生の藤井聡太四段(14)が12日、愛知県体育館で開催中の大相撲名古屋場所4日目を観戦した。
 学校を終えて学生服姿で師匠の杉本昌隆七段(48)とともに幕内の取組を観戦。時の人の来場に観客は土俵そっちのけで大騒ぎとなった。スマホで記念撮影に興じ「生きてて良かった~」と感激する声まであがった。
 取組後は通算最多1047勝にあと7勝とした横綱・白鵬(32)=宮城野=と対面。「かわいいね」と声をかけられた藤井四段は「実際にお会いして、自分も横綱のように堂々とした将棋を指せるようになりたいです」と角界の第一人者から感化された様子だった。

 藤井四段から「志心達」としたためた扇子を贈られた白鵬は「弟分ができたよ。ゼロから挑戦して自分の記録を乗り越えて欲しい」と日本中を沸かせた将棋の連勝記録29への再チャレンジを期待していた。  (2017年7月12日 22時30分 スポーツ報知)

 石浦、鮮やかな下手投げで千代大龍を破り2勝2敗 ―― ◆大相撲名古屋場所4日目 ○石浦(下手投げ)千代大龍●(12日・愛知県体育館)
 西前頭8枚目・石浦(27)=宮城野=が、東前頭10枚目・千代大龍(28)=九重=と対戦した。

 石浦は立ち合いから頭をつけ、もろ差しとすると、下手投げで大きな千代大龍をころりと土俵に仰向けに転がした。「小よく大を制す」の相撲に、館内からは大歓声が起こった。  (2017年7月12日 18時10分 スポーツ報知)

 宇良、阿武咲を押し出して3勝1敗 きわどい相撲に館内騒然 ―― ◆大相撲名古屋場所4日目 ○宇良(押し出し)阿武咲●(12日・愛知県体育館)
 東前頭4枚目・宇良(25)=木瀬=が、西前頭6枚目・阿武咲(21)=阿武松=と対戦した。


 宇良が阿武咲を押し出したが、土俵際のきわどい相撲に館内がざわついた。
 宇良に土俵際まで押された阿武咲は、うっちゃり気味に右にさばき、宇良が土俵の外に手を突いたかに見えたが、行事軍配は宇良。物言いもつかず館内はザワザワとしたが、踏み込んだ阿武咲の足が先に土俵の外に出ていた。

 宇良は3勝1敗、阿武咲はこの場所初黒星で3勝1敗となった。  (2017712 1725分 スポーツ報知)
https://www.youtube.com/watch?v=LQmn0ihIi4E


ウェブニュースより
 藤井四段、通算31勝目 玉を四段目まで進める展開に解説者が驚愕 「ゴールキーパーが前で戦うようなもの」 ―― 将棋界の最多連勝記録を30年ぶりに塗り替えた最年少棋士、藤井聡太四段(14)は11日、大阪市福島区の関西将棋会館で行われた若手棋士らが参加する加古川青流戦トーナメント3回戦で都成(となり)竜馬四段(27)を破り、ベスト8に進出した。30連勝がかかった7月2日の対局に敗れ、記録はストップしたが、その後は仕切り直して2連勝。19日には15歳の誕生日を控え、「ゴールキーパーが前に出て戦うようなもの」とベテラン棋士もうならせる豊かな発想の将棋で、14歳最後の公式対局を白星で飾った。
 3度目となった都成四段との対戦は、持ち時間各1時間の早指し戦。藤井四段は白色と紺色のレジメンタルタイを締めた紺色のスーツ姿に、トレードマークの空色のリュックサックを携え先に入室。静かに対局の時を待った。

 前回の対局に続き中飛車の戦型を選んだ都成四段に対し、後手番の藤井四段は、居飛車で応じたが中盤、5筋に飛車を振って対抗。その後、玉を四段目まで進める展開となり、インターネット中継で解説をしていた勝又清和六段と藤森哲也五段が「ゴールキーパーが前に出ているようなもの」と驚きの声を上げて戦局を見守った。その後も形勢が入れ替わる難しい局面が続いたが、持ち前の終盤力を発揮し、130手で都成四段を下した。
 藤井四段は終局後、3度目となった都成四段との対局に「自分としては意識せず臨んだ」と平常心を強調。ベスト8進出については「まだ道のりは遠く強敵との対局が続く。これからも一局一局気を引き締めて指していきたい」と話した。
 19日が15歳の誕生日で、14歳最後の公式戦を白星で飾り、「周りの環境も含めていろいろと変わり、成長できた一年になった。次の年はより強くなれるよう頑張りたい」と話した。
 一方、3連敗を喫した都成四段は終局後、「指し進めるうちに模様が良くなり、若干指しやすい感じになった。6一銀と(敵陣へ)踏み込んだ時には勝てると思った」と話し、悔しさをにじませた。藤井四段の“ホーム”である愛知県で8月5日に開かれる将棋イベントでは、公開対局を控えており、「藤井ファンが多いだろうが、自分としてはあわよくば一泡吹かせたい」と雪辱を誓った。
 藤井四段は昨年12月のデビュー戦から勝ち続け、6月26日には新記録の29連勝を達成。7月2日の対局で敗れたが、その後、2連勝している。次回は21日、上州YAMADAチャレンジ杯で三枚堂達也四段(23)-梶浦宏孝四段(22)の勝者と対戦する。   (産経WEST 2017.7.11 19:13)
https://www.youtube.com/watch?v=KA9dgRvu2vs

※上州YAMADAチャレンジ杯とは
 出場条件:五段以下でプロ入り15年以下の棋士、アマチュア選抜1名
 棋戦予定 :5月下旬開幕
 ベスト4は8月27日(日)に「LABI1高崎」で準決勝・決勝
 持ち時間:20分(チェスクロック使用) 切れたら一手30


 


ウェブニュースより
 宇良が2連勝 「いいとも悪いともいえない」/名古屋場所 ―― 大相撲名古屋場所2日目(10日、愛知県体育館)人気の宇良は新入幕だった3月の春場所以来、2度目の対戦となった千代翔馬を押し出し、初日から2連勝とした。

 「きょうも緊張した」と言いながらも、相手が引いたところを一気の押しで圧倒。心身ともに充実しているようだが、「まだ2日目。15日間をトータルで考えないと、いいとも悪いともいえない」と気の緩みはまったくなかった。  (2017年7月10日 20時46分 サンケイスポーツ)https://www.youtube.com/watch?v=-Zcbi3svsxc
 大相撲名古屋場所 新関脇の御嶽海、連日の力強さ ―― 大相撲名古屋場所2日目の10日、初日に横綱・稀勢の里を破った新関脇の御嶽海は、連日の力強い相撲だった。前日、大関・高安に勝った北勝富士の右のど輪を苦にしない。両ハズで攻めて前に出ると、最後は右手一本で土俵の外に押し込んだ。「最後は体が流れた。腰を割って、相手を正面に置いて逃さないようにしたい」と、会心の取り口にも反省を忘れない。

 小結で2場所連続で勝ち越し、関脇に駆け上がった新鋭。場所前には出稽古(げいこ)にも精力的に取り組んだ。愛知の隣県、長野の出身で館内の応援も大きく「気合が一層入ります」。  〔毎日新聞2017年7月10日 20時57分(最終更新 7月10日 21時15分)〕

 将棋・藤井聡太四段、都成竜馬四段とプロ3度目の対局 7月11日にAbemaTVで生中継 ―― 歴代最多記録の29連勝を樹立した将棋の中学生棋士・藤井聡太四段(14)が7月11日、加古川青流戦で都成竜馬四段(27)との対局に臨む。

 藤井四段は昨年12月のデビュー戦から30勝1敗という圧倒的な成績を収めているが、このうち5人から2勝を挙げている。そのうちの1人が都成四段だ。初対決は6月7日の上州YAMADAチャレンジ杯、2戦目は6月10日の叡王戦段位別予選。わずか4日の間に2勝して以来、約1カ月ぶりの対戦だ。7月2日の佐々木勇気五段(22)戦に敗れ、連勝が止まったものの、6日の中田功七段(49)には終盤で逆転。やはり実力は本物だけに、再び連勝記録を作るのでは、という声もある。
 都成四段にとっても、負けられない一局だ。2敗を喫した後、AbemaTV(アベマTV)での対談企画に出演すると「藤井さんがいくら強いといっても、もっとやれただろうという気持ちもあったので、余計に悔しかった」と、リベンジに燃えていた。早々に訪れた絶好機だけに、三度目の正直で先輩棋士の維持を見せたいところだ。
 対局は午後2時から開始で、持ち時間は各1時間の早指し戦。AbemaTVでは、この対局を無料で完全生中継する。放送は午後130分から。    (Abema TIMES 2017.07.10 17:07


ブニュースより
 宇良「勝てたら何でもいい」遠藤破り白星発進 ―― <大相撲名古屋場所>◇初日◇9日◇愛知県体育館
 幕内3場所目にして自己最高位の前頭4枚目となった宇良(25=木瀬)が白星発進した。

 人気者同士で注目の集まった遠藤との一番で送り出し。上体を起こそうとする相手に対し、持ち前の低い攻めを貫いた。前に出続ける取り口について問われて「いや別に。勝てたら何でもいいです」。今場所は三役との初対戦も確実。11勝4敗と躍進した先場所同様、今場所も宇良旋風が吹き荒れそうだ。  [日刊スポーツ 2017年7月9日21時11分]
https://www.youtube.com/watch?v=GiJ3SiChIe0
 名古屋場所初日 2横綱3大関に土 波乱の幕開け ―― 大相撲名古屋場所は名古屋市の愛知県体育館で初日を迎え、けがからの復活を目指す稀勢の里と日馬富士の2人の横綱に加え、新大関の高安など3人の大関が敗れる波乱の幕開けとなりました。
 中入り後の主な勝敗です。

 新大関の高安に北勝富士の初顔合わせの一番は、北勝富士が押し倒しで勝ちました。高安は新大関の初日を白星で飾ることはできませんでした。北勝富士は「『当たって砕けろ』という気持ちで肩の力が抜けて相撲を取れたのがよかった。大関が慌ててくれたのが勝因だと思う。中に入ることができた。これで勢いに乗って行ければいい」と話していました。
 敗れた高安は、「新大関の緊張感があったのか」という問いにも、目を閉じて何も話さず会場をあとにしました。
 栃ノ心に大関の豪栄道は、栃ノ心がすくい投げ。
 初顔合わせとなった大関・照ノ富士に貴景勝の一番は、貴景勝が押し出しで勝ちました。初日に3人の大関全員に土がつきました。
 正代に横綱・鶴竜は、鶴竜が送り出し。
 横綱・稀勢の里に新関脇の御嶽海は、御嶽海が寄り切りで勝ちました。稀勢の里は得意の左を差すことができず、夏場所に続いて2場所連続で初日に敗れました。御嶽海は「素直にうれしいです。差されたら自分の相撲を取れないので、差されないようにというイメージどおりの相撲でした。最高のスタートをきれたので乗っていきたいです」と話しました。一方、敗れた稀勢の里は記者の質問に終始無言でした。
 嘉風に横綱・日馬富士は、嘉風が寄り切りで勝ちました。嘉風は、夏場所の稀勢の里に続いて、今場所は日馬富士に勝ち、2場所連続で初日に横綱を破りました。
 嘉風は「土俵に上がってからほどよい緊張感を持って相撲が取れた。説明は難しいけど心地いい感覚で、これがあるから相撲はやめられない」と上機嫌で話しました。そのうえで、九州北部の記録的な豪雨で大きな被害が出ている地元の大分を気遣いながら「被害の大きさをテレビで見ると余計に自分らしい相撲を見せたいと思う。きょうはそれができてよかった」と話していました。
 横綱・白鵬に琴奨菊は、白鵬が小手投げで勝ちました。白鵬は通算の勝ち星を1037勝に伸ばしました。 (NHK NEWS WEB 7月9日 22時21分)
https://www.youtube.com/watch?v=eG-8uLUNfCo
https://www.youtube.com/watch?v=DNT85q5OljE
https://www.youtube.com/watch?v=Jqe5WxVEh9M



 昨日・今日と浅草寺の境内では「ほおずき市」が開かれています。
 ほおずきは、ナス科の多年草で、夏に黄白色の花が咲きます。その後、萼(がく)が大きくなって橙赤色に熟します。根は漢方で鎮咳薬や利尿薬とされます。ぬかずき・かがちともいいます。パソコンの語源由来辞典によると
【ほおずきの語源・由来】
 ほおずきの歴史的仮名遣いは「ほほづき」で、語源は以下の通り諸説ある。/1.実が人の頬の紅色に似ていることから、「顔つき」や「目つき」などと同じ用法で「頬つき」からとする説。/2.果実から種子だけを取り除き、皮だけにしたものを口に入れて膨らまして鳴らす遊びがあることから、「ほほつき(頬突き)」からとする説。/3.「ホホ」というカメムシ類の虫がこの植物に集まってくることから、ホホがつく意味とする説。/4.実が火のように赤いことから、「ほほつき(火火着)」からとする説。/5.ほおずきの方言は、全国的に「ふづき」が多いことから、陰暦七月の「ふづき・ふみづき(文月)」が「ほおずき(ほほづき)」になったとする説。
 上記の説の中で、人の顔に見立てたとする「1」の説が有力である。/その理由として、ほおずきの別名には「ぬかづき(ぬかずき)」や「かがち・あかがち(輝血)」があり、「ぬかづき」の「ぬか」は「額(ひたい)」のこと、「かがち・あかがち」を「輝血」と書くのは当て字で、「赤がち(「がち」は「病気がち」などと同じ「がち」)」を意味しており、顔に見立てている点や、「つき」と「がち」の用い方が似ているためである。/また、「2」の説は「頬突き」という意味が不明で、ほおずきは虫がつくことよりも色や膨らみが特徴的なので「3」の説も考え難い。/「5」の説にある「ふづき」の名は、東京浅草の浅草寺境内で四万六千日の縁日(7月9・10日)にホオズキを売る市「ほおずき市」が開かれることから呼ばれるようになったものである。/ほおずきの漢字には「酸漿」と「鬼灯」があり、「酸漿(さんしょう)」は漢方などで用いる漢字で、「鬼灯」は実が赤く怪しげな提灯の印象からである。/英名には「ground cherry」のほか、「提灯」を意味する「Chinese lantern」もあり、「鬼灯」の漢字に通じる命名である。
とあります。

 浅草寺がお祀りしている観音菩薩の縁日は、毎月18日です。このご縁日に加えて室町時代末期頃から「神仏からのめぐみやよい報いは、その日に参拝するとより多く与えられ、百日や千日などに相当する」という特別な日「功徳日(くどくび)」が設けられるようになりました。「功徳日」はそれぞれの寺社により異なりますが、浅草寺では毎月の功徳日があります。中でも7月10日は最も大きな功徳が得られる日とされ、その恵みを日数に換算すると、なんと、四万六千日分に相当します。その昔、ほおずきには病気を治すとの民間信仰があり、境内にほおずき市が立つとそれを求める人々で賑いました。普段より功徳を多く得られる四万六千日にほおずきを得られれば、神仏のめぐみにより病気が治りご利益も得られると考えられ、毎年この功徳日には約100軒のほおずき露店が軒を連ね、全国より訪れる多くの参拝客で大いににぎわいます。

 おずき市は200年近く昔の明和年中に起こったと云われ、山東京伝の「蜘蛛の糸巻」によると、芝青松寺の門前ら武家屋敷に奉公してていた仲間(ちゅうげん)が、6月23日の朝、庭を掃除中に一株の千成りほおずきを発見し、前夜愛宕権現の霊夢にあずかったことを思いだし、「6月24日の功徳日に青ほおずきの実を、愛宕の神前で鵜呑みにすれば、大人は癪の種(腹の立つ原因)を切り、子供は虫の気を封ずる。」と云うお告げがあったと吹聴した所、これを早速翌24日に試みる人があり、不思議と効能があった為、いつしか境内に御夢想の虫薬と称して、青ほおずきの市が立つようになったと云われています。

 この624日は愛宕権現の本地仏「地蔵様」のご縁日で、しかも四万六千日の縁日と呼ばれていました。だが元来、四万六千日は観音様の功徳日であった所からいつしか浅草にもほおずきの市が立つようになり、かえって愛宕をしのぎ盛大になったわけであります。因みに青ほおずきは漢方では、解熱剤や婦人の胎熱に特効があるとして、江戸時代に薬用として用いられて来ましたので、満更いわれのない事ではない様であります。

 


 今日から名古屋場所が始まります。今場所は、次の4力士に注目してみたいと思います。
大関:高安
 大相撲の新大関高安(27=田子ノ浦)が7日、名古屋場所(9日初日、愛知県体育館)での初優勝に意欲を見せた。長久手市内にある同部屋宿舎での朝稽古後「大関として力強い相撲を見せたい。やはり全部勝って優勝すること。それが僕の掲げていることですから」と語った。
 この日の取組編成会議で初日の相手は西前頭2枚目の北勝富士、2日目は東前頭3枚目の勢に決まった。北勝富士は初顔合わせで「きっぷのいい、やりがいのあるお相撲さん。気は抜けないです。でも、肩の力は抜いて、堂々とやります。全力でいかせてもらいます」と言い、表情を引き締めた。

関脇:御嶽海
 大相撲の御嶽海(23=出羽海)が、新関脇の自覚を強く持った。名古屋場所(7月9日初日、愛知県体育館)へ向けて29日、愛知・扶桑町の境川部屋へ、番付発表後初めて出稽古を行い、大関豪栄道と11番相撲を取った。わずか1勝だったが、出稽古自体に重きを置いた。昨年の同時期の出稽古は数回。稽古不足を指摘されることもあった男が、今日30日以降も他の部屋の力士と稽古を積むことを決めた。
 御嶽海は落ち込んだ表情を見せなかった。むしろ、手応えをつかんだ表情だった。平幕に返り咲いた佐田の海らと、13番取って5勝8敗。その後、お目当てだった豪栄道とは11番取って1勝。自身最高位の船出としては、落ち込んでもおかしくない結果。しかし「いい稽古が出来ました」と充実感たっぷりで話した。
 長野県から33年春の高登以来84年ぶりの新関脇になった。「関脇になったことでちょっと意識を変えようと思った。部屋の一門のトップの豪栄道関の所に行きたいと思った」と強い気持ちが芽生え、出稽古を敢行。すぐにバテた自分に比べて、最後まで力強かった大関に「体力めっちゃあるなと思った。まだまだ上がいるんだなと思った」と実感した。行動に移した出稽古の収穫はすぐにあった。
 去年の名古屋場所前の出稽古は「1、2回ぐらい」と少なかった。これまで参加した巡業では、親方衆から稽古量の少なさに苦言を呈されたこともあった。この日胸を合わせた豪栄道も「場所相撲だから参考にならん」と話し、場所の本土俵で、稽古場では見せないような力強い相撲を取る姿に注文を付けた。しかし御嶽海は「出羽海部屋のトップの自覚をもってやっていきたい」と言い切った。今日30日も境川部屋に出稽古する。来週は自分の部屋に、境川部屋の関取衆を迎えて胸を合わせる。実力者と稽古を積むことで、自信と強さを作り上げる覚悟を持った。

前頭筆頭:貴景勝
 大相撲名古屋場所(7月9日初日、愛知県体育館)に初めて幕内上位で臨む西前頭筆頭の貴景勝(20=貴乃花部屋)が1日、車で約1時間をかけて阿武松部屋に足を運び、出稽古で汗を流した。
 阿武松部屋への出稽古は、番付発表後の稽古始めとなった27日から、これで5日連続。やはり押し相撲を身上とし、同学年で中学時代からライバル関係にある、同6枚目の阿武咲(20)と連日、熱のこもった三番稽古を行ってきた。この日は、やや番数は減ったが23番を消化。これまでは五分以上の数字を残してきたが、この日は9勝14敗と負け越して終了した。
 三番稽古の合間に、阿武松親方(元関脇益荒雄)から「筆頭だぞ!」「横綱、大関と当たるんだぞ!」「さあ三役だ、関脇だぞ!」と叱咤(しった)激励の声が飛ぶ中、ビッショリと汗を流した貴景勝は「いい稽古が出来ています。横綱、大関戦は顔じゃない(分相応ではない、の意味)けど気負わず、自分の力を出し切るだけです」と約1週間後に迫った初日を見据えた。一方の阿武咲も「場所に向けて反応も良くなって、気持ちも高ぶってます」と入幕2場所目に向け、気合を入れた。

前頭四枚目:宇良
 名古屋場所(9日初日、愛知県体育館)前夜祭が6日、名古屋市内のCBCホールで行われ、朝日山親方(元関脇琴錦)式秀親方(元前頭北桜)友綱親方(元関脇旭天鵬)が大胆な優勝予想を披露した。
 場内を最も沸かせたのは朝日山親方で、幕内3場所目で最高位の東前頭4枚目となる「宇良」。「まあ、ありえないとは思いますが…」と笑って前置きした上で、低く素早い立ち合いの取り口を引き合いを例に出し「ああいう相撲は、上位陣には絶対イヤですよ。しかも絶対に負けられない相手だから、慎重になる。すると宇良の思うつぼでしょ?」。スピードを生かして史上ただ1人、2度の平幕優勝を成し遂げた経験を踏まえて持論を展開した。
 「小兵の業師」として注目を集める宇良が、7月9日に初日を迎える大相撲名古屋場所(愛知県体育館)の土俵に、自己最高位の東前頭4枚目で立つ。大きく勝ち越せば新三役も視野に入ってくる地位。星を伸ばせば初めての横綱、大関戦が組まれる可能性もある。29日は岐阜県羽島市の木瀬部屋で調整。相撲は取らず土俵の外で軽く体を動かした。「まず勝ち越しを目指す、と言える地位ではなくなってきている。怖いですね」と本場所へ緊張感を漂わせた。
  順調に番付を上げてきた。デビューからの14場所で負け越したのは、十両だった昨年の秋場所だけ。幕内での最近2場所も連続で勝ち越した。関学大時代に得意とした奇手の「居反り」によって高まった人気が先行しているわけではない。
 今場所後に三役昇進を決めれば所要15場所。年6場所制が定着した昭和33年以降では小錦、朝青龍、琴欧洲の14場所に次ぐ史上4位の速さ(幕下付け出しをのぞく)という快挙になる。16場所の武蔵丸、栃東、17場所の旭富士、正代と、そうそうたる力士たちの記録も抜くことにもなる。
 プロ入り後は一貫して正攻法を追求してきた。押し相撲にこだわって体を大きくしようと、新弟子検査時に113キロだった体重を137キロまで増やした。11勝を挙げた先場所は押し出しの決まり手が最も多く、5番を数えている。
 関取になる前から異例ともいえる大歓声を背負って戦い、重圧をはねのけて結果を残してきた。本人は「精いっぱい集中して相撲を取っているだけ」と多くを語ろうとはしないが、地道な努力と徹底した対戦相手の研究を積み重ねてきたからこそ、いまがある。
 手ごわい力士との対戦が待ち受ける今場所。持てる力を発揮し、一気に番付を駆け上がることができるか。25歳は「気負わずやりたい」と平常心で臨む。


 昨日は七夕でした。七夕について調べてみました。
 織女と牽牛の伝説は『文選』の中の漢の時代に編纂された「古詩十九首」が文献として初出とされていますが、まだ7月7日との関わりは明らかではてりません。

 『西京雑記』には、前漢の采女が七月七日に七針に糸を通すという乞巧奠の風習が記されているが、織女については記されていません。その後、南北朝時代の『荊楚歳時記』には7月7日、牽牛と織姫が会合する夜であると明記され、さらに夜に婦人たちが7本の針の穴に美しい彩りの糸を通し、捧げ物を庭に並べて針仕事の上達を祈ったと書かれており、7月7日に行われた乞巧奠(きこうでん)と織女・牽牛伝説が関連づけられていることがはっきりと分かります。

 また六朝・梁代の殷芸(いんうん)が著した『小説』には、
「天の河の東に織女有り、天帝の子なり。年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す」(「天河之東有織女 天帝之女也 年年机杼勞役 織成云錦天衣 天帝怜其獨處 許嫁河西牽牛郎 嫁後遂廢織紉 天帝怒 責令歸河東 許一年一度相會」『月令廣義』七月令にある逸文)という一節があり、これが現在知られている七夕のストーリーとほぼ同じ型となった最も古い時期を考証できる史料のひとつとなっています。

 日本の「たなばた」は、元来、中国での行事であった七夕が奈良時代に伝わり、元からあった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれました。
 「たなばた」の語源は『古事記』でアメノワカヒコが死にアヂスキタカヒコネが来た折に詠まれた歌にある「淤登多那婆多」(弟棚機)又は『日本書紀』葦原中国平定の1書第1にある「乙登多奈婆多」また、お盆の精霊棚とその幡から棚幡といいます。また、『萬葉集』には山上憶良の長歌をはじめとし、七夕に纏わる歌が130種ばかり存在します。

 そのほか、牽牛織女の二星がそれぞれ耕作および蚕織をつかさどるため、それらにちなんだ種物(たなつもの)・機物(はたつもの)という語が「たなばた」の由来とする江戸期の文献もあります。
 日本では、雑令によって7月7日が節日と定められ、相撲御覧(相撲節会)、七夕の詩賦、乞巧奠などが奈良時代以来行われていました。その後、平城天皇が7月7日に亡くなると、826年(天長3年)相撲御覧が別の日に移され、行事は分化して星合と乞巧奠が盛んになったといいます。

 また『平家物語』によれば、貴族の邸では願い事をカジの葉に書いたそうです。二星会合(織女と牽牛が合うこと)や詩歌・裁縫・染織などの技芸上達が願われました。江戸時代には手習い事の願掛けとして一般庶民にも広がりました。なお、日本において機織りは、当時もそれまでも、成人女子が当然身につけておくべき技能であった訳ではありません。


 


ウェブニュースより
 藤井聡太四段が30勝目!仕切り直しで中田功七段を破る ―― 将棋の史上最年少棋士で中学3年生の藤井聡太四段(14)が6日、大阪市福島区の関西将棋会館で行われたC級2組順位戦で、後手の中田功七段(49)に勝ち、通算30勝目を記録した。

 今月2日の竜王戦トーナメント2回戦で佐々木勇気五段(22)に敗れ、昨年12月のデビューからの歴代最多連勝記録が「29」でストップして以来の対局。仕切り直しとなる一戦で、佐藤天彦名人(29)の師匠でもある古豪・中田七段を破り、“新章スタート”を印象づけた。

 気分転換のためか藤井四段は、トレードマークだったライトブルーのリュックサックではなく、黒のリュックを手に対局場へ。序盤は自玉を穴熊でがっちり囲ったが、ベテランらしい攻めを受け、次第に劣勢に。それでも、持ち前の終盤力で勝利した。昼食はカレーうどん定食、夕食は親子丼を食べ、持ち時間6時間の長丁場をしのいだ。
 次回公式戦は11日の加古川青流戦で都成竜馬四段(27)と対戦する。過去、2回下した相手から3勝目を挙げて、再びの連勝街道に結びつけるか。   (2017年7月6日2214  スポーツ報知)


 


     加古川清流戦 : 日本将棋連盟所属の棋士四段・奨励会三段リーグ成績上位者、選考委員会で推薦選出する女流棋士2名、アマチュア3名(加古川青流戦アマチュア選抜大会の各ブロックの優勝者2名と兵庫県アマ名人)によるトーナメント戦で行われる。棋士に原則として26歳以下の年齢制限がある新人王戦と異なり、本棋戦では四段の棋士であれば何歳でも参加可能である。


 明6日から、七夕の7日を挟んで、3日間入谷の朝顔市が開催されます。
 アサガオ(朝顔、英: Morning glory)は、ヒルガオ科サツマイモ属の一年性植物です。日本で最も発達した園芸植物であり、古典園芸植物のひとつでもあります。中国語で牽牛。日本では「蕣」の漢字も当てられます。
 日本への到来は、奈良時代末期に遣唐使がその種子を薬として持ち帰ったものが初めとされます。アサガオの種の芽になる部分には下剤の作用がある成分がたくさん含まれており、漢名では「牽牛子(けんごし)」と呼ばれ、奈良時代、平安時代には薬用植物として扱われていました。なお、遣唐使が初めてその種を持ち帰ったのは、奈良時代末期ではなく、平安時代であるとする説もあります。古く万葉集などで「朝顔」と呼ばれているものは、本種でなく、キキョウあるいはムクゲを指しているのではとされます。

 朝顔はケンゴシの花と言う事で別名を牽牛花(けんぎゅうか)とも言われています。牽牛花と言いますのは、七夕の牽牛・淑女の、牽牛の花と書くので、朝顔市は七夕の前後の三日間、開催されるようになりました。
 朝顔まつり(朝顔市)は毎年七月の六日から八日までの三日間開催します。この朝顔市と言いますのは、入谷鬼子母神を中心として、言問通りに百二十軒の朝顔業者と百軒の露店(縁日)が並び、毎年40万人の人出で賑わいます。

 この入谷の朝顔が有名になったのは江戸末期の文化・文政の頃です。最初は御徒町の下級武士、御徒目付の間で盛んに栽培されておりましたものが、御徒町の発展と江戸幕府の崩壊に伴いまして、入谷に居りました十数件の植木屋が造るようになります。そしてその出来栄えが大変素晴らしかったので、明治中期になりますと、往来止めをしたり、木戸銭を取って見せるほど有名になります。なぜ入谷の朝顔がこんなに盛んになったのかと言いますと、入谷田圃の土が朝顔造りに適していたこともありますけれども、当時流行しました朝顔と言いますのは「変わり咲き」です。この「変わり咲き」と言いますのは朝顔の花が、桔梗の花のように咲いたり、牡丹の花のように咲いたり、二重に咲いたりして、花粉の交配によって色々な花を咲かせる事ができたので、最盛期には一千種類もの朝顔があり、変化にとんだ花を咲かせ楽しませてくれてたのであります。

 もちろん現在のような丸い朝顔も江戸末期には大輪咲き朝顔とし盛んに栽培されておりましたが、変化咲き朝顔の不思議な美しさが江戸の人々にブームを巻き起こします。当時の模様を下谷繁盛記(大正三年明治教育社発行)によって観ますと、「入谷の朝顔の全盛を極めたりしは、明治二十四・五年頃にして、其の頃は、朝顔を造る植木屋十数件を数え、入谷の通りは、毎朝、往来止めとなる程なりし也。殊に、当時は、周囲一面の蓮田を廻らしたれば、涼しき朝風に吹かれ乍ら、朝顔を見又蓮の花を見るを得たり敷かば、観客頗る多く、非常の盛況を呈したり。」と記載されております。

 また、明治二十年七月五日発行の朝野新聞には、「府下にて朝顔の名所といえば誰も入谷たることを知る位なるが、同商も追々欧州植物培養の方法に倣い近年は頗る進歩し、昨年の出来に比較すれば、本年は余程の上出来にて、来る十五日より縦覧さする由なるが、本年は品数も数百種の多きに及び、頗る見事なるべしといえば、朝寝坊先生は早起きして此の美花を観玉へ。」とあるぐらい有名に成ります。

ところが、このように大変盛んに造られておりました入谷の朝顔も、世情が怪しくなって来ました大正二年意地づくで踏み留まっていた植松(植木屋)の廃業を最後に、とうとう入谷の地から姿を消してしまいます。それに伴い変化朝顔もいつしか人々から忘れられて現在のような円形の朝顔えとその主流は変わって行きます。そしてそれから三十五年立ちました昭和二十三年、戦後のすさんだこの世の中を少しでも明るくしようと言うことで、地元有志の方と下谷観光連盟(昭和25)の協力を得て、江戸情緒豊かな夏の風物詩、入谷の朝顔市が復活したのであります。


 


 ゴボウ(牛蒡または牛旁、悪実)は、キク科の多年草で、ユーラシア大陸原産です。大阪弁では「ごんぼ」と呼びます。水はけの良い土地を好みます。ゴボウの野生種はヨーロッパとアジアに広く分布していますが、 食用に利用しているのは日本と台湾だけです。植物は長い年月の間に分化して様々な品種ができるものですが、 ゴボウは日本に渡来してから長い栽培の歴史にもかかわらず品種が多くありません。

 原産地は中国東北部からシベリア、北欧にかけての広い範囲が原産地と言われています。日本には野生種は自生していません。中国から渡来したと考えられます。そうとう昔に渡来したらしく、縄文初期の貝塚からもゴボウの種が発見されたという話です。

 古くはキタキス、またはウマフフキという名で呼ばれていました。西暦900年ごろ中国から牛蒡という名で“再び”紹介され、この後200年の間に食用として広まってアザミ(当時、根や葉が食用にされていた)に取って代わりました。

 “和名抄”(倭名類聚抄923~930年)に面白い記述があります。 「牛蒡。本草に言う悪実(アクジツ)は一名牛蒡。和名、岐太岐須(キタキス)。一に言う宇末不々木(ウマフフキ)。今案ずるに俗に房となすは非也」 (ゴボウ。薬草の悪実はゴボウの事。和名はキタキス。ウマフフキとも言う。牛房と書くのは間違い。)
 悪実はゴボウの種子で、解毒、浮腫、咽頭痛の薬です。つまり、「中国でゴボウと呼ばれるものは日本のキタキス、ウマフフキである」と言う記述です。

 この時代に書かれた延喜式の内膳司(927年)の「耕種園圃」にある朝廷の菜園の栽培リストにはアザミはありますがゴボウはありません。その後、類聚雑要抄(1146年)には、 ゴボウが朝廷の献立に用いられた記録があります。だからこの間の約200年間に食用として定着したと考えられるのです。

 寛永20年(1643年)に刊行された、我が国初の実用レシピ集である『料理物語』には、牛蒡の調理法として、「汁。あへもの。に物。もち。かうの物。茶ぐはし。其外いろゝ。」とあります。汁物、和え物、煮物、香の物は現在も一般的な調理法ですが、餅や茶菓子としても食べられていたとは驚きです。

 建部清庵(たてべ せいあん、1712~1782年、江戸時代中期の医者。陸奥国一関の地から杉田玄白と書簡を交わし、蘭学の発展に協力しました。)が著した『備考草木図』には、山野に自生する牛蒡は根だけでなく、葉も茹でて食べるとよいとされています。

 きんぴらとは、牛蒡・蓮根などをせん切りにした材料を植物油で炒め、砂糖・醤油で煮て、唐辛子で辛味をきかせた料理のことです。
 きんぴらの語源は、江戸の和泉太夫が語り始めた古浄瑠璃のひとつ『金平浄瑠璃』の主人公「坂田金平(さかたのきんぴら)」の名に由来します。坂田金平は坂田金時(金太郎のこと)の息子という設定で、非常に強くて勇ましい武勇談として語られていました。ゴボウの歯ごたえや精がつくところ、また唐辛子の強い辛さが坂田金平の強さに通じることから、「きんぴらごぼう」という料理の名が生まれ、きんぴらごぼうと同じ作り方で、レンコンやニンジン、大根の皮・ヤーコンなどを材料にした料理も「きんぴら」と呼ばれるようになったといいます。坂田金平を演じる役者の髪型が刻んだゴボウに似ていたことから、「きんぴらごぼう」になったとも言われるが、「きんぴら」の付く言葉には「金平足袋」や「金平糊」などがあり、それらは「強さ」を表していることから、「きんぴらごぼう」だけが髪型に由来するとは考え難いのです。

 「笹掻き」と書くように、笹の葉の形に似ているところからこう呼ばれます。細長い野菜、主にごぼうやにんじんに使います。野菜を回しながら、包丁で削るように薄く切っていきます。
 開いたドジョウと笹掻きにしたゴボウを味醂と醤油の割下で煮て鶏卵で綴じます。バリエーションとして、一緒にネギやミツバを用いる場合もあります。肉類などを柳川と同じように、笹掻きゴボウと共に甘辛く煮て卵で閉じたものを「○○の柳川」あるいは「柳川風」と呼ぶことがあります。江戸時代にはドジョウもゴボウも精の付く食材とされていたため、柳川鍋は暑中に食べるものとされていました。俳句の世界では「泥鰌」は夏の季語(「泥鰌掘る」は冬の季語)となっています。ドジョウはウナギに劣らない滋養があり、しかも安価である事から、江戸の庶民に好まれていたようです。

 太平洋戦争の頃の話。西洋では、ゴボウを食べる習慣がありません。そのため、食事にゴボウを出された米軍捕虜が、戦犯裁判「木の根を食べさせられた。これは捕虜虐待である」と訴え、有罪判決が出されました。こんな話を聞いたことがあるでしょうか。
 どうやら、この話は都市伝説の類みたいです。まず、戦後裁判の事例の中に、ごぼうを食べさせたことを虐待として扱うという事例はないようです。
 そもそも、西洋にもサルシフィという、西洋ゴボウとも呼ばれる根菜があります。ゴボウとは別の種類になるのですが、見た目は同じようなもので、ゴボウを食材と認識できないということは無いはずです。仮に、ゴボウが食材であるということを知らなかったとしても、料理して出されたのであれば、食材であるということは理解できるはずです。

 実際には、戦後裁判で捕虜虐待を扱った事例が多く、その中で生まれた言い訳じみた都市伝説のようです。


 


プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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