瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 昨日、日曜日の朝のテレビはどの局も報道特集を組んでいるが、今週はどの局もオバマの話題で賑わっている。土曜日の内にビデオ収録した松本清張の「疑惑」(主演・田村正和)を見る。
 昼食後、午後2時頃になって、婆様と久し振りに近辺を歩いてみようということになり、まずは、婆様の弟が眠っている出山寺(しゅつさんじ)に詣でる。境内で水撒きをされていた院主さんの許しをえて、境内の写真を撮らせてもらった。
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   曹洞宗・明星山・出山寺(台東区清川1の13の1)。入口の左に朱塗りの綺麗な2階建の納骨堂。その並びは墓所。墓所の前参道の右に本堂・庫裏がある。境内には其角の句碑、采女塚、などがある。
 三囲神社の境内にある雨乞いの碑はかなり知られているが、ここ出山寺の納骨堂の前にも其角の句碑がある。
 墓所の前に采女塚(うねめづか)がある。石碑の上部に横書きで「采女塚」とあり、下部に仮名交じりの文で、由来が書いてあるが、この石碑も戦火を浴びたそうでよく読めない。説明板によれば、江戸時代の初期、寛文年間(1611~1672年)新吉原・雁金屋の遊女「采女」に心を寄せた若い僧侶が、師から固く制され悩んだ末、雁金屋の前で自害してしまった。采女は悲しんで浅茅ケ原の鏡が池に身を投げた。時に17才。翌朝、草刈りの人たちが「名をそれとしらずともしれさる沢の あとをかがみが池にしずめば」としるした短冊を見つけ、采女とわかり塚に葬ったと言う伝えがあり、文化元年(1804)大田蜀山人らが出山寺に采女塚の石碑を建てたのだそうじゃ。この出山寺の北側に隣り合わせにあったという鏡が池は埋め立てられ、見ることは出来ない。
 アサヒ会商店街を抜けて、吉野通に出る。爺が30歳前後にこの場所を通って松戸から浅草に通勤していた頃は、ここには都電が通っていたバブル時代には、200軒以上のドヤと呼ばれる簡易旅館に15,000人の労働者が生活していたが、バブル崩壊と共に急激に減ってしまったのじゃ。現在でも約150軒のビジネスホテル風に改築された旅館に、6千人程度の労働者が生活しており、労働者の街としての風景を伺い見ることができる。吉野通を少し北上した所にカフェ・バッハがある。創業40年というから、爺がこの辺りを頻繁に通っていた頃には、まだなかったらしい。
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 看板にはバッハがコーヒーカップを持っている像があり、人目を引く。店内は版画の額がずらりと飾られていて、かなりの客が入っていた。案内された席の壁に掛けられている版画に見入っていると、マスターらしい人が近寄ってきて、版画について説明してくれた。上野遒(うえのしゅう、1939年生れ)という人の作品であり、なかなかの人気画家であるということである。この喫茶店は前々から、話には聞いていた評判の喫茶店なのだが、入ったのは初めてである。
 吉野通を明治通まで北上して隅田川畔の道を南下したが、すでに日陰になっており、それに婆様が夕飯の買い物をするというので、河畔の道をよけて街中にはいり、買い物を済まして、裏道を歩いていると妙亀塚公園にぶち当たった。謡曲「隅田川」のシテは子が死んだと知った後、妙亀尼と称し、ここで供養をしていたが、ついに、鏡が池に身を投げたという。死んだ子の名が梅若丸。対岸墨田区に、梅若塚と由縁の木母寺がある。多分、出山寺の碑にあった遊女采女もこのことを知っていたのだろう。
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d8b085e6.JPG 帰宅したのは4時半すぎ、大相撲の千秋楽を見た。朝青龍のよもやの復活優勝。これじゃ、場所前の野暮な予想を立てた親方連中や横綱審議会のお偉いさんは全くの形無しじゃな。
 
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無題
御無沙汰致したおります。相変わらずお二人で散策なさってる様子なによりです。鼻水は止まりましたか?
1.出山寺へお参りなさった様子懐かしく拝読致しました。橋場のお兄様も喜んでいらっしゃることでしょう。墓参りといえば、今年は浅草のお母様の三十三回忌ですね。早い者ですね。
2.それから松本清張の「疑惑」御覧になったのですか?
私は少しチャンネルを回して観ましたが、桃井かおりと岩下志麻の映画の印象が強烈に残っていたので、直ぐに切ってしまいました。「くま子は悪い女だ。だけど私は好きだ。」無理心中を図ったどうにもならない心のうちを清張はよく捉えてました。日高のお兄様は映画の「疑惑」は御覧になりましたか?比較にならないほど良く出来てました。
3.昨年の初場所国技館で朝青龍を見てから応援してます。それに孫の蒼空ちゃんが朝青龍に似ているのでつい見入ってしまいます。
優勝決定戦で朝青龍が勝った時は思わず拍手してしまいました。良い相撲でしたね。随分批判されたりしましたが、マスコミにおしつぶされませんでしたね。
バッハでお茶を飲んでるお姉様の優雅な写真見せていただきました。有難う。

ブランカ 2009/01/26(Mon) 編集
Re:無題
コメントありがとうございました。
 【2009/02/02】
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目高 拙痴无
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92
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1932/02/04
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